※29文〜40文は、地名については原義と異なると思われる場合でも、現在一般に使用されている漢字で表記しています。
【原文カタカナ訳】 【語義考察】 【漢字読み下し】 フシトアワウミミツノアヤ ふしとあわうみみつのあや ふじとあわ海 見つの文
【孝霊天皇】
トキアスス ヨモフソヤトシ ときあすす よもふそやとし 時アスズ 四百二十八年 ハツソフカ アマツヒツキオ はつそふか あまつひつきお 一月十二日 和つ日月を ウケツキテ ヤマトフトニノ うけつきて やまとふとにの 受け継ぎて ヤマトフトニの (孝霊天皇) アマツキミ イムナネコヒコ あまつきみ いむなねこひこ 和つ君 斎名ネコヒコ モロハカリ アメノミマコノ もろはかり あめのみまこの 諸 議り 陽陰の御孫の (ニニキネ) ノリオモテ タミニオカマセ のりおもて たみにおかませ 典を以て 民に拝ませ <御飾りを> ハハオアケ ミウエキサキト ははおあけ みうえきさきと 母を上げ 御上后と (オシ姫)
コソシハス ヨカニクロタノ こそしはす よかにくろたの 去年十二月 四日に黒田の イホトミヤ ウツシテコトシ いほとみや うつしてことし 廬戸宮 移して今年 ハツコヨミ はつこよみ 初暦
フトシキサラキ ふとしきさらき 二年二月 (アスズ429年) ソヒニタツ シキノオオメカ そひにたつ しきのおおめか 十一日に立つ 磯城のオオメが (他動詞) ホソヒメオ キサキソカスカ ほそひめお きさきそかすか ホソ姫を 后ぞ 春日 (内宮) チチハヤカ ヤマカヒメナル ちちはやか やまかひめなる チチハヤが ヤマカ姫なる スケキサキ トイチマソヲカ すけきさき といちまそをか 典侍后 十市マソヲが マシタヒメ ココタエトナル ましたひめ ここたえとなる マシタ姫 勾当となる ウチヨタリ オシモモヨタリ うちよたり おしももよたり 内(侍)四人 乙下も四人
ミトシハル オオミナクチト みとしはる おおみなくちと 三年春 オオミナクチと (アスズ430年) オオヤクチ トモニスクネト おおやくち ともにすくねと オオヤクチ 共にスクネと
ナツウチメ ヤマトクニカカ なつうちめ やまとくにかか 夏 内侍 ヤマトクニカが ミツコウム ナハミナヤマト みつこうむ なはみなやまと 三つ子生む 名は皆ヤマト モモソヒメ ヰサセリヒコニ ももそひめ ゐさせりひこに モモソ姫 ヰサセリヒコに ワカヤヒメ ハハモヤマトノ わかやひめ ははもやまとの ワカヤ姫 母も "ヤマトの オオミヤメ おおみやめ 大宮姫"
ソヒフユイモト そひふゆいもと 十一年冬 妹 (アスズ438年) ハエオウチ ソミシハスハツ はえおうち そみしはすはつ ハエを内(侍) 十三年十二月一日 (アスズ440年) ハエヒメモ マタミツコウム はえひめも またみつこうむ ハエ姫も また三つ子生む ナハヱワカ タケヒコノナカ なはゑわか たけひこのなか 名は兄ワカ タケヒコの 中 ヒコサシマ トワカタケヒコ ひこさしま とわかたけひこ ヒコサシマ 弟ワカタケヒコ ハハモアケ ワカオオミヤメ ははもあけ わかおおみやめ 母も上げ "若大宮姫"
ソヤホハル ハツモチキサキ そやほはる はつもちきさき 十八年春 一月十五日 后 (アスズ445年) (ホソ姫) ウムミコハ ヤマトネコヒコ うむみこは やまとねこひこ 生む御子は ヤマトネコヒコ (孝元天皇) クニクルノ イミナモトキネ くにくるの いみなもときね クニクルの 斎名モトキネ
フソヰハル イツモハツソヒ ふそゐはる いつもはつそひ 二十五年春 いつも一月十一日 (アスズ453年) アカタメシ ミナモノタマヒ あかためし みなものたまひ 県召し みな物賜ひ (県召除目) →30文 ミコトノリ モシヒハラミコ みことのり もしひはらみこ 御言宣 「もし一孕三子 ウムモノハ ミカトニツケヨ うむものは みかとにつけよ 生む者は ミカドに告げよ シタタミモ タマモノアルソ したたみも たまものあるそ 下民も 賜物あるぞ ソノユエハ アメノミマコノ そのゆえは あめのみまこの その故は 陽陰の御孫の (ニニキネ) サクヤヒメ ミツコウムヨリ さくやひめ みつこうむより サクヤ姫 三つ子生むより ノチキカス のちきかす 後聞かず
ワレイマミツコ われいまみつこ 我いま三つ子 ウムニツキ ホノカニキケハ うむにつき ほのかにきけは 生むにつき 仄かに聞けば ミツコオハ マヒクトナツケ みつこおは まひくとなつけ 三つ子をば "間引く" と名付け コロストヤ イマヨリアラハ ころすとや いまよりあらは 殺すとや 今よりあらば ツミヒトソ ワカコモヒトハ つみひとそ わかこもひとは 罪人ぞ 『我が子も人は 己が子とて人たるは皆 アメノタネ シカイヌチヨリ あめのたね しかいぬちより 陽陰の胤 鹿・犬 千より →ミ1文 ヒトヒトリ タケミナカタノ ひとひとり たけみなかたの 人ひとり』 タケミナカタの ノリナリト ミコトサタマル のりなりと みことさたまる 宣なり」と 御言定まる クニツカサ タミニフレント くにつかさ たみにふれんと 国司 民に触れんと モロカエル もろかえる 諸 帰る
アスソフカアサ あすそふかあさ 明十二日朝 スワハフリ ハラヤマノヱオ すわはふり はらやまのゑお 諏訪ハフリ ハラ山の絵を タテマツル キミコレオホム たてまつる きみこれおほむ 奉る 君これを褒む オナシトキ シラヒケノマコ おなしとき しらひけのまこ 同じ時 シラヒゲの孫 (ホノススミ) アメミカケ アワウミノヱオ あめみかけ あわうみのゑお アメミカゲ アワ海の絵を タテマツル キミオモシロク たてまつる きみおもしろく 奉る 君おもしろく タマモノヤ たまものや 賜物や
アルヒカスカニ あるひかすかに ある日春日に (チチハヤ) ノタマフハ ワレムカシコノ のたまふは われむかしこの 宣給ふは 「我 昔この ヱオミレト アテナテタカク ゑおみれと あてなてたかく 絵を見れど 宛無で貴く →31文 コレオスツ イマヤマサワノ これおすつ いまやまさわの これを棄つ いま山・沢の ヱアワセハ ワリフタアワス ゑあわせは わりふたあわす 絵合せは 割札合わす ヨキシルシ ハラミノヤマノ よきしるし はらみのやまの 吉き兆 ハラミの山の ヨキクサモ ヰモトセマエニ よきくさも ゐもとせまえに 吉き草も 五百年前に (上鈴▲50年頃) ヤケウセシ タネモフタタヒ やけうせし たねもふたたひ 焼け失せし 胤も再び ナルシルシ ニオウミヤマオ なるしるし におうみやまお 生る兆 ニオ海 山を ウルホセハ チヨミルクサモ うるほせは ちよみるくさも 潤ほせば 千齢見る草も ハユルソト タノシミタマヒ はゆるそと たのしみたまひ 生ゆるぞ」 と 楽しみ給ひ
ミソムトシ ハツハルソカニ みそむとし はつはるそかに 三十六年 初春十日に (アスズ463年) モトキネオ ヨツキトナシテ もときねお よつきとなして モトキネを 代嗣となして ミテツカラ ミハタヲリトメ みてつから みはたをりとめ みてづから 御機織留 サツケマシ コレアマカミノ さつけまし これあまかみの 授けまし 「これ天神の <て> オシテナリ アサユフナカメ おしてなり あさゆふなかめ オシテなり 朝夕眺め カンカミテ タミオヲサメヨ かんかみて たみおをさめよ 鑑みて 民を治めよ」 ヨソホヒオ タミニオカマセ よそほひお たみにおかませ 装ひを 民に拝ませ (上代の例)
