小碓命。ヤマトタケ(日本武尊)。
オホマの神。熱田神。
景行天皇(ヤマトヲシロワケ) とイナヒヲイラツ姫の双子の一人。ヲウスと双子。斎名:ハナヒコ。
景行2年12月15日、臼端に餅花を成した時に生まれたのでハナヒコ
(双子のヲウスはモチヒト)。
景行27年12月、再び背いたクマソの征伐に向かい、これを成就。
景行40年10月、タケヒの要請に応じてヱミシ討伐に出発。シマツミチヒコ・ヒタカミミチノクを帰順させる。
景行41年、相模に戻り、大磯でオトタチバナ姫を祭った後
(吾妻神社)、自らの先神霊がソサノヲ
(ハナキネ)であったことを悟り、大宮を建ててヒカハ神を祭る
(氷川神社)。またヱミシ征討に使った武器を秩父山に奉納。ホツマ・信濃路・木曽路と巡り、尾張へ戻る。
伊吹山のイフキ神に祟られ、足を痛める。そこからイセに向かう途中、ノボノで罷り、白霊鳥と化して天に昇る。白霊鳥は大和のコトヒキハラ、河内のフルイチに各々4枚の尾羽を落としていったので、ノボノ、コトヒキハラ、フルイチそれぞれに御陵を造る。
景行44年3月、生前の希望通りに、ハラミの宮をアイチダに写した新ハラ宮が建てられ、そこに祭られる
(熱田神宮)。
ヤマトタケに対しては「ミユキ」「ミカリ」「スベラキミ」「キミ」など天皇と同格の言葉が用いられている。
ホノアカリ┐ ├┬ニギハヤヒ──────ウマシマチ タマネ姫─┘│ └タケテル(タケヒテル)─タケトメ ┌…─…─…─…─┘ : │ タカクラシタ┐ : ├アメヰダキ─アメオシヲ─┬オキツヨソ │クメ─イスキヨリ姫┘ ├建額赤彦──┐ : (カンタケより下される) └ヨソタリ姫 │ │ ┌─────────────────────────┘ : │ │ └タケヅツグサ─タケトメ─┬健宇那比命─┬タケモロズミ : ↑ │ └オオアマ姫 └…─…─…─…─…─…─┘ │ (養子) └健多乎利命─オトヨ─ミヤズ姫 ┃ ヤマトタケ
孝霊天皇┬兄ワカタケヒコ ┌イナヒヲイラツ姫┬ヲウス │ (吉備上道) ─┐ │ │ │ │統合 │ └オウス │ ↓ │ ┃ └弟ワカタケヒコ─キビツヒコ┼キビタケヒコ┬アナトタケ姫 (吉備下道) │ │ │ └御友別命─オトヒコ │ └ハリマタケヒコ
イクメイリヒコ─┐ (垂仁天皇)├───ヤマトヲシロワケ(景行天皇) ┌ (1)ヲウス ヒハス姫────┘ ┃ │ (双子) ┃ ──────────┴ (2)オウス キビツヒコ───────イナヒヲイラツ姫[内宮1]
ヤマトヲシロワケ─┐ (景行天皇)├───オウス(ヤマトタケ) ┌ (1)イナヨリワケ イナヒヲイラツ姫─┘ ┃ ├ (2)タリナカヒコ(仲哀天皇) ┃ ├ (3)ヌノオリ姫 オオタンヤワケ──────フタヂイリ姫[妻]─────┴ (4)ワカタケ ┃ キビタケヒコ───────アナトタケ姫[内妻]────┬ (5)タケミコ ┃ └ (6)トキワケ ┃ オシヤマ─────────オトタチバナ姫[典侍妻]──┬ (7)ワカタケヒコ ┃ ├ (8)イナリワケ ┃ ├ (9)アシカミカマミ ┃ ├(10)タケコカヒ ┃ ├(11)イキナガタワケ ┃ ├(12)ヰソメヒコ ┃ └(13)イカヒコ ┃ オハリ連─────────ミヤズ姫[後の妻]─────┬(14)タケダ └(15)サエキ
愛知県名古屋市熱田区神宮、熱田 (アツタ)
神宮
大阪府堺市鳳北町、大鳥 (オオトリ)
大社
滋賀県大津市神領、建部 (タケベ)
神社
静岡県静岡市清水区山切字宮平、久佐奈岐
(クサナギ) 神社
静岡県静岡市清水区草薙、草薙
(クサナギ)
神社
静岡県焼津市焼津、焼津
(ヤイヅ) 神社
『キビツヒコが姫
立つ后 播磨のイナヒ ヲイラツ姫 内侍の時に 去年四月
孕みて生まず 二十一月経て』38文
『十二月十五日
臼端に 餅花成して 双子生む 兄の名モチヒト ヲウス御子 弟の名ハナヒコ オウス御子』38文
『共に勇みて 人態は 身の丈 一背 兄は弱く 弟は二十力』38文
『ヲヲウスおよび ヤマトタケ ヰモキイリヒコ ヰモノ姫 ワカタラシヒコ トヨトワケ 六人親王の 名を帯ふる』38文
『クマソ背きて また犯す 十月十三日 御言宣 オウス御子して 打たしむる』38文
『オウス申さく "良き射手を あらば連れん"
と 皆 申す "三野のオトヒコ 秀でたり"』38文
『葛城ミヤト 遣わして 召せば
オトヒコ イシウラの ヨコタテおよび タコヰナギ チチカイナギを 率き連れて』38文
『十二月に行きて クマソらが 国の盛衰 窺えば トリイシカヤが 川上に 長の族 群れ寄りて 安座なせば』38文
『乙女姿の 衣の内 剣
隠して 和みせし 乙女の見目に 交われば 携え入るる 花筵 身を上げ
酒の 戯れや』38文
『夜更け酔えれば コウス君 肌の剣を 抜き持ちて 長が胸を 刺し徹す』38文
『長が曰く "今しばし
剣 止めよ 言あり" と 待てば "汝は 誰人ぞ" "皇の子の コウスなり"』38文
『長また言ふ "我はこれ 国の器者 諸人も 我には過ぎず 従えり 君の如くの 者あらず』38文
『奴が捧ぐ 名を召すや" 君 聞きませば "今よりは ヤマトタケとぞ 名乗らせ"と』38文
『言いつ終れば ヤマトタケ オトヒコ遣りて 朋族を みな討ち治め 筑紫より 船路を帰る』38文
『穴門・吉備
渡りあらぶる 者殺し 浪速岸端の 曲族 みな殺し得て 二十八年の 二月初日 纏向の 都に帰る』38文
『ヤマトタケ 申す形は "皇の 御霊によりて クマソらを ひたに殺して 悉く平け 西は事無く"』38文
『"ただ吉備の 穴門 浪速の 岸はたり 悪しき息吹き 道行くも 災い回む 溢れ者 海と陸との 道
開く"』38文
『時に皇 国平けの 功
褒めて 賜物なしき』38文
『ヤマトタケ "先には臣ら 西を打つ 東を打つは モチヒトぞ" 時にオホウス 慄きて』39文
『いま我思ふ 汝こそ 姿
煌しく 百力 行くに障らず 攻めば勝つ 則ち知れり 身は我が子 真は神也』39文
『我暗く 平けざる代を 継がしめて 絶えざらしむる 汝こそ 天が下領る 位なり』39文
『"深く謀りて 稜威に伏せ 恵みに懐け ほつま為し 佞まし者を 上つ治に 服わせよ"
と 授けます』39文
『御矛を受くる ヤマトタケ "昔
御霊の 振ゆにより クマソを平けぬ"』39文
『"今もまた 御霊に寄りて 振ゆを借り 仇の境に 行き臨み 服わざらば 討つべし"
と』39文
『拝みて 吉備の タケヒコと オオトモタケヒ
従えり ナナツカハギを 膳出と 十月二日に 門出して』39文
『道を横切り 七日 妹背の 神に祈りて 磯の宮 ヤマト姫にも 暇乞ひ "君の仰せに 仇討に 罷る"
とあれば』39文
『ヤマト姫 錦袋と 剣
持ち 親王に曰く "陽陰御孫 染めし火水の 御祓 火水の障り 祓ふべし』39文
『昔 出雲の 国 開く ムラクモ剣 これなるぞ 謹み受けて 仇
平けよ な怠りそ" と 授けます』39文
『ヱミシの族 攻め上る 裾野に出会ふ ヤマトタケ ヱゾら欺き』39文
『"野の鹿が 活き鑽り立ちて 踏みしだく 楉結ひして 道を知る 望み回りて 狩り給え" 君は
"実に" とや 行き回む』39文
『仇
野を焼きて 欺けば 知りて鑽火の 向ひ火に 火水の祓 三度宣る 風
吹き変り 西煙 仇に覆えば 草を薙ぐ』39文
『燃え草飛びて 仇軍 焼き滅ぼせば 焼つ野や 剣の名をも 草薙と 足柄山に 迫め到る』39文
『相模の小野の 城攻めを 固く守れば 仇輩 四方に焚木を 積み上げて 七十日
日照りに 火攻めなす 乾き燃ゆれば』39文
『ヤマトタケ 矢倉の岳に 登り見て キビタケヒコを 大磯へ オオトモタケヒ 大山の 北に回りて 城に入れ 南北に分ちて』39文
『ヤマトタケ 髪梳き清め 白橿の 太刀をハラミの 御柱と 祈る火水の 清祓』39文
『タツタの守の 現れて 熟聳池の 竜の雨 降り火を消せば 宮軍 勇みて仇を 半ば討つ』39文
『みな逃げ散れば 閧を上げ 迎ひ入る時 オト姫は 君の手を取り 安んぜて』39文
『"僕 始め 各々が まさに焼けんを 祈りまし
いま幸ひに 拝む" とて 喜び涙 袖 浸す』39文
『時 ヤマトタケ 皇軍を 上総へ渡す 軍船
漂ふ風を 静めんと オトタチバナは 舳に上り 天地祈り』39文
『"我が君の 稜威をヤマトに 立てんとす 我
君のため 竜となり 船 守らん"
と 海に入る』39文
『諸 驚きて 求むれど ついに得ざれば 波
凪ぎて 御船着きけり』39文
『ヤマトタケ 上総に入れば 榊枝に 鏡を掛けて 向かひます』39文
『カトリトキヒコ ヒデヒコと イキスオトヒコ 予て待つ オオカシマより 御饗なす』39文
『葦浦 越えて 勿来浜 仮宮に坐す』39文
『ヒタカミのミチノク シマツミチヒコと 国造五人 県主
百七十四人 万輩 タケの水門に 拒む時』39文
『タケヒを遣りて これを召す シマツの守は あらかじめ 威勢に恐れ 弓矢棄て 御前に伏して 服ひぬ』39文
『タケヒまた行く ヒタカミの ミチノクに告ぐ 差使人 ミチノク門に 出で迎え』39文
『ミチノク曰く "いま汝 人の皇 君として 仕える汝 衰えり 今来て国を 奪わんや"』39文
『タケヒの曰く "上の御子 汝を召せど 服わず 故に討つなり"』39文
『これ何の言 何の謂 それ我が国は 大御祖 タカミムスビの この国を 開きて七代 これを継ぐ』39文
『日の神ここに 道 学ぶ 故 日高みぞ 陽陰の御子 チチ姫と生む 皇子二人 兄はアスカ宮 弟はハラミ』39文
『その時国を 賜わりて 十四の裔の 我までは よその治
受けず』39文
『それの君 アスカを討ちて 国を盗る 上に違えり 故
和れず 今また来たり 盗らんとす これも上かや 皇君よ』39文
『タケヒほほえみ "これ汝 井中に住んで 沢を見ず 言
好きに似て 当らずぞ 確と聞くべし これ説かん"』39文
『昔アスカの ナガスネが 文
盗めども アスカ君 正さぬ故に "乗り下せ ホツマ方平む 天下斎船" 世に歌ふ』39文
『シホツ翁が "これ行きて 平けざらんや"と 勧む故 大和正せば 大御神 カシマの神に 御言宣』39文
『"行きて打つべし" その応え "我
行かずとも 国平けの 剣
下して タカクラに これ捧げしむ"』39文
『タケヒトは 君たる稜威の ある故に 陽陰より続く 上の御子 代々に和照る 汝
代々 君なく暦 何れぞや』39文
『答えて "イセ"
と また曰く ”和照らす上 暦 成し ソロ植えさせて 糧
増やし 身を保たしむ"』39文
『百七十九 万三千
続く この世見て いま日の輪内に 御座します 御孫の代々の 民
治む 日に擬えて 和君ぞ』39文
『汝は代々に 稔り受け 命つなぎて 未だその 君に返言 申さぬは その罪積もり 幾らぞや』39文
『抜け道ありや 我が君は 上ならずや』39文
『この時に ミチノクおよび みな伏して 服ひ来れば』39文
『ヤマトタケ ミチノク許し 勿来より 北はミチノク 国の守 百県の果穂 捧げしむ』39文
『津軽蝦夷は ミチヒコに 七十県果穂 捧げしむ』39文
『南は常陸 上総・安房 ミカサカシマに 賜りて カシマヒデヒコ トキヒコも オトヒコ三人
御衣賜ふ』39文
『国造五人 上の道 強いて申せば 召し連れて 到る新治へ』39文
『蝦夷から 上錦十機 鷲の羽の 尖矢百手 奉る 陸奥よりは 黄金十重 クマソ矢百手 奉る』39文
『この靫 重く 二百重あり 負い手求むる オオトモの 侍四人 負い替り』39文
『筑波に上り 君臣も 西南経て到る サカオリの 宮に日暮れて 灯
遅く 叱かれば応え』39文
『"靫
重く 疲れ眠りて 暮れ知らず" また言ふ四人 "合ひ待ちぞ 汝ばかりが 何ど疲る 力
厭はば 歌を詠め"』39文
『応えて "上の 御代は歌 今は力よ" 時に君 これ聞こし召し 十九初音 歌見に染めて "返せよ"
と 詠え給はる』39文
『"新治 出 筑波を過ぎて 幾夜日
寝つる"』
『諸 済さず 火灯しヨスナ 君の歌 返し申さく "かがなえて 夜には九の夜 日には十日を"』39文
『ヤマトタケ 火灯し褒めて タケタ村 他はハナフリ』39文
『タケヒをば 靫侍を兼ねて 甲斐・駿河 二国守と 殊を褒む』39文
『君 山の日は 靫休み 我が君に言ふ "統君 僕らハナフリ ソロリには タケタ賜はる 何の殊"』39文
『ついにホツマの 政事 天に通れば 悉く 纏ろふ時ぞ 歌は地 力は値 賜はりし』39文
『"君は神か" と みな愛つむ』39文
『去年より続き 陽陰晴れて 一月二十八日 み雪降り 君
ソリに召し 行き到る 相模の館に 入りませば』39文
『野に片鐙 トラガシハ 拾ひ考え 鐙
挿し 今 奉る 尊飾り 褒めて賜わる 村の名も タマカワアフミ』39文
『身差し国 相模の国と モトヒコに 名付け賜わる 国つ守』39文
『マチカ・テチカの 臣二人 ヲトタチハナの 櫛と帯 得れば嘆きて 姫のため 連り天引の 祭なす』39文
『これソサノヲの オロチをば 連りヤスカタ 神となし ハヤスヒ姫も アシナヅチ 七姫
祭る 例し以て』39文
『形見をここに 塚となし 名も吾妻守[東守] 大磯に 社を建てて 神祭』39文
『ハナヒコは 我が先神霊 知ろしめし 川間の野に オホミ社を 建てて祭らす ヒカワ神 軍器は 秩父山』39文
『二月八日に 国周り 纏らふ標 橘籠を 屋棟に捧げ "事納" ホツマの代々の 慣わせや』39文
『碓氷の坂に ヤマトタケ 別れし姫を 思ひつつ 東南を望みて 思ひ遣り 形見の歌見 取り出だし見て』
『"真々し 相模の小野に 燃ゆる日の 火中に立ちて 訪ひし君はも"』39文
『これ三度 吾妻あわやと 嘆きます "吾妻"
の基や』39文
『追分に キビタケヒコは 越路行く 国盛衰を 見せしむる』39文
『タケヒは先に 相模より ヱミシの土産
持ち上り 帝に捧げ 悉く 纏らふ形 申さしむ』39文
『一人御幸の ヤマトタケ 信濃・木曾路は 山高く 谷かすかにて 葛折 懸橋伝ひ 馬行かず 雲分け歩み』39文
『飢え疲れ 峰の御饗に 現る白鹿 前に息吐き 苦しむる 君は知ろして 蒜一つ 弾けば眼 打ち殺す』39文
『なお雲覆ひ 道絶つを 火水の祓ひ 三度宣る シナトの風に 吹き払ふ』39文
『神の白狗 導きて 美濃に出づれば タケヒコも 越より帰り ここに会ふ』39文
『先に木曾路の 衰え臥すも 祓ひ免る "鹿の道は 蒜を噛み塗り 邪息に 当らじもの"
と 語り給ひき』39文
『纏向の 日代の暦 四十一年春 ヤマトタケ君 木曾路より 到る尾張の タケトメが 孫の連の 家に入る』40文
『妻 ミヤズ姫 都より 送りて父が 家に待つ いま君ここに 月を越す』40文
『サカオリの 宮は昔の ハラの宮 なお永らえり 我が願ひ 写して姫と 楽しまん』40文
『連申さく "臣
行きて 絵描き写さん" 君
笑悦す 連 下りて サカオリの 宮を詳しく 絵に写し 返言すれば』40文
『ヤマトタケ あらぶる神の 荒るを聞き 剣
解き置き 軽んじて 到る神方に 和幣無く』40文
『行き過ぐ道に イフキ神 大蛇
成して 横たわる』40文
『神とは知らず ヤマトタケ "これ汝 あれかた神の 使ひなり あに求むるに 足らんや"
と』40文
『踏み越え行けば イフキ神 氷
降らして 活を奪ふ』40文
『強いて凌ぎて 押し歩み 僅か出で行く 心酔ひ 燃ゆる如くに 熱ければ 泉に冷ます 冷が井や』40文
『御足傷むを やや悟り 尾張に帰り ミヤツ姫の 家に入らずて 伊勢の道 尾津の一松』40文
『これ昔 ホツマ下りの 御饗時 解き置く剣 松の根に 置き忘れしが 永らえり 故に上げ歌』40文
『"放忘れど 直に迎える 一つ松 あはれヒトマツ 人にせば 衣着せましを 太刀佩けましを"』40文
『いささか[伊坂]に 慰み行けど 足傷み 妙に曲がれば 妙村ぞ 費え尽き境も やや越えて』40文
『能褒野に傷み 重ければ 虜五人を 宇治に遣り カシマ尊の 添人ぞ』40文
『キビタケヒコは 都方へ 上せ申さく その文に "ハナヒコ申す 臣
昔 御言を受けて ホツマ打ち"』
『"天の恵みと 稜威により あらぶる守も 服えば 悉く治めて 今ここに
帰れば命 夕付く日"』
『"乞ひ願わくは 何時の日か 御言返さん 野に臥して 誰と語らん 惜しむらく まみえぬことよ 陽陰の法かな"』40文
『"我 東西を平け 事成れば身を 滅ぼせる 僕ら休ます 日も無き"
と ナツカハギして ハナフリを みな分け賜ひ』40文
『"歌詠めば アツタの神と 早なる"
と 湯浴み
衣を替え 南に向ひ 人身辞むの 歌はこれぞと '熱治宣'』40文
『"辞む時 東西の使人と 父母に 仕え満てねど サコクシロ 神の八手より 道受けて 生れ楽しむ"』40文
『"還さにも 誘ひちどる 懸梯を 登り霞の 楽しみを 曇に待つと 人に答えん"』40文
『百歌ひ ながら眼を閉ぢ 神となる 為すこと無くて 営みす 歌は尾張へ』40文
『時に骸 なる霊鳥 出づれば諸と 御陵の 御棺を見れば 冠と 笏と御衣裳と 留まりて』40文
『空しき殻の 白霊鳥 追ひ尋ぬれば 大和国 琴弾原に 尾羽四枝
置きて河内の 古市に また四羽落つる』40文
『其所此所に 成す御陵の 白鳥も つひに曇に 飛び上る』40文
『尾羽はあたかも 上の治の 世掃しぞ
これ 東西もみな 足せば罷れる 陽陰法ぞ』40文
『この君 日代 皇の 二の御子
母は イナヒ姫 十二月の十五日に 餅つきて
餅花 成して 双子生む』40文
『ヲウス モチヒト 弟はコウス ハナヒコもこれ 斎の名ぞ』40文
『人成る後に クマソまた 背けばコウス 一人行き 乙女姿と なり入りて 肌の剣で 胸を刺す』40文
『タケル "しばし"
と 止め言ふ "汝は誰ぞ" "我はこれ いざ皇の 子のコウス"』40文
『"ヤマトには 我に長けたは 御子ばかり 故
御名付けん 聞きますや" 許せば捧ぐ 'ヤマトタケ'』40文
『御子
名を替えて 討ち治む 天の誉れや』40文
『ヤマトタケ イマスの孫の タンヤが姫 フタヂイリ姫 生む御子は』40文
『イナヨリワケの タケヒコと タリナカヒコの カシキネと ヌノオリ姫と ワカタケぞ』40文
『キビタケヒコが アナトタケ 内妻に生む タケミコと トキワケとなり』40文
『オシヤマが オトタチバナを 典侍妻に ワカタケヒコと イナリワケ』40文
『アシカミカマミ タケコガヒ イキナガタワケ ヰソメヒコ イガヒコら生む』40文
『尾張が姫 ミヤズ姫また 後の妻 タケダとサエキ 二人生む 十四男一女あり』40文
『先の妻 みな枯れ 今は ミヤツ姫 一人会わんと ハラミより 心細くも 懸梯を 凌ぎ上れば』40文
『ミヤツ姫 寝巻のままに 出で迎ふ 姫の裳裾に 月穢の 染みたるを見て ヤマトタケ 短歌して』40文
『"久方の 天の橘山 遠離方より 岨渡り来る日 細嫋 腕を巻かん とはすれど"』40文
『添ねんと吾は 思えども 汝が着ける襲の 月立ちにけり"』40文
『姫返し歌 "高光る 和の日の御子 和みせし[八隅せし] 我が大君の 新玉の 年が来ふれば"』40文
『"宜な宜な 君待ち難に 我が着ける 襲の裾に 月立たなんよ"』40文
『ヤマトタケ 叔母より賜ふ ムラクモを 姫が家に置き 伊吹山 帰り伊勢路に 傷むとき 館を歌ひ』40文
『"愛しきやし 我家の方ゆ 雲
出立ち来も [曇館来も]"』40文
『遺し歌 御子や親族に 居り合いの 十九は 館で 出で立つは 旅屋に会える 客人と』40文
『迷ひ残さぬ 諭し歌 深き心の 導きぞこれ』40文
『能褒野にて 神なる時に 遺し歌 ミヤズ姫へと "アイチタの 乙女が床に 我が置きし 妹背の連きの 断ち別るやわ"』40文
『このワカは 妹背の道は 連なりて 断ち別るれど 連りの緒は 切れはせぬぞと 導きを 立つる陽陰法』40文
『父はハラミの 絵を写し 都に上り 若宮の 願ひのままを 申し上げ アイチタに建つ 宮
成りて』40文
『厳かに 琴弾原の 御陵に 落ちし尾羽四つ 古市の 尾羽四つ共に 持ち来たり』40文
『能褒野の冠 笏
御衣裳 御霊笥に入れ 白神輿』40文
『日代四十四年 三月十一日 黄昏よりぞ 神輿行き
能褒野を東 諸司 掲む灯燃』40文
『先駆は 榊に二十人 副代人 サルタヒコ神 御顔当 代人八人は 八元幡』40文
『大代殿は 冠
御衣 御柱持ちて 臣八人』40文
『オシヤマ宿禰 冠 御衣 世掃し持ちて 臣六人 キビタケヒコも 同じ前』40文
『オオタンヤワケ 冠
御衣 剣
捧げて 臣十人』40文
『神輿・天覆ひ 長の臣 家侍人三十人 神尾末は 絹二流れ 四丈八尺 御子
神尾末に 縋り行く アマテル神の 遺る法』40文
『斎ひ差使 臣十二人 付き
神逝守』40文
『諸 継がひ みな送り行く 夜中まで かく六夜到り ハラ宮の オホマの殿に 神輿坐す』40文
『世に坐す如く ミヤズ姫 鑽り火の粥を 盛る平瓮 頂き
先に 入り待ちて 神前に供え 申さくは』40文
『"この御供 昔 伊吹より 帰さに捧ぐ 昼飯を 自ら炊ぎ 待ち居れど 寄らで行きます 千々悔み"』40文
『"今また来ます 君の神 むべ受け給え ありつ代の アヒチタに待つ 君が昼飯"』40文
『三度宣り 十六夜月の 朗光に 白霊鳥来て これを食み 現る白雲に 神の声 応ふ十九歌』40文
『"ありつ代の 腹満つ欲しき 塵を放る飯"』40文
『奇霊を 真に畏れ 拝み去る オホマ殿より 宮遷し 差使
和幣 御言上げ』40文
『この時御使 タタネコと 尾張連と 新ハラの オホマの神と 名付くなり』40文
『神送る時 世を辞む 塵放る飯と 遺るなり』40文
『五十三年八月 御言宣 "返り思えば 止む日無し
コウスが平けし 国巡り なさん"
と 伊勢に 御幸成り』40文
『その夜の夢に ツシマ杜 白霊鳥なる ヤマトタケ』40文
『大神 ソサノヲに 曰く
"如何ぞ 国 望む" 陽陰法成せば 国の守 教えの歌に』40文
『"天が下 和して恵る 日月こそ 晴れて明るき 民の父母" これ解けず 罪に落つるを イフキ神 率きて守とす』40文
『ニニキネは この心以て ほつま得て 和君となる 羨みて 仮の親子ぞ』40文
『御言受け 東西平け 還る 上・賤が まみえて臍ち 熱さ治す 父母の恵み 倦まざるや』40文
『折り数え歌 "我が光る 晴見つ錦 アツタ神 元つ粗衣に 復れるか
ヒカワ" 三度宣べ 賎の姿に 雲隠れ』40文
『君
覚め曰く 神の告げ "我は賎しき ヒカワ神 元に返る"
と 恵み凝る 迷いを諭す 示しなり』40文
『昔曰くは 人は神 神は人なり 名も褒まれ 満ち立つ典の 神は人 人
素直にて ほつま行く まこと神なり』40文
『告げにより 名もアツタ神 ミヤズ姫 斎に比べ 神主も 宮司並み』40文
『トラガシハ 然かき御姿 奉る 君
見給えば ヤマトタケ 生ける姿に 会ふ如く』40文
『上が代の 経矛の道も やや倒ふ 枯れを治むる ヤマトタケ 神に還さの 遺し文』ミ序
『然れど道も 諸家に 造作 違えば ホツマ文 著す時に
アツタ神』ミ序
『告げて君には "橘御機" 押させ給えば 鏡臣 麓社の 文
奉ぐ』ミ序
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