※29文〜40文は、地名については原義と異なると思われる場合でも、現在一般に使用されている漢字で表記しています。
【原文カタカナ訳】 【語義考察】 【漢字読み下し】
ヒシロノヨクマソウツアヤ ひしろのよくまそうつあや ヒシロの代 クマソ打つ文
トキアスス ナモヤソヤホノ ときあすす なもやそやほの 時アスズ 七百八十八年の (サシト) フツキソヒ アマツヒツキオ ふつきそひ あまつひつきお 七月十一日 和つ日月を ウケツキテ イムナタリヒコ うけつきて いむなたりひこ 受け継ぎて 斎名タリヒコ ヲシロワケ アメスヘラキノ をしろわけ あめすへらきの ヲシロワケ 天皇の (景行) トシヤソヒ としやそひ 歳八十一
ミクサタカラノ みくさたからの 三種宝の アマヲシカ ヤトヨノミハタ あまをしか やとよのみはた 天御使 八響の御幡 タカミクラ イトオコソカニ たかみくら いとおこそかに 高御座 いと厳かに アマツカミ ムヘクタリマス あまつかみ むへくたります 天つ神 むべ下ります →27文 ミカサリオ タミニオカマセ みかさりお たみにおかませ 御飾を 民に拝ませ (上代の例) ワカミヤノ ハツコヨミナル わかみやの はつこよみなる 若宮の 初暦成る
フホヤヨヒ キヒツヒコカメ ふほやよひ きひつひこかめ 二年三月 キビツヒコが姫 (アスズ789年) タツキサキ ハリマのイナヒ たつきさき はりまのいなひ 立つ后 播磨のイナヒ (他動詞) ヲイラツメ ウチメノトキニ をいらつめ うちめのときに ヲイラツ姫 内侍の時に コソウツキ ハラミテウマス こそうつき はらみてうます 去年四月 孕みて生まず フソヒツキ ヘテシハスモチ ふそひつき へてしはすもち 二十一月 経て十二月十五日 ウスハタニ モチハナナシテ うすはたに もちはななして 臼端に 餅花 成して フタコウム ふたこうむ 双子生む
ヱノナモチヒト ゑのなもちひと 兄の名モチヒト ヲウスミコ トノナハナヒコ をうすみこ とのなはなひこ ヲウス御子 弟の名ハナヒコ オウスミコ トモニイサミテ おうすみこ ともにいさみて オウス御子 共に勇みて (成長が良く) ヒトナリハ ミノタケヒトセ ひとなりは みのたけひとせ 人態は 身の丈 一背 (=8尺) ヱハヨワク トハフソチカラ ゑはよわく とはふそちから 兄は弱く 弟は二十力
ミホノハル キサラキハツヒ みほのはる きさらきはつひ 三年の春 二月初日 (アスズ790年) キノクニニ カミマツラント きのくにに かみまつらんと 紀の国に 神 纏らんと (日前神) ウラナエハ ユクハヨカラス うらなえは ゆくはよからす 占えば 「行くは良からず」 ミユキヤメ オシマコトノコ みゆきやめ おしまことのこ 御幸やめ オシマコトの子 ウマシタケ ヰココロヤリテ うましたけ ゐこころやりて ウマシタケ ヰココロ遣りて マツラシム まつらしむ 纏らしむ
アヒカシハラニ あひかしはらに 天日畏原に 天備柏原 コトセスム キノウチマロカ ことせすむ きのうちまろか 九年住む 紀のウチマロが (紀の国造) ヤマトカケ メトリテウムコ やまとかけ めとりてうむこ ヤマトカゲ 娶りて生む子 (山下影媛) タケウチソ たけうちそ タケウチぞ (武内宿禰)
ヨホキサラモチ よほきさらもち 四年二月十五日 (アスズ791年) ミノニユク トミラモフサク みのにゆく とみらもふさく 美濃に行く 臣ら申さく <天皇> ヨキメアリ ヤサカタカヨリ よきめあり やさかたかより 「良き姫あり ヤサカタカヨリ ココナキリ ウエテタノシム ここなきり うえてたのしむ 菊・桐 植えて楽しむ ココリミヤ カレコレヱント ここりみや かれこれゑんと 菊桐宮」 故これ得んと (泳宮) ミユキシテ ミノタカキタノ みゆきして みのたかきたの 御幸して 美濃高北の タカヨリノ ココリノミヤニ たかよりの ここりのみやに タカヨリの 菊桐の宮に カリイマス イケスノソメハ かりいます いけすのそめは 仮り居ます 生簀 望めば サシノソク オトヒメトメテ さしのそく おとひめとめて 差し覗く オト姫 留めて キミメシツ きみめしつ 君 召しつ
ヒメオモエラク ひめおもえらく 姫 思えらく イセノミチ カヨエルノリモ いせのみち かよえるのりも 妹背の道 通える法も (「通ふ」の連体形) ツヤナラス キミニモフサク つやならす きみにもふさく 艶ならず 君に申さく ヤツカレハ トツキコノマス やつかれは とつきこのます 「僕は とつぎ好まず ミアラカニ メスモヨカラス みあらかに めすもよからす 御殿に 召すも良からず アネカナオ ヤサカイリヒメ あねかなお やさかいりひめ 姉が名を ヤサカイリ姫 スカタヨク キサヒノミヤニ すかたよく きさひのみやに 姿良く 后の宮に メサルトモ ミサホナランカ めさるとも みさほならんか 召さるとも 操 成らんか」 (尊敬) 操を通せるかと キミユルシ アネヒメオメス きみゆるし あねひめおめす 君 許し 姉姫を召す
