クマソ

→ 語義
  

熊襲 (曲襲)。 

中央政権に背く襲国、またその統治者の蔑称。 
クマソは「曲襲」で「反逆の襲国」というような意。

  
■「クマソ背きて貢せず」ということは、それ以前は「天に従って貢していた」ということである。また「我 聞く クマソ 兄アツカヤ 弟セカヤと」とあり、この「兄弟」は「兄ウガシ・弟ウガシ」「兄シギ・弟シギ」などと同様に「国造・県主」を指すものだと思う。つまり「クマソ」とは中央支配からの独立を試みた「襲(曽)の国造」と見る。その点においてツチグモとは区別される。但し、正規の手続を踏んで任命された国造とは限らず、その地位を略奪して国造を名乗る者かもしれない。アツカヤ・セカヤの場合は「人の頭」とあるので恐らく後者だろう。筑紫の場合は中央の直接支配ではなく、一次的にはスミヨロシの子孫が治めるという形をとっていたため、こうした反乱が起り易かったのだろうと思う。またそれが故にホオテミ以来、常にヲシカの派遣を要請してきているのだと思う。
  

『七月 クマソ背きて 貢せず オシテ捧げて 巡幸り乞ふ 八月十五日より 御幸なる』38文
クマソを議り 御言宣 "我聞くクマソ 兄アツカヤ 弟セカヤとて 人の頭 諸を集めて とす"』38文
『"矛先当たる 者あらず 少々人と数 多なれば 民の痛みぞ 矛 駆らず 平けん" とあれば』38文
クマソには フカヤヘカヤ 二娘 煌々しくも 勇めるを 重き引手に 召し入れて 隙を窺ひ 虜にす』38文
クマソ背きて また犯す 十月十三日 御言宣 オウス御子して 打たしむる』38文
『十二月に行きて クマソらが 国の盛衰 窺えば トリイシカヤが 川上に の族 群れ寄りて 安座なせば』38文
ヤマトタケ 申す形は "皇の 御霊によりて クマソらを ひたに殺して 悉く平け 西は事無く"』38文
『昔 御霊の により クマソを平けぬ 今もまた 御霊によりて 映を借り 仇の境に  行き臨み』39文
終日嘆き 宣給わく "昔クマソが 背きしも まだ総角に 平け得たり 左右に侍りて 助けしに"』40文
『人成る後に クマソまた 背けばコウス 一人行き 乙女姿と なり入りて 肌の剣で 胸を刺す』40文

  

  

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