ヤヨヒナカ ハラミヤマエト やよひなか はらみやまえと 三月七日 ハラミ山へと ミユキナル ソノミチナリテ みゆきなる そのみちなりて 御幸なる その道 成りて クロタヨリ カクヤマカモヤ くろたより かくやまかもや 黒田より 香具山 賀茂や タカノミヤ スワサカオリノ たかのみや すわさかおりの 多賀の宮 諏訪サカオリの (甲府の酒折宮) タケヒテル ミアエシテマツ たけひてる みあえしてまつ タケヒテル 御饗して待つ (=タケテル) ヤマノホリ クタルスハシリ やまのほり くたるすはしり 山 登り 下るスバシリ (ハラミ) スソメクリ ムメオオミヤニ すそめくり むめおおみやに 裾 巡り 梅皇宮に イリヰマス いりゐます 入り居ます
カスカモフサク かすかもふさく 春日申さく (チチハヤ) ミネニヱル ミハノアヤクサ みねにゑる みはのあやくさ 「峰に得る 御衣の紋草 →24文 チヨミカヤ モロクワントテ ちよみかや もろくわんとて 千齢見かや 諸 食わんとて ニテニカシ タレモヱクワス にてにかし たれもゑくわす 煮て苦し 誰も得食わず」
ナカミネノ アテハアワウミ なかみねの あてはあわうみ 「中峰の 充てはアワ海 ヤツミネハ スソノヤツウミ やつみねは すそのやつうみ 八峰は 裾の八湖 →24文 ミツウマリ ヤクレトナカハ みつうまり やくれとなかは 三つ埋まり 焼くれど眺は (自下二) 噴火しても カワラシト ミツクリノウタ かわらしと みつくりのうた 変らじ」 と 御作りの歌
ナカハフリ ナカハワキツツ なかはふり なかはわきつつ 『なかば旧り なかば沸きつつ 或る時は朽ち崩れ、また或る時は噴出しつつ コノヤマト トモシツマリノ このやまと ともしつまりの 九の山と 共しつまりの (中峰+八峰) 不二一体の コノヤマヨコレ このやまよこれ 熟山よこれ』
カクヨミテ ヤマノサラナト かくよみて やまのさらなと かく詠みて 山の新名と オホストキ タコノウラヒト おほすとき たこのうらひと 思す時 たごの浦人 (海縁の人) フチノハナ ササクルユカリ ふちのはな ささくるゆかり 藤の花 捧ぐるゆかり [縁の餞] ハラミヱテ ナオウムミウタ はらみゑて なおうむみうた 孕み得て 名を生む御歌
ハラミヤマ ヒトフルサケヨ はらみやま ひとふるさけよ 『ハラミ山 ひとふる咲けよ だたひたすら栄えよ フシツルノ ナオモユカリノ ふしつるの なおもゆかりの "付し連る" の 名をもゆかりの [藤連る]
コノヤマヨコレ このやまよこれ 熟山よこれ』
コレヨリソ ナモフシノヤマ これよりそ なもふしのやま これよりぞ 名も "フジの山"
ミナミチオ ミヤコニカエリ みなみちお みやこにかえり 南道を 都に帰り 東海道を ムメミヤノ ハフリホツミノ むめみやの はふりほつみの 梅宮の ハフリ 穂積の オシウトニ イツアサマミコ おしうとに いつあさまみこ 治人に イツアサマ御子 (ムメヒト・サクラギ・ウツキネ) ヤマツミノ ヨカミウツシテ やまつみの よかみうつして ヤマツミの 四神移して (マウラ) ヤスカワラ やすかわら "和す河原" 纏る河原
トキタケヒテル ときたけひてる 時タケヒテル タマカワノ カンタカラフミ たまかわの かんたからふみ たまかわの 神宝文 伝来の タテマツル コレアメミマコ たてまつる これあめみまこ 奉る これ陽陰御孫 (ニニキネ) ハラヲキミ ソノコカミヨノ はらをきみ そのこかみよの ハラ皇君 その子 上代の (ムメヒト) (タケテル) ミノリヱテ イマニナカラエ みのりゑて いまになからえ 御法得て 今に永らえ
キミヱミテ コノタケトメオ きみゑみて このたけとめお 君 笑みて 子のタケトメを トミニコフ タケツツクサノ とみにこふ たけつつくさの 臣に請ふ タケツツクサの マツリツク タケタノヲヤソ まつりつく たけたのをやそ 纏り継ぐ タケタの親ぞ (健田背) カンタカラ イツモニオサム かんたから いつもにおさむ 神宝 出雲に収む (杵築宮)
ヰソミトシ ニシナカオエス ゐそみとし にしなかおえす 五十三年 西中負えず (アスズ480年) 治まらず チノクチト ハリマヒカワニ ちのくちと はりまひかわに チノクチと 播磨ヒカワに インヘヌシ ヤマトヰサセリ いんへぬし やまとゐさせり 斎瓮主 ヤマトヰサセリ コレニソエ ヱワカタケヒコ これにそえ ゑわかたけひこ これに添え 兄ワカタケヒコ キヒカンチ トワカタケヒコ きひかんち とわかたけひこ 吉備上方 弟ワカタケヒコ キヒシモチ ソノワケトキテ きひしもち そのわけときて 吉備下方 その分け 融きて その離反を融和して マツロワス イササワケエハ まつろわす いささわけえは 服わす イササワケへは ヒコサシマ コシクニオタス ひこさしま こしくにおたす ヒコサシマ 越国を治す
ナソムトシ キサラキヤカニ なそむとし きさらきやかに 七十六年 二月八日に (アスズ503年) キミマカル トシモモソヤソ きみまかる としももそやそ 君 罷る 歳百十八ぞ (128歳の間違いか) ミコノモハ ヨソヤニヌキテ みこのもは よそやにぬきて 皇子の喪 四十八に脱ぎて (モトキネ) トミトトム ムトセタツマテ とみととむ むとせたつまて 臣 留む 六年経つまで (旧臣には引続き 霊魂を祭らせる) ミアエナス イマスコトクニ みあえなす いますことくに みあえなす 居ます如くに ウヤマヒテ トミモヨオサリ うやまひて とみもよおさり 敬ひて 臣も世を去り カリトノニ ヲヤニツカフル かりとのに をやにつかふる 仮殿に 親に継がふる <遷都せず> マコトナルカナ まことなるかな 真なるかな
【孝元天皇】
トキアスス ヰモヨホムツキ ときあすす ゐもよほむつき 時アスズ 五百四年一月 ソヨカキミ アマツヒツキオ そよかきみ あまつひつきお 十四日 君 和つ日月を ウケツキテ ヤマトクニクル うけつきて やまとくにくる 受け継ぎて ヤマトクニクル (孝元天皇) アマツキミ アメノミマコノ あまつきみ あめのみまこの 和つ君 陽陰の御孫の タメシナリ カサリオタミニ ためしなり かさりおたみに 例なり 飾りを民に (ハラの法) オカマセテ ミウエキサキト おかませて みうえきさきと 拝ませて 御上后と (ホソ姫) ハハオアケ ソフノツホネニ ははおあけ そふのつほねに 母を上げ 十二の局に キサキタツ きさきたつ 后立つ (他動詞)
ヨトシノヤヨヒ よとしのやよひ 四年の三月 (アスズ508年) ニイミヤコ カルサカヒハラ にいみやこ かるさかひはら 新都 軽境原 ヰホセミナ ウチウツシコメ ゐほせみな うちうつしこめ 五年六月 内(侍)ウツシコメ (アスズ509年) ウムミコハ ヤマトアエクニ うむみこは やまとあえくに 生む御子は ヤマトアエクニ オオヒコソ おおひこそ オオヒコぞ
ムホナツキムカ むほなつきむか 六年九月六日 (アスズ510年) イホトミヤ オモムロオサム いほとみや おもむろおさむ 廬戸宮 骸 納む (孝霊天皇) ムマサカヤ むまさかや 馬坂や
ナホキサラフカ なほきさらふか 七年二月二日 (アスズ511年) ウツシコメ ウチミヤトナル うつしこめ うちみやとなる ウツシコメ 内宮となる ウツシコヲ ナルケクニトミ うつしこを なるけくにとみ ウツシコヲ なる食国臣
シワスハツ ヒノテニキサキ しわすはつ ひのてにきさき 十二月一日 日の出に后 ウムミコハ イムナフトヒヒ うむみこは いむなふとひひ 生む御子は 斎名フトヒヒ ワカヤマト ネコヒコノミコ わかやまと ねこひこのみこ ワカヤマト ネコヒコの御子 (開化天皇)
コホノナツ アメヨソカフリ こほのなつ あめよそかふり 九年の夏 雨 四十日降り (アスズ513年) ヤマシロタ アワウミアフレ やましろた あわうみあふれ 山背田 アワ海あふれ サモミモチ ナケキツクレハ さもみもち なけきつくれは 稲もミモチ 嘆き告ぐれば ミコトノリ ミケヌシヲシニ みことのり みけぬしをしに 御言宣 ミケヌシ 御使に ミケヌシを御使として イノラシム アワクニミオニ いのらしむ あわくにみおに 祈らしむ アワ国ミオに タナカカミ ハレオイノリテ たなかかみ はれおいのりて 田中神 晴れを祈りて −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ハラヒナス カセフマツリハ はらひなす かせふまつりは 祓なす カセフ纏りは オオナムチ イツモタナカノ おおなむち いつもたなかの オオナムチ 出雲田中の タメシモテ ミナツキソムカ ためしもて みなつきそむか 例し以て 六月十六日 マツリナス ソノヲシクサノ まつりなす そのをしくさの 纏りなす その押草の −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (異文) カセフナス コレオオナムチ かせふなす これおおなむち カセフなす これオオナムチ タナカノリ ミナツキソムカ たなかのり みなつきそむか 田中祈り 六月十六日 オコナヒハ ミモムソウタヒ おこなひは みもむそうたひ 行ひは 三百六十歌ひ オシクサニ イタミモナオル おしくさに いたみもなおる 押草に 傷みも直る −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− マモリモテ タニヌカツケハ まもりもて たにぬかつけは 守り以て 田に額づけば ヨミカエリ ヤハリワカヤキ よみかえり やはりわかやき よみがえり やはり若やぎ ミツホアツ タミカテフヱテ みつほあつ たみかてふゑて 瑞穂充つ 民 糧増えて ニキハエハ オホミケヌシノ にきはえは おほみけぬしの 賑えば "大御食主の マツリヲミ ナツクソレヨリ まつりをみ なつくそれより 纏り臣" 名づく それより ヤマシロモ ツクシナオリモ やましろも つくしなおりも 山背も 筑紫 直り も (直入県) イツモニモ イセハナヤマモ いつもにも いせはなやまも 出雲にも 伊勢・花山も トシコトニ マツルカセフソ としことに まつるかせふそ 年毎に 纏るカセフぞ
ソヒヤヨヒ モチニマタウム そひやよひ もちにまたうむ 十一年三月 十五日にまた生む (アスズ515年) トトヒメハ トモニミユキヤ ととひめは ともにみゆきや トト姫は 共に御幸や ヘソキネカ ヤマトイケスニ へそきねか やまといけすに ヘソキネが ヤマトイケスに ミアエナス メノイカシコメ みあえなす めのいかしこめ 御饗なす 姫のイカシコメ カシハテニ メスウチキサキ かしはてに めすうちきさき 膳出に 召す内后 コトシソヨ ことしそよ 今年十四
ソミホハツミカ そみほはつみか 十三年一月三日 (アスズ517年) イカシコメ ウムミコノナハ いかしこめ うむみこのなは イカシコメ 生む御子の名は オシマコト イムナヒコフト おしまこと いむなひこふと オシマコト 斎名ヒコフト
ソヨフツキ ハニヤスメウム そよふつき はにやすめうむ 十四年七月 ハニヤス姫生む (アスズ518年) ハニヤスノ イムナタケハル はにやすの いむなたけはる ハニヤスの 斎名タケハル コレカウチ アオカキカケカ これかうち あおかきかけか これ河内 アオカキカケが メノオシモ ナルウチキサキ めのおしも なるうちきさき 姫の乙下 なる内后
フソフトシ ムツキソフカニ ふそふとし むつきそふかに 二十二年 一月十二日に (アスズ526年) ヨツキナル フトヒヒノミコ よつきなる ふとひひのみこ 代嗣成る フトヒヒの皇子 コトシソム ことしそむ 今年十六