ネシモハヒ マキムキヒシロ ねしもはひ まきむきひしろ 十一月初日 纏向日代 ニイミヤニ カエリイリマス にいみやに かえりいります 新宮に 帰り入ります ヤサカヒメ ナルミノウチメ やさかひめ なるみのうちめ ヤサカ姫 なる "美濃内侍" ヰホネシモ ソヰカヒノテニ ゐほねしも そゐかひのてに 五年十一月 十五日 日の出に (アスズ792年) ウムコノナ ワカタリヒコソ うむこのな わかたりひこそ 生む子の名 ワカタリヒコぞ (稚足彦)
タカヨリハ ヒノマエモフテ たかよりは ひのまえもふて タカヨリは 日の前 詣で (天日の前宮) ウチマロカ タチテマコウム うちまろか たちてまこうむ 'ウチマロが 館で孫生む ヰココロカ イムナオコエハ ゐこころか いむなおこえは ヰココロ'が 斎名を乞えば タカヨリカ イムナタカヨシ たかよりか いむなたかよし タカヨリが 斎名タカヨシ ナハウチト タケウチマロソ なはうちと たけうちまろそ 名はウチと タケウチマロぞ <名付く>
キシトヘハ タカヨリノホル きしとへは たかよりのほる 雉飛べば タカヨリ上る <都へ> ウチマロモ ウチミヤニユキ うちまろも うちみやにゆき ウチマロも 内宮に行き コトホキス キミヨロコヒテ ことほきす きみよろこひて 寿す 君 喜びて イムナコフ ウチマロササク いむなこふ うちまろささく 斎名請ふ ウチマロ捧ぐ ウチヒトハ ヨツキミコナリ うちひとは よつきみこなり ウチヒトは 代嗣御子なり (ワカタリヒコ) (成務天皇)
ミノウチメ ナルスケウムコ みのうちめ なるすけうむこ 美濃内侍 なる典侍 生む子 ヰモキヒコ イムナススキネ ゐもきひこ いむなすすきね ヰモキヒコ 斎名ススキネ (五百城入彦) オシワケト ワカヤマトネト おしわけと わかやまとねと オシワケと ワカヤマトネと (忍之別) (稚倭根子) オオスワケ ツキヌノシヒメ おおすわけ つきぬのしひめ オオスワケ 次ヌノシ姫 (大酢別) (渟熨斗媛) ヌナキヒメ カノコヨリヒメ ぬなきひめ かのこよりひめ ヌナキ姫 カノコヨリ姫 (渟名城媛) (麛依姫) ヰモキヒメ ヰソサキヒコニ ゐもきひめ ゐそさきひこに ヰモキ姫 ヰソサキヒコに (五百城入姫) (五十狭城入彦) キヒヱヒコ ツキタカキヒメ きひゑひこ つきたかきひめ キビヱヒコ 次タカギ姫 (吉備兄彦) (高城入姫) オトヒメソ おとひめそ オト姫ぞ (弟姫)
マタイワツクノ またいわつくの またイワツクの (磐衝別命) コノミツハ イラツメミオノ このみつは いらつめみおの 子のミヅハ イラツ姫 三尾の スケウムコ ヰモノメクスコ すけうむこ ゐものめくすこ 典侍 生む子 ヰモノ姫クスコ (五百野媛久須姫) ウチヲキミ うちをきみ 内親王
マタイソノカミ またいそのかみ また軍の守 ヰソキネノ ヰカワスケウム ゐそきねの ゐかわすけうむ ヰソキネの ヰカワ典侍生む (ニシキイリヒコ) (五十河媛) カンクシト ヰナセヒコマタ かんくしと ゐなせひこまた カンクシと ヰナセヒコ また (神櫛) (稲背入彦)
アヘココト タカタウチウム あへここと たかたうちうむ アベコゴト タカタ内(侍)生む (阿部木事) (高田媛) タケコワケ たけこわけ タケコワケ (武国凝別)
マタソヲタケカ またそをたけか また曽於タケが (襲武) タケヒメハ ソムツキハラミ たけひめは そむつきはらみ タケ姫は 十六月孕み (武媛) フタコウム クニコリワケト ふたこうむ くにこりわけと 双子生む クニコリワケと (国凝別) クニチワケ ツキミヤチワケ くにちわけ つきみやちわけ クニチワケ 次 ミヤチワケ (国乳別) (宮道別) トヨトワケ とよとわけ トヨトワケ (豊戸別)
ヒウカミユキニ ひうかみゆきに 日向御幸に カミナカカ ヲタネオシモメ かみなかか をたねおしもめ カミナカが ヲタネ乙下侍 (髪長) (大田根姫) ウムコノナ ヒウカソツヒコ うむこのな ひうかそつひこ 生む子の名 ヒウガソツヒコ (日向襲津彦)
マタソヲノ ミハカセウムコ またそをの みはかせうむこ また曽於の ミハカセ生む子 (襲武) (御刀姫) トヨクニノ イムナソヲヒト とよくにの いむなそをひと トヨクニの 斎名ソヲヒト (豊国別) ヒウカキミ ひうかきみ 日向君
スヘラキノミコ すへらきのみこ 皇の御子 ヲハヰソヰ メハフソムスヘ をはゐそゐ めはふそむすへ 男は五十五 女は二十六 総べ ヤソヒナリ ヲヲウスオヨヒ やそひなり ををうすおよひ 八十一なり ヲヲウスおよび (ヲウス) ヤマトタケ ヰモキイリヒコ やまとたけ ゐもきいりひこ ヤマトタケ ヰモキイリヒコ (オウス) (ヰモキヒコ) ヰモノヒメ ワカタラシヒコ ゐものひめ わかたらしひこ ヰモノ姫 ワカタラシヒコ (ワカタリヒコ) トヨクワケ ムタリヲミコノ とよくわけ むたりをみこの トヨクワケ 六人親王の (トヨクニワケ) ナオオフル アマリナソヰコ なおおふる あまりなそゐこ 名を帯ぶる 余り七十五子 クニアカタ ワケオサムソノ くにあかた わけおさむその 国・県 分け治む その スエオオシ すえおおし 末 多し
ソフホハツハル そふほはつはる 十二年初春 (アスズ799年) ミノノクニ カンホネカメノ みののくに かんほねかめの 美濃の国 カンホネが姫の (神骨) ヱトトオコ クニノイロアリ ゑととおこ くにのいろあり 姉妹トオコ 国の色あり (姉妹の遠子姫) ヲヲウスオ ヤリテヨハシム ををうすお やりてよはしむ ヲヲウスを 遣りて呼ばしむ ヲウスミコ ミノニイタリテ をうすみこ みのにいたりて ヲウス御子 美濃に到りて スカタミテ ヒソカニメシツ すかたみて ひそかにめしつ 姿見て 密かに召しつ トトマリテ カエコトナサス ととまりて かえことなさす 留まりて 返言なさず コトシソヒ タケハヤタナリ ことしそひ たけはやたなり 今年十一 丈は八尺なり キミトカメ ミヤコニイレス きみとかめ みやこにいれす 君 咎め 都に入れず
アフミツキ クマソソムキテ あふみつき くまそそむきて 七月 クマソ背きて ミツキセス オシテササケテ みつきせす おしてささけて 貢せず オシテ捧げて ミカリコフ ハツキモチヨリ みかりこふ はつきもちより 巡幸り乞ふ 八月十五日より ミユキナル みゆきなる 御幸なる
ナノヰカイタル なのゐかいたる 九月の五日到る スハウサハ トキニスヘラキ すはうさは ときにすへらき 周防佐波 時に皇 サオノソミ サカイキタツハ さおのそみ さかいきたつは 南を望み 「逆息立つは ツツカカヤ オホノタケモロ つつかかや おほのたけもろ 恙かや」 オホのタケモロ (多の武諸木) キノウナテ モノヘナツハナ きのうなて ものへなつはな 紀のウナデ モノベナツハナ (菟名手) (物部夏花) コノミタリ ヤリテカタチオ このみたり やりてかたちお この三人 遣りて形を ミセシムル みせしむる 見せしむる (自下二)
カンカシヒメハ かんかしひめは カンカシ姫は (神夏磯媛) ヒトノカミ ミツカヒキキテ ひとのかみ みつかひききて 人の頭 御使ひ聞きて シツヤマノ サカキオヌキテ しつやまの さかきおぬきて 磯津山の 榊を抜きて カンツヱニ ヤツカノツルキ かんつゑに やつかのつるき 上つ枝に 八握の剣 ヤタカカミ シモマカタマヤ やたかかみ しもまかたまや 八尺鏡 下 環珠や シラハタオ トモヘニカケテ しらはたお ともへにかけて 白旗を 艫舳に掛けて ワカタクヒ タカハスアメノ わかたくひ たかはすあめの 「我が類 違わず天の メクミエン めくみえん 恵み得ん」
タタソコナフハ たたそこなふは 「ただ害ふは ハナタレカ ミタリマタカリ はなたれか みたりまたかり ハナタレが みだり跨り (鼻垂) ナオカリテ ウサニタムロシ なおかりて うさにたむろし 名を借りて ウサに屯し <天の> (菟狭川) ナリヒヒク マタミミタレモ なりひひく またみみたれも 鳴り響く」 「またミミタレも (耳垂) ムサホリテ タミオカスムル むさほりて たみおかすむる 貧りて 民を掠むる ミケカワヱ マタアサハキモ みけかわゑ またあさはきも 御木川縁」 「またアサハキも (麻剥) トモアツム タカハカワマタ ともあつむ たかはかわまた 供集む 高羽川」 「また ツチオリト ヰオリモカクレ つちおりと ゐおりもかくれ ツチオリと ヰオリも隠れ (土折) (猪折) ミトリノノ カワサカタノミ みとりのの かわさかたのみ みとり野の 川境 頼み カスメトル ミナカナメチニ かすめとる みなかなめちに 掠め取る」 「みな要地に アツマリテ オサトナノルオ あつまりて おさとなのるお 集まりて 長と名乗るを <天の臣と偽り> ウチタマエ うちたまえ 討ち給え」
トキニタケモロ ときにたけもろ 時にタケモロ ハカラヒテ アカキヌハカマ はからひて あかきぬはかま 計らひて 赤衣・袴 ヒキテモノ ヒキテアサハキ ひきてもの ひきてあさはき 引手物 引きてアサハキ (「携える」の意) メシヨセテ コレニヒカセテ めしよせて これにひかせて 召し寄せて これに引かせて (アサハキ) モロクレハ フツクコロシツ もろくれは ふつくころしつ 諸 来れば 悉く殺しつ (ハナ・ミミタレ) (ツチ・ヰオリ) ミユキシテ トヨノナカオニ みゆきして とよのなかおに 御幸して 豊の長峡に カリミヤコ かりみやこ 仮都
メツキニイタル めつきにいたる 十月に到る ハヤミムラ ヲサハヤミツメ はやみむら をさはやみつめ 速見村 長ハヤミツメ ミユキキキ ミツカラムカエ みゆききき みつからむかえ 御幸聞き 自ら迎え モフサクハ ネツカイワヤニ もふさくは ねつかいわやに 申さくは 「根づか窟に フツチクモ ナハアオクモト ふつちくも なはあおくもと 二土蜘蛛 名はアオクモと シラクモト ナオリネキノニ しらくもと なおりねきのに シラクモと」 「直入禰疑野に ミツチクモ ウチサルトヤタ みつちくも うちさるとやた 三土蜘蛛 ウチサルとヤタ クニマロト コノヰツチクモ くにまろと このゐつちくも クニマロと」 「この五土蜘蛛 トモカラノ チカラツヨキオ ともからの ちからつよきお 朋族の 力強きを アツメオク アナカチメサハ あつめおく あなかちめさは 集め置く あながち召さば イクサセン いくさせん 戦せん」
ココニスヘラキ ここにすへらき ここに皇 ススミヱス クタミノムラノ すすみゑす くたみのむらの 進み得ず 来田見の村の カリミヤニ ハカリテイワク かりみやに はかりていわく 仮宮に 議りて曰く モロウタハ クモラオソレテ もろうたは くもらおそれて 「もろ撃たば 蜘蛛ら恐れて 一挙に攻撃すれば カクレント ツハキオトリテ かくれんと つはきおとりて 隠れん」 と ツバキを採りて ツチトナシ タケキオエラミ つちとなし たけきおえらみ 槌となし 猛きを選み (ツチグモを打ち治む意) ツチモツテ ヤマオウカチテ つちもつて やまおうかちて 槌持って 山を穿ちて クサオワケ イワヤノクモオ くさおわけ いわやのくもお 草を分け 窟の蜘蛛を ウチコロス イナハカワヘハ うちころす いなはかわへは 打ち殺す 稲葉川辺は <これにより> チタトナル ちたとなる 治手となる
マタウチサルオ またうちさるお またウチサルを ウタントテ ツハキイチヨリ うたんとて つはきいちより 討たんとて ツバキ市より ネキヤマオ コストキアタカ ねきやまお こすときあたか ネキ山を 越すとき仇が ヨコヤイル アメヨリシケク よこやいる あめよりしけく 横矢射る 雨より繁く ススミエス キワラニカエリ すすみえす きわらにかえり 進み得ず 城原に返り フトマニミ ヤタオネキノニ ふとまにみ やたおねきのに フトマニ見 ヤタをネギ野に ウチヤフリ ココニウチサル うちやふり ここにうちさる 討ち破り ここにウチサル クタリコフ ユルサスユエニ くたりこふ ゆるさすゆえに 降り乞ふ 許さず 故に クニマロモ タキエミオナケ くにまろも たきえみおなけ クニマロも 滝へ身を投げ コトコトク ホロヒヲサマル ことことく ほろひをさまる 悉く 滅び治まる
ソノハシメ カシハオノイシ そのはしめ かしはおのいし その始め "嘉祥の石" (こうなる前) ナカサムタ ハハミタアツサ なかさむた ははみたあつさ 長さ六尺 幅三尺 厚さ ヒトタヰキ スヘラキイノリ ひとたゐき すへらきいのり 一尺五寸 皇 祈り トヒアカル カレスミヨロシ とひあかる かれすみよろし 跳び上がる 故 スミヨロシ <戦勝の後> (志賀若宮八幡) ナオリカミ モロハノヤシロ なおりかみ もろはのやしろ 直り神 両羽の社 (中臣・物主) (直入中臣神社・籾山八幡) サラニタテ コレマツラシム さらにたて これまつらしむ 新に建て これ祭らしむ カエモフテ かえもふて 返詣で
ネツキニイタル ねつきにいたる 十一月に到る カリミヤハ ヒウカタカヤソ かりみやは ひうかたかやそ 仮宮は 日向高屋ぞ
シハスヰカ クマソオハカリ しはすゐか くまそおはかり 十二月五日 クマソを議り ミコトノリ ワレキククマソ みことのり われきくくまそ 御言宣 「我聞くクマソ ヱアツカヤ オトセカヤトテ ゑあつかや おとせかやとて 兄アツカヤ 弟セカヤとて ヒトノカミ モロオアツメテ ひとのかみ もろおあつめて 人の頭 諸を集めて タケルトス ホコサキアタル たけるとす ほこさきあたる 長とす 矛先当たる モノアラス ササヒトトカス ものあらす ささひととかす 者あらず ささ 人と数 サハナレハ タミノイタミソ さはなれは たみのいたみそ 多なれば 民の傷みぞ ホコカラス ムケントアレハ ほこからす むけんとあれは 矛 駆らず 平けん」 とあれば
トミヒトリ ススミテイワク とみひとり すすみていわく 臣一人 進みて曰く クマソニハ フカヤトヘカヤ くまそには ふかやとへかや 「クマソには フカヤとヘカヤ フタムスメ キラキラシクモ ふたむすめ きらきらしくも 二娘 煌々しくも イサメルオ オモキヒキテニ いさめるお おもきひきてに 勇めるを 重き引手に (「勇む」の連体形) メシイレテ ヒマオウカカヒ めしいれて ひまおうかかひ 召し入れて 隙を窺ひ トリコニス トキニスヘラキ とりこにす ときにすへらき 虜にす」 時に皇 ヨカラント キヌニアサムク よからんと きぬにあさむく 「良からん」 と 衣に欺く フタムスメ メシテミモトニ ふたむすめ めしてみもとに 二娘 召して御許に メクミナス めくみなす 恵みなす
アネノフカヤカ あねのふかやか 姉のフカヤが モフサクハ キミナウレヒソ もふさくは きみなうれひそ 申さくは 「君な憂ひそ ハカラント ツワモノツレテ はからんと つわものつれて 計らん」 と 兵 連れて ヤニカエリ サケオアタタニ やにかえり さけおあたたに 屋に帰り 酒をあただに ノマシムル チチノミヱヒテ のましむる ちちのみゑひて 飲ましむる 父 飲み酔ひて フストキニ チチカユンツル ふすときに ちちかゆんつる 臥す時に 父が弓弦 キリオキテ チチアツカヤオ きりおきて ちちあつかやお 切り置きて 父アツカヤを コロサシム ころさしむ 殺さしむ
