※29文〜40文は、地名については原義と異なると思われる場合でも、現在一般に使用されている漢字で表記しています。
【原文カタカナ訳】 【語義考察】 【漢字読み下し】
ナオリカミミワカミノアヤ なおりかみみわかみのあや 直り神 三輪神の文 カシハラノ ヤホヲヤヱアキ かしはらの やほをやゑあき 橿原の 八年ヲヤヱ秋 (アスズ65年) スヘシカト タカクラシタカ すへしかと たかくらしたか 統使人 タカクラシタが ヤヤカエリ ツケモフサクハ ややかえり つけもふさくは やや帰り 告げ申さくは トミムカシ ミコトオウケテ とみむかし みことおうけて 「臣 昔 御言を受けて トクニヨリ ツクシミソフモ とくにより つくしみそふも 外国より 筑紫三十二も ヤマカケモ メクリヲサメテ やまかけも めくりをさめて 山陰も 巡り治めて コシウシロ ヤヒコヤマヘニ こしうしろ やひこやまへに 越後 ヤヒコ山辺に ツチクモカ フタワルユヱニ つちくもか ふたわるゆゑに 土蜘蛛が ふたわるゆえに ホコモチヒ ヰタヒタタカヒ ほこもちひ ゐたひたたかひ 矛 用ひ 五度戦ひ ミナコロシ フソヨヲサムト みなころし ふそよをさむと みな殺し 二十四治む」 と (四国) クニスヘヱ ササクレハキミ くにすへゑ ささくれはきみ 国統絵 捧ぐれば 君 タカクラオ キノクニツコノ たかくらお きのくにつこの タカクラを 紀の国造の オオムラシ おおむらし 皇連
フソトシサミト ふそとしさみと 二十年サミト (サヤヱの間違いと思う) コシウシロ ハツホヲサメス こしうしろ はつほをさめす 越後 果穂納めず マタムカフ タカクラシタハ またむかふ たかくらしたは また向ふ タカクラシタは タチヌカス ミナマツロエハ たちぬかす みなまつろえは 太刀抜かず みな服えば ミコトノリ タカクラホメテ みことのり たかくらほめて 御言宣 タカクラ褒めて クニモリト ヲシテタマワル くにもりと をしてたまわる 地守と ヲシテ賜わる 越後の国守とし ヤヒコカミ ナカクスムユヱ やひこかみ なかくすむゆゑ "ヤヒコ尊" 永く住むゆえ イモトムコ アメノミチネオ いもとむこ あめのみちねお 妹婿 アメノミチネを クニツコト キノタチタマフ くにつこと きのたちたまふ 国造と 紀の館 賜ふ <紀の>
フソヨトシ キミヨツキナシ ふそよとし きみよつきなし 二十四年 君 代嗣なし (アスズ81年) (タキシミミは生れている) クメカコノ イスキヨリヒメ くめかこの いすきよりひめ クメが子の イスキヨリ姫 オシモメニ メセハキサキニ おしもめに めせはきさきに 乙下侍に 召せば后に (イスズ姫) トカメラレ ユリヒメトナリ とかめられ ゆりひめとなり 咎められ ユリ姫となり トノイセス とのいせす 殿居せず
キサキハラミテ きさきはらみて 后 孕みて (イスズ姫) アクルナツ カンヤヰミミノ あくるなつ かんやゐみみの 明くる夏 カンヤヰミミの ミコオウム イミナイホヒト みこおうむ いみないほひと 御子を生む 斎名イホヒト (この時点では皇太子) フソムトシ マツリミユキノ ふそむとし まつりみゆきの 二十六年 祭り御幸の (アスズ83年) ヤスタレニ カヌカワミミノ やすたれに かぬかわみみの ヤスタレに カヌカワミミの ミコウミテ イミナヤスキネ みこうみて いみなやすきね 御子生みて 斎名ヤスキネ
サミヱナツ ヤヒコノホリテ さみゑなつ やひこのほりて サミヱ夏 ヤヒコ上りて (アスズ87年) (タカクラシタ) ヲカムトキ アメノサカツキ をかむとき あめのさかつき 拝む時 天の杯 カスイタル スヘラキトワク かすいたる すへらきとわく 数 至る 皇 問わく ムカシヱス イマノムイカン むかしゑす いまのむいかん 「昔 得ず 今飲む 如何ん」 ソノコタエ ワカクニサムク そのこたえ わかくにさむく その応え 「我が国寒く ツネノメハ オノツトスケリ つねのめは おのつとすけり 常 飲めば おのづと好けり」 キミヱミテ ナンチハミキニ きみゑみて なんちはみきに 君 笑みて 「汝は酒に ワカヤキツ サカナニタマフ わかやきつ さかなにたまふ 若やぎつ さかなに賜ふ (つまみ) オシモメソ ナソナノヲトニ おしもめそ なそなのをとに 乙下侍ぞ」 七十七の男に ハタチメト コシニトツキテ はたちめと こしにとつきて 二十女と 越にとつぎて (越後) ヲメオウム をめおうむ 男女を生む
サキニサユリノ さきにさゆりの さきにサユリの ハナミトテ キミノミユキハ はなみとて きみのみゆきは 花見とて 君の御幸は サユカワニ ヒトヨイネマス さゆかわに ひとよいねます サユ郷に 一夜寝ねます クメカヤノ イスキヨリヒメ くめかやの いすきよりひめ クメが家の イスキヨリ姫 カシハテニ ミケススムレハ かしはてに みけすすむれは 膳出に 御食進むれば スメラキハ コレオメサント すめらきは これおめさんと 皇は これを召さんと ツケノミウタニ つけのみうたに 告げの御歌に
アシハラノ シケコキオヤニ あしはらの しけこきおやに 『朝原の しけこき居屋に (朝庭) (=局) スカタタミ イヤサヤシキテ すかたたみ いやさやしきて 清畳 いやさや敷きて ワカフタリネン わかふたりねん 我が二人ねん』
コレニメシ ツホネニアルオ これにめし つほねにあるお これに召し 局にあるを (この歌に) タキシミコ フカクコカレテ たