孕みの宮。蓬莱身の宮。
=ハラ宮・サカオリ宮
ハラミとは、(1)二尊がアマテルを孕んだ山。(2)ハ=蓬、ラ=莱、ミ=身
の千代三草が生える山。
イサナキ・ミは八島生みの後、タガ宮に遷るまでここで政を執る。
アマテルはこの宮で生まれ16歳までいた。
アマテルはその後、ヒタカミのトヨケの下でアメナル道を学ぶが、後にこの地に戻り『ヤスクニ宮
(=ト下宮)』に新築し即位する。イセの『イワサ宮』に移るまではここが都であった。
ニニキネはここに『ハラアサマ宮』を建造し遷都する。それをムメヒト(ホノアカリ)
が受け継ぐ (ムメ大宮)。
宮の所在は少しずつ違うのかもしれないが、ハラミ山麓が古代から文明の一大拠点だったことは疑いない。
サカオリ宮 (イサナキ・ミ) → ヤスクニ宮
(アマテル) → ハラアサマ宮 (ニニキネ) →
ムメ大宮 (ムメヒト)。
■富士市の海岸部に『原・蒲原・吉原・厚原・原田・柏原』など「原」の付く地名が多く残る所から、ハラミの宮は現在の富士市の海岸部にあったと推測している。
■冨士川河口の川岸に『宮下』という地名があるが、この『宮』は何を指しているのだろう?
『ニハリの宮の 十八万年に 新民
増えて 名も高き ハラミの宮に 民を治し ついに地上 ホツマ
成る』序
『アワ歌に 治むハラミの 宮に居て すでに八州の 国
生みて "如何んぞ君を 生まん" とて』3文
『初日の出 若日と共に 生れませば 斎名ワカヒト 産宮は ハラミサカオリ』28文
『日の神ここに 道
学ぶ 故 日高みぞ 陽陰の御子 チチ姫と生む 皇子二人 兄はアスカ宮 弟はハラミ』39文
『父はハラミの 絵を写し 都に上り 若宮の 願ひのままを 申し上げ アイチタに建つ 宮
成りて』40文
『和照らす 君を還道に 永らえと 太陽山下の ト下宮 新に造りて 悉
成るを』ミ4文
『これいまハラの 宮の名も ト下と言いて 代々の名也』ミ6文
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