スヘラキアネカ すへらきあねか 皇 姉が シムタツオ ニクミコロシテ しむたつお にくみころして シム絶つを 憎み殺して オトヘカヤ ソノクニツコト おとへかや そのくにつこと 妹ヘカヤ 襲の国造と オチノコノ トリイシカヤト おちのこの とりいしかやと 叔父の子の トリイシカヤと (セカヤ) (取石鹿文) チナマセテ ツクシムケント ちなませて つくしむけんと 因ませて 筑紫平けんと ムトセマテ タカヤノミヤニ むとせまて たかやのみやに 六年まで 高屋の宮に オワシマス おわします 御座します
ミハカセヒメオ みはかせひめお ミハカセ姫を ウチサマニ トヨクニワケノ うちさまに とよくにわけの 内添に トヨクニワケの (ソヲヒト) ヲミコウム ハハコトトマリ をみこうむ ははこととまり 親王生む 母子留まり クニツコヤ くにつこや 国造や (日向)
ソナヤヨヒソフ そなやよひそふ 十七年三月十二日 (アスズ804年) コユカタノ ニモノニミユキ こゆかたの にものにみゆき 子湯県の 丹裳小野に御幸 キオノソミ ムカシオホシテ きおのそみ むかしおほして 東を望み 昔 思して ノタマフハ ミヲヤアマキミ のたまふは みをやあまきみ 宣給ふは 「上祖天君 (ここではニニキネらしい) →26文 タカチホノ ミネニノホリテ たかちほの みねにのほりて 高千穂の 峰に登りて ヒノヤマノ アサヒニイナミ ひのやまの あさひにいなみ 日の山の 朝日に辞み (ハラミ山) 朝日を拝んで辞洞に入り ツマムカヒ カミシモメクム つまむかひ かみしもめくむ 妻 向ひ 上下恵む 妻サクヤ姫のいる方を向き (カモ=火と水) カミトナル かみとなる 神となる」
クニノナモコレ くにのなもこれ 「国の名もこれ (賀茂) カハカミノ アマネクテラス かはかみの あまねくてらす "カ" は上の あまねく照らす モハシモノ アオヒトクサオ もはしもの あおひとくさお "モ" は下の 青人草を メクマント ナルカミノアメ めくまんと なるかみのあめ 恵まんと 鳴神の雨 (雷) ヨキホトニ ワケテミソロノ よきほとに わけてみそろの 良き程に 別けて 実揃の ウルホヒニ タミニキハセル うるほひに たみにきはせる 潤ひに 民 賑はせる (「賑はす」の連体形) イサオシハ カモワケツチノ いさおしは かもわけつちの 功は カモワケツチの (カモワケ+ワケツチ) カンココロ かんこころ 神心」 (神髄)
カクソオホシテ かくそおほして かくぞ仰して カミマツリ ミヤコノソラオ かみまつり みやこのそらお 神 祭り 都の空を ナカムミウタニ なかむみうたに 眺む御歌に
ハシキヨシ ワキヘノカタユ はしきよし わきへのかたゆ 『愛しきよし 我家の方ゆ クモイタチ クモハヤマトノ くもいたち くもはやまとの 雲 出立ち 雲は大和の クニノマホ マタタナヒクハ くにのまほ またたなひくは 国の幻 復たなびくは (投影) 雲が幾重に連なって広がるは アオカキノ ヤマモコモレル あおかきの やまもこもれる 青垣の 山も籠れる (「籠る」の連体形) ミモロ山もその麓の都も繁っていることが窺える ヤマシロハ イノチノマソヨ やましろは いのちのまそよ 山繁は 命の真十よ 山が繁ることは 命の鏡よ ケムヒセハ タタミコオモエ けむひせは たたみこおもえ 煙火せば ただ御子 思え 煮炊する煙を見ると 直ちに子らのことが思われる クノヤマノ シラカシカヱオ くのやまの しらかしかゑお 熟山の 白橿が枝を (香具山) [精がし] ウスニサセコノコ うすにさせこのこ 頭に挿せ 愛子』 頭に挿して自身の山を繁らせ 愛しい子らよ
ソヤヤヨヒ ミヤコカエリノ そややよひ みやこかえりの 十八年三月 都帰りの (アスズ805年) ミユキカリ イタルヒナモリ みゆきかり いたるひなもり 御幸巡り 到るヒナモリ イワセカワ ハルカニノソミ いわせかわ はるかにのそみ イワセ郷 遥かに望み <し> ヒトムレオ オトヒナモリニ ひとむれお おとひなもりに 人群を 弟ヒナモリに ミセシムル カエリモフサク みせしむる かえりもふさく 見せしむる 帰り申さく モロアカタ ヌシラオホミケ もろあかた ぬしらおほみけ 「諸県 主ら大御食 ササケント イツミメカヤニ ささけんと いつみめかやに 捧げんと 斎見侍が屋に 斎き傅く侍女を備えた屋に ソノツトエ そのつとえ その集え」
ユクウツキミカ ゆくうつきみか 行く四月三日 クマノカタ オサクマツヒコ くまのかた おさくまつひこ 熊の県 長クマツヒコ ヱトオメス ヱヒコハクレト ゑとおめす ゑひこはくれと 兄弟を召す 兄ヒコは来れど オトハコス トミトアニトニ おとはこす とみとあにとに 弟は来ず 臣と兄とに サトサシム シカレトコハム さとさしむ しかれとこはむ 諭さしむ 然れど拒む カレコロス かれころす 故 殺す
フソカアシキタ ふそかあしきた 二十日 葦北 コシマニテ ヒテリニアツク こしまにて ひてりにあつく 孤島にて 日照りに暑く ミツオメス ヤマヘコヒタリ みつおめす やまへこひたり 水を召す ヤマベコヒダリ (山部小左) ミツナキオ アメニイノレハ みつなきお あめにいのれは 水無きを 天地に祈れば イワカトニ シミツワキテル いわかとに しみつわきてる 岩角に 清水 湧き出る コレササク カレニナツクル これささく かれになつくる これ捧ぐ 故に名付くる ミツシマソ みつしまそ "水島" ぞ
サツキハツヒニ さつきはつひに 五月初日に フネハセテ ユクヤツシロエ ふねはせて ゆくやつしろえ 船馳せて 行く八代ヘ ヒノクレテ ツクキシシレス ひのくれて つくきししれす 日の暮れて 着く岸知れず ヒノヒカル トコエサセトノ ひのひかる とこえさせとの 「火の光る 所へ差せ」 との ミコトノリ キシニアカリテ みことのり きしにあかりて 御言宣 岸に上がりて ナニムラト トエハヤツシロ なにむらと とえはやつしろ 「何村」 と 問えば八代 トヨムラノ タクヒオトエハ とよむらの たくひおとえは 豊村の 焚く火を問えば ヌシオヱス ヒトノヒナラス ぬしおゑす ひとのひならす 主を得ず 人の火ならず シラヌヒノ クニトナツクル しらぬひの くにとなつくる "知らぬ火の 地" と名付くる (不知火)
セミナミカ タカクアカタノ せみなみか たかくあかたの 六月三日 高来県の (からの) フナワタシ タマキナムラノ ふなわたし たまきなむらの 船渡し 玉杵名村の ツチクモノ ツツラオコロシ つちくもの つつらおころし 土蜘蛛の ツヅラを殺し (津頬)
ソムカニハ イタルアソクニ そむかには いたるあそくに 十六日には 到る阿蘇地 ヨモヒロク イヱヰミエネハ よもひろく いゑゐみえねは 四方広く 家居見えねば ヒトアリヤ キミノタマエハ ひとありや きみのたまえは 「人ありや」 君 宣給えば タチマチニ フタカミナリテ たちまちに ふたかみなりて たちまちに 二神なりて アソツヒコ アソツヒメアリ あそつひこ あそつひめあり アソツヒコ アソツ姫あり キミナンソ ヒトナキヤトハ きみなんそ ひとなきやとは 「君 何ぞ "人無きや" とは」 キミイワク タレソコタエテ きみいわく たれそこたえて 君 曰く 「誰ぞ」 答えて クニツカミ ヤシロヤフレリ くにつかみ やしろやふれり 「地つ神 社 破れり」 トキニキミ ミコトノリシテ ときにきみ みことのりして 時に君 御言宣して ヤシロタツ カミヨロコヒテ やしろたつ かみよろこひて 社 建つ 神 喜びて (他動詞) マモルユエ ヰヱヰシケレリ まもるゆえ ゐゑゐしけれり 守るゆえ 家居 繁れり
アフミヨカ ツクシチノチノ あふみよか つくしちのちの 七月四日 筑紫方後の (筑後) タカタミヤ オホミケタオレ たかたみや おほみけたおれ 高田宮 大御木倒れ キノナカサ コモナソタケソ きのなかさ こもなそたけそ 木の長さ 九百七十丈ぞ (約2,200m) モモフミテ ユキキニウタフ ももふみて ゆききにうたふ 百 踏みて 往き来に歌ふ
アサシモノ ミケノサオハシ あさしもの みけのさおはし 『アサシモの 御木の竿橋 マヘツキミ イヤワタラスモ まへつきみ いやわたらすも 前つ君 礼渡らすも 身分ある人が 敬ってお渡りになるも ミケノサオハシ みけのさおはし 御木の竿橋』
キミトエハ ヲキナノイワク きみとえは をきなのいわく 君 問えば 翁の曰く クヌキナリ タオレヌサキハ くぬきなり たおれぬさきは 「クヌギなり 倒れぬ前は アサヒカケ キシマネニアリ あさひかけ きしまねにあり 朝日影 杵島峰にあり ユウヒカケ アソヤマオオフ ゆうひかけ あそやまおおふ 夕日影 阿蘇山覆ふ カミノミケ クニモミケトソ かみのみけ くにもみけとそ 神の御木」 地もミケとぞ (三池) ナツケマス なつけます 名づけます
ヤツメオコエテ やつめおこえて 八女を越えて マエヤマノ アワミサキミテ まえやまの あわみさきみて 前山の 合岬見て キミイワク タタミウルワシ きみいわく たたみうるわし 君 曰く 「たたみ麗し (山並) カミアリヤ ミヌサルヲウミ かみありや みぬさるをうみ 神ありや」 ミヌサルヲウミ モフサクハ ヤツメヒメカミ もふさくは やつめひめかみ 申さくは 「ヤツメ姫神 ミネニアリ みねにあり 峰にあり」
ホツミニイタル ほつみにいたる 八月に到る イクハムラ ミケススムヒニ いくはむら みけすすむひに イクハ村 御食進む日に カシハテヘ ミサラワスレル かしはてへ みさらわすれる 膳出侍 御皿忘れる オサイワク ムカシアメミコ おさいわく むかしあめみこ 長 曰く 「昔 陽陰御子 (神武) ミカリノヒ ココニミケナシ みかりのひ ここにみけなし 巡幸りの日 ここに食なし カシハテカ ウクハワスレリ かしはてか うくはわすれり 膳出が ウクハ 忘れり クニコトハ ミサラオウクハ くにことは みさらおうくは 国言葉 御皿を "ウクハ" ヰハモコレ カカルメテタキ ゐはもこれ かかるめてたき "ヰハ" もこれ かかる愛でたき タメシナリ ためしなり 例なり」
ソコホナカヤカ そこほなかやか 十九年九月八日 (アスズ806年) マキムキノ ミヤニカエマス まきむきの みやにかえます 纏向の 宮に帰ます
フソサミヱ キサラキヨカニ ふそさみゑ きさらきよかに 二十年サミヱ 二月四日に (アスズ807年) ヰモノヒメ クスコウチミコ ゐものひめ くすこうちみこ ヰモノ姫 クスコ内親王 イセノカミ マツルイワヒハ いせのかみ まつるいわひは 妹背の神 祭る祝は ツクシムケ ヒメコトシソヨ つくしむけ ひめことしそよ "筑紫平け" 姫 今年十四
ヤマトヒメ コトシモモヤツ やまとひめ ことしももやつ ヤマト姫 今年百八つ ヨロコヒテ ヨハヒイタレハ よろこひて よはひいたれは 喜びて 「齢 至れば ワレタリヌ ワカヤソモノヘ われたりぬ わかやそものへ 我 足りぬ 我が八十モノベ ソフツカサ ヰモノニウツシ そふつかさ ゐものにうつし 十二司 ヰモノに移し ツカエシム クスコオカミノ つかえしむ くすこおかみの 仕えしむ」 クスコを神の (アマテル) ミツエシロ タケノミヤヰニ みつえしろ たけのみやゐに 御杖代 高の宮居に ツツシミテ ツカエハンヘル つつしみて つかえはんへる 謹みて 仕え侍べる
ヤマトヒメ ウチハタトノノ やまとひめ うちはたとのの ヤマト姫 内端殿の イソミヤニ ヒラキシツカニ いそみやに ひらきしつかに イソ宮に ひらき静かに ヒノカミオ マツレハナカク ひのかみお まつれはなかく 日の神を 祭れば 長く ウマナクソ うまなくそ 倦まなくぞ
フソヰホフミハ ふそゐほふみは 二十五年七月初日 (アスズ812年) タケウチニ ホツマシルヘノ たけうちに ほつましるへの タケウチに ホツマ知る侍の ミコトノリ キタヨリツカル みことのり きたよりつかる 御言宣 北より津軽 ヒタカミヤ カクノヤカタニ ひたかみや かくのやかたに ヒタカミや 橘の館に ミチオキク みちおきく 道を聞く
モトヒコイワク もとひこいわく モトヒコ曰く クニシルノ ミチハイニシエ くにしるの みちはいにしえ 「国知るの 道は いにしえ
カミノリカヰノアヤ かみのりかゐのあや --- 神乗り粥の文 ---
ネノクニノ オホキノマツル ねのくにの おほきのまつる 北の国の 多きの奉る カミノミケ ネシモノスエノ かみのみけ ねしものすえの 神の御供 十一月の末の ユミハリニ カミノリカヰハ ゆみはりに かみのりかゐは 弓張に 神乗り粥は (11月23日=冬至) (=黒豆飯) クロマメト ウムキトスメト くろまめと うむきとすめと 黒豆と 大麦と小豆と ナナノヨネ カヰニカシキテ ななのよね かゐにかしきて 七菜の米 粥に炊ぎて ウケミタマ ヰハシラマツリ うけみたま ゐはしらまつり ウケミタマ 五柱祭り (新嘗祭)
トシコエハ ウムキトスメト としこえは うむきとすめと 年越は 大麦と小豆と ヨネムマス トシノリヤマサ よねむます としのりやまさ 米 蒸ます 年宣り・ヤマサ 年宣り神とヤマサ神が オニヤラヰ おにやらゐ 鬼遣らい
ムツキナアサハ むつきなあさは 一月七日朝は ナナクサノ ミソニヰクラヤ ななくさの みそにゐくらや 七種の ミソに五臓や (五臓を治す)
モチノアサ ムワタマツリハ もちのあさ むわたまつりは 十五日の朝 六腑纏りは ヨネトスメ カミアリカユソ よねとすめ かみありかゆそ 米と小豆 神あり粥ぞ
ツチキミノ シムノマツリハ つちきみの しむのまつりは 辻君の シムの纏りは (サルタヒコ) マメスメニ サカメトナナノ まめすめに さかめとななの 大豆・小豆に 盛豆と七菜の ヨネカシキ アマコノカミノ よねかしき あまこのかみの 米 炊ぎ 天九の神の ミシルカヰ みしるかゐ 見知る粥」
ミオシルワサノ みおしるわさの 身を領る業の イクサワニ トシナカラエテ いくさわに としなからえて 幾多に 歳 永らえて ヨロヒトノ ミチノシルヘト よろひとの みちのしるへと 万人の 道の標と アルフミオ ヨヨニツタフル あるふみお よよにつたふる ある文を 代々に伝ふる ('なる'の誤写か) タケウチハ ツイニナカラフ たけうちは ついになからふ タケウチは ついに永らふ ミチトナルカナ みちとなるかな 道となるかな
ネココロオ アカシカエリテ ねこころお あかしかえりて 根心を 明かし帰りて <モトヒコに> フソナキノ ソミカモフサク ふそなきの そみかもふさく 二十七年二月の 十三日申さく (アスズ814年) ヒタカミハ メヲノコカミオ ひたかみは めをのこかみお 「ヒタカミは 女男の子 髪を アケマキニ ミオアヤトリテ あけまきに みおあやとりて 総角に 身を綾取りて (刺青) イサミタツ スヘテヱミシノ いさみたつ すへてゑみしの 勇み立つ 総てヱミシの (蝦夷) クニコヱテ マツロハサレハ くにこゑて まつろはされは 地 肥えて 服わざれば トルモヨシ とるもよし 取るも良し」
クマソソムキテ くまそそむきて クマソ背きて マタオカス カナツキソミカ またおかす かなつきそみか また犯す 十月十三日 ミコトノリ オウスミコシテ みことのり おうすみこして 御言宣 オウス御子して ウタシムル オウスモウサク うたしむる おうすもうさく 打たしむる オウス申さく ヨキイテオ アラハツレント よきいてお あらはつれんと 「良き射手を あらば連れん」 と ミナモフス ミノノオトヒコ みなもふす みののおとひこ 皆 申す 「三野のオトヒコ ヒイテタリ ひいてたり 秀でたり」
カツラキミヤト かつらきみやと 葛城ミヤト ツカワシテ メセハオトヒコ つかわして めせはおとひこ 遣わして 召せばオトヒコ イシウラノ ヨコタテオヨヒ いしうらの よこたておよひ イシウラの ヨコタテおよび タコヰナキ チチカイナキオ たこゐなき ちちかいなきお タコヰナキ チチカイナキを ヒキツレテ シタカヒユケハ ひきつれて したかひゆけは 率き連れて 従ひ行けば
コウスミコ シハスニユキテ こうすみこ しはすにゆきて コウス御子 十二月に行きて クマソラカ クニノサカシラ くまそらか くにのさかしら クマソらが 国の盛衰 (情勢) ウカカエハ トリイシカヤカ うかかえは とりいしかやか うかがえば トリイシカヤが カワカミニ タケルノヤカラ かわかみに たけるのやから 川上に 長の輩 上流にあり、 それにその仲間が ムレヨリテ ヤスクラナセハ むれよりて やすくらなせは 群れ寄りて 安座なせば
コウスキミ オトメスカタノ こうすきみ おとめすかたの コウス君 乙女姿の ミハノウチ ツルキカクシテ みはのうち つるきかくして 衣の内 剣 隠して ヤスミセシ オトメノミメニ やすみせし おとめのみめに 和みせし 乙女の見目に →9文 マシワレハ タツサエイルル ましわれは たつさえいるる 交われば 携え入るる <コウスを> ハナムシロ ミオアケミキノ はなむしろ みおあけみきの 花筵 身を上げ 酒の <そこに> タワムレヤ たわむれや 戯れや
ヨフケヱヱレハ よふけゑゑれは 夜更け酔えれば (「酔ふ」の已然形)
コウスキミ ハタノツルキオ こうすきみ はたのつるきお コウス君 肌の剣を ヌキモチテ タケルカムネオ ぬきもちて たけるかむねお 抜き持ちて 長が胸を サシトホス タケルカイワク さしとほす たけるかいわく 刺し通す 長が曰く イマシハシ ツルキトトメヨ いましはし つるきととめよ 「今しばし 剣 止めよ コトアリト マテハナンチハ ことありと まてはなんちは 言あり」 と 待てば 「汝は タレヒトソ スヘラキノコノ たれひとそ すへらきのこの 誰人ぞ」 「皇の子の コウスナリ こうすなり コウスなり」
タケルマタイフ たけるまたいふ 長また言ふ ワレハコレ クニノツワモノ われはこれ くにのつわもの 「我はこれ 国のつわ者 モロヒトモ ワレニハスキス もろひとも われにはすきす 諸人も 我には過ぎず シタカエリ キミノコトクノ したかえり きみのことくの 従えり 君の如くの モノアラス ヤツコカササク ものあらす やつこかささく 者あらず 奴が捧ぐ ナオメスヤ キミキキマセハ なおめすや きみききませは 名を召すや」 君 聞きませば イマヨリハ ヤマトタケトソ いまよりは やまとたけとそ 「今よりは "ヤマトタケ" とぞ ナノラセト イイツオハレハ なのらせと いいつおはれは 名宣らせ」 と 言いつ終れば (尊敬)
ヤマトタケ オトヒコヤリテ やまとたけ おとひこやりて ヤマトタケ オトヒコ遣りて トモカラオ ミナウチヲサメ ともからお みなうちをさめ 朋族を 皆 討ち治め ツクシヨリ フナチオカエル つくしより ふなちおかえる 筑紫より 船路を帰る
アナトキヒ ワタリアラフル あなときひ わたりあらふる あなと吉備 渡りあらぶる モノコロシ ナミハカシハノ ものころし なみはかしはの 者殺し ナミハ岸端の モノヤカラ ミナコロシヱテ ものやから みなころしゑて モノ輩 皆殺し得て フソヤホノ キサラキハツヒ ふそやほの きさらきはつひ 二十八年の 二月初日 (アスズ815年) マキムキノ ミヤコニカエル まきむきの みやこにかえる 纏向の 都に帰る
ヤマトタケ モフスカタチハ やまとたけ もふすかたちは ヤマトタケ 申す形は スヘラキノ ミタマニヨリテ すへらきの みたまによりて 「皇の 神霊によりて クマソラオ ヒタニコロシテ くまそらお ひたにころして クマソらを ひたに殺して フツクムケ ニシハコトナク ふつくむけ にしはことなく 悉く平け 西は事無く タタキヒノ アナトナミハノ たたきひの あなとなみはの ただ吉備の あなと ナミハの カシハタリ アシキイキフキ かしはたり あしきいきふき 岸 はたり 悪しき息吹き (祟りて) ミチユクモ ワサハヒモトム みちゆくも わさはひもとむ 道行くも 災ひもとむ アフレモノ ウミトクカトノ あふれもの うみとくかとの あぶれ者 海と陸との ミチヒラク みちひらく 道 開く」
トキニスヘラキ ときにすへらき 時に皇 クニムケノ イサオシホメテ くにむけの いさおしほめて 国平けの 功 褒めて タマモノナシキ たまものなしき 賜物なしき
リンク先の説明文中
★印のついたものは他の文献・サイトからの引用。
■印のついたものは筆者の個人的な意見です。
【ホツマツタヱ解読ガイド】 【ミカサフミ解読ガイド】 【ふとまに解読ガイド】
【やまとことばのみちのく】 【にしのことばのみちのく】 【あめなるみち】
【ホツマツタエのおもしろ記事】