ノチオシマコト のちおしまこと のちオシマコト オウチカト タカチメトウム おうちかと たかちめとうむ オウチが妹 タカチ姫と生む ウマシウチ コレキウツカト うましうち これきうつかと ウマシウチ これ 紀ウツが妹 ヤマトカケ メトリウムコハ やまとかけ めとりうむこは ヤマトカケ 娶り生む子は タケウチソ たけうちそ タケウチぞ
ヰソナナカツキ ゐそななかつき 五十七年九月 (アスズ561年) フカマカル スヘラキノトシ ふかまかる すへらきのとし 二日罷る 皇の歳 モモソナソ ミコノモハイリ ももそなそ みこのもはいり 百十七ぞ 皇子の喪入り イキマセル コトクミアエシ いきませる ことくみあえし 生きませる 如くみあえし ヨソヤスキ マツリコトキキ よそやすき まつりこときき 四十八過ぎ 政事聞き ムトセノチ オモムロオサム むとせのち おもむろおさむ 六年後 骸 納む (アスズ567年) ツルキシマ ナツキスエヨカ つるきしま なつきすえよか ツルキシマ 九月二十四日 メトモヤムナリ めともやむなり 侍・臣も罷むなり (后)
【開化天皇】
トキアスス ヰモムソホフユ ときあすす ゐもむそほふゆ 時アスズ 五百六十年冬 メノソフカ カスカイサカワ めのそふか かすかいさかわ 十月の十二日 春日率川 ニイミヤコ ミコトシヰソヒ にいみやこ みことしゐそひ 新都 皇子 歳五十一 ネノフソカ アマツヒツキオ ねのふそか あまつひつきお 十一月の二十日 和つ日月を ウケツキテ イムナフトヒヒ うけつきて いむなふとひひ 受け継ぎて 斎名フトヒヒ ワカヤマト ネコヒコアメノ わかやまと ねこひこあめの "ワカヤマト ネコヒコ天の (開化天皇) スヘラキト タミニオカマセ すへらきと たみにおかませ 皇" と 民に拝ませ (陽陰の御孫の典) ハハモアケ ソフノキサキモ ははもあけ そふのきさきも 母も上げ 十二の后も (ウツシコメ) サキニアリ アクルキナヱオ さきにあり あくるきなゑお 先にあり 明くるキナヱを (アスズ561年) ハツノトシ はつのとし 初の年
ナトシハツソフ なとしはつそふ 七年一月十二日 (アスズ567年) イキシコメ タテテウチミヤ いきしこめ たててうちみや イキシコメ 立てて内宮 (=イカシコメ)
コレノサキ キミメストキニ これのさき きみめすときに これの先 君召す時に オミケヌシ イサメモフサク おみけぬし いさめもふさく オミケヌシ 諌め申さく (ミケヌシの子) キミキクヤ シラウトコクミ きみきくや しらうとこくみ 「君 聞くや シラウド・コクミ ハハオカス カナイマニアリ ははおかす かないまにあり 母 犯す 汚名 今にあり (サシミメ) キミマネテ カナオカフルヤ きみまねて かなおかふるや 君 真似て 汚名を被るや」
ウツシコヲ コタエメイナリ うつしこを こたえめいなり ウツシコヲ 応え 「姪なり (ケクニ臣) <母の> ハハナラス イワクイセニハ ははならす いわくいせには 母ならず 曰く "妹背には メトツキテ ウミノヲヤナシ めとつきて うみのをやなし 女とつぎて 生みの親なし" →13文 ムカシオハ メイイマハツツ むかしおは めいいまはつつ 昔 叔母 姪 今はつづ ウムコアリ ツラナルヱタノ うむこあり つらなるゑたの 生む子あり 連なる枝の オシマコト ハハハタカヒソ おしまこと はははたかひそ オシマコト 母は違ひぞ」 マタコタエ アニツキヒトツ またこたえ あにつきひとつ また応え 「天に月一つ ハハハツキ シモメハホシヨ はははつき しもめはほしよ 母は月 下侍は星よ (内宮) →13文 コレオメス これおめす これを召す」 (星)
ナケキテイワク なけきていわく 嘆きて曰く <オミケヌシ> ヲヲンカミ アメノミチナス ををんかみ あめのみちなす 「大御神 陽陰の道 成す ヨヨノキミ ツキウケオサム よよのきみ つきうけおさむ 代々の君 継ぎ受け収む アメヒツキ ナンチカマツリ あめひつき なんちかまつり 和日月 汝が纏り (ウツシコヲ) イサメステ オモネリキミオ いさめすて おもねりきみお 諌めずて おもねり君を アナニスル ココロキタナシ あなにする こころきたなし 穴にする 心汚なし キミイカン ワカミヲヤカミ きみいかん わかみをやかみ 君 如何ん 我が御祖神 (オオモノヌシ神) ハナレンヤ ケカレハマスト はなれんや けかれはますと 離れんや 穢れ食まず」 と →20文 イイオハリ カエレトキミハ いいおはり かえれときみは 言い終り 帰れど君は コレキカス ミケヌシヲヤコ これきかす みけぬしをやこ これ聞かず ミケヌシ親子 ツクミオル つくみおる 噤み居る
シハスソミカニ しはすそみかに 十二月十三日に ユキリノメ タケノヒメウム ゆきりのめ たけのひめうむ ユキリの姫 タケノ姫生む ユムスミノ イミナコモツミ ゆむすみの いみなこもつみ ユムスミの 斎名コモツミ
ヤホヤヨヒ カスカオケツメ やほやよひ かすかおけつめ 八年三月 春日オケツ姫 (アスズ568年) スケカウム イムナアリスミ すけかうむ いむなありすみ 典侍が生む 斎名アリスミ ヒコヰマス ひこゐます ヒコヰマス
ソホサノソフカ そほさのそふか 十年五月の十二日 (アスズ570年) ウチミヤノ ウムミコミマキ うちみやの うむみこみまき 内宮の 生む御子ミマキ (イカシコメ) イリヒコノ イムナヰソニヱ いりひこの いむなゐそにゑ イリヒコの 斎名ヰソニヱ (崇神天皇)
ミナツキノ ソフカヘソキネ みなつきの そふかへそきね 六月の 十二日ヘソキネ カルオトト ネニウツシコヲ かるおとと ねにうつしこを カル大臣 十一月にウツシコヲ イワヒヌシ いわひぬし 斎主
ソミムツキヰカ そみむつきゐか 十三年一月五日 (アスズ573年) キサキマタ ウムミマツヒメ きさきまた うむみまつひめ 后また 生むミマツ姫
メスウチメ カツキタルミカ めすうちめ かつきたるみか 召す内侍 葛城タルミが 内侍に召す (葛城国造) タカヒメカ サノモチニウム たかひめか さのもちにうむ タカ姫が 五月の十五日に生む ハツラワケ イムナタケトヨ はつらわけ いむなたけとよ ハツラワケ 斎名タケトヨ
フソヤトシ ムツキノヰカニ ふそやとし むつきのゐかに 二十八年 一月の五日に (アスズ588年) ヨツキタツ ヰソニヱノミコ よつきたつ ゐそにゑのみこ 代嗣立つ ヰソニヱの御子 (他動詞) コトシソコ ことしそこ 今年十九
ムソトシノナツ むそとしのなつ 六十年の夏 (アスズ620年) ウツキコカ キミマカルトシ うつきこか きみまかるとし 四月九日 君罷る 歳 モモソヒソ ミコノモハイリ ももそひそ みこのもはいり 百十一ぞ 皇子の喪入り ヨソヤノチ マツリコトキキ よそやのち まつりこときき 四十八後 政事聞き トミトトメ イマスノミアエ とみととめ いますのみあえ 臣 留め 居ますのみあえ (先帝の臣は引続き 生き坐す如くの敬い 神霊を祭らせる) メツキミカ オモムロオサム めつきみか おもむろおさむ 十月三日 骸 納む イササカソコレ いささかそこれ 率坂ぞこれ
リンク先の説明文中
★印のついたものは他の文献・サイトからの引用。
■印のついたものは筆者の個人的な意見です。
【ホツマツタヱ解読ガイド】 【ミカサフミ解読ガイド】 【ふとまに解読ガイド】
【やまとことばのみちのく】 【にしのことばのみちのく】 【あめなるみち】
【ホツマツタエのおもしろ記事】