愛知多 (零沈)。
古代の伊勢湾を囲む海岸の東側全体を指す地名 (名古屋市・東海市・知多市の海岸部)。
後の年魚市潟。川間の野
や ヤスカタ(安方)」と同義。
ミヤヅ姫の父・尾張連の館はここにあった
(火上姉子神社)。
またこの地にヤマトタケの生前の希望通りに、サカオリ宮を模した宮を建てる
(熱田神宮)。
★『from 尾張名所図会を巡る』
愛知郡の海辺 (現在の名古屋市熱田区から南区) のことを年魚市潟(あゆちがた)
と呼んでいるが、古歌には知多の浦や氷上 (現在の緑区大高町)
あたりも含まれている。したがって年魚市潟は熱田から知多のあたりまでを含むことになる。年魚市潟は熱田区から緑区の範囲に広がっていた遠浅の海岸線のことを指していたと思われる。しかし現在、年魚市潟と呼ばれていた範囲は新田開発などによって陸地となっている。この年魚市潟は『万葉集』に「年魚市潟 潮干(しほひ)
にけらし 知多の浦に 朝こぐ舟も沖に寄る見ゆ」とあり、その歴史は古い。この「年魚市(あゆち)」は「愛知(あいち)」の語源になったと言われている。また、熱田(あつた)
の語源も年魚市潟(あゆちがた)
が由来であるとする説もある。
★『櫻田へ たづ鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 潮干にけらし たづ鳴き渡る』万三
■名古屋市港区に知多という町名 (熱田神宮の西方)。
『能褒野にて 神なる時に 遺し歌 ミヤズ姫へと "アイチタの 乙女が床に 我が置きし 妹背の連きの 断ち別るやわ"』40文
『父はハラミの 絵を写し 都に上り 若宮の 願ひのままを 申し上げ』40文
『アイチタに建つ 宮
成りて 渡座し乞えば 御言宣 "タタネコ
斎ふ 差使人 連
代殿 御子達を 神逝の供え"』40文
『"今また来ます 君の神 むべ受け給え ありつ代の アヒチタに待つ 君が昼飯"』40文
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