ハラミの宮は、サカオリ宮という名以外にも、トシタ宮 (トの尊の時代)、ヤスクニ宮 (アマテル時代)、ハラアサマ宮 (ニニキネ時代)、ムメ大宮 (ムメヒト時代) などの名がある。
二尊も一時ここを都とし、アマテルはここで生まれる。
アマテルはヒタカミからここに戻り、ヤスクニ宮を新築して即位し、ここを都とする。
ニニキネはタチカラヲをしてハラミの裾野を田にした後、サカオリの宮に入る。当時オオヤマスミのマウラがこの宮を預かっていた。ニニキネはサカオリ宮をハラアサマ宮に建て替える。
■サカオリ宮は『ハラミのサカオリ宮』と『スワのサカオリ宮』の二ヶ所に在ったように思われる。スワサカオリ宮はスルガ宮とも言った。スルガは今の駿河ではなく甲府辺りを言い、諏訪の国に属したのではないだろうか。
■孝霊天皇の治世から五百年ほど前に、ハラミ山は噴火している。これによりハラミサカオリは危機に曝される。幸いに最悪の被害は免れたものの、これがスワサカオリ建設の契機となったと推測する。
■ヤマトタケが東征の帰路に立ち寄ったのは『スワサカオリ』であり、一方、ハラの宮を写して楽しみたいとしたサカオリ宮は『ハラミサカオリ』であろう。その頃『ハラミサカオリ』は姿を留めはするものの、既に廃宮となっていたものと思われる。
■ハラミのサカオリ宮は、現在の富士市の海岸部に『原・蒲原・吉原・厚原・原田・柏原』など「原」の付く地名が多く残る所から、この辺りであったと推測している。
■冨士川河口の川岸に『宮下』という地名があるが、この『宮』は何を指しているのだろう?
『"二十年に 渫えなせ" とて サカオリの 宮に入ります 預りの オオヤマスミが 御饗なす』24文
『諸人驚き 火を消して 姫
引き出し 御輿以て 宮に送りて イセに告ぐ』24文
『シロコの桜 生れ日に 咲きて絶えねば 陽陰御孫 カモ船早く とばさせて オキツに着けば 雉飛びて サカオリに告ぐ』24文
『行く皇宮は ヤマスミの 道迎えして 御所に スワ守
会えば すばしりて サカオリ宮に 入りまして』24文
『君 サカオリの 付くる名も ハラアサマ宮 装いは 黄金を飾り 玉大殿 漆彩り 懸橋の 滑れば木綿の 足袋つけて 懸橋執ふ 旅姿』24文
『時 二十一鈴 百二十五枝 三十一キシヱの 初日の出 若日と共に 生れませば 斎名ワカヒト 産宮は ハラミサカオリ』28文
『九十二年 春 スルガ宮 ハフリ
ハラの絵 奉る 御子申せども 君 受けず』31文
『スワハフリ ハラ山の絵を 奉る 君これを褒む 同じ時 シラヒゲの孫 アメミカゲ アワ海の絵を 奉る』32文
『スワサカオリの タケヒテル 御饗して待つ 山登り 下るスバシリ 裾
巡り ムメ大宮に 入り居ます』32文
『纏向の 日代の四十年 六月 ホツマ
騒げば サカオリの タケヒ
上りて 恵り 請ふ』39文
『サカオリの 宮は昔の ハラの宮 なお永らえり 我が願ひ 写して姫と 楽しまん』40文
『連申さく "臣
行きて 絵描き写さん" 君
笑悦す 連 下りて サカオリの 宮を詳しく 絵に写し 返言すれば』40文
『父はハラミの 絵を写し 都に上り 若宮の 願ひのままを 申し上げ アイチタに建つ 宮
成りて』40文
『これ今 ハラの宮の名も ト下と言いて 代々の名の』ミ6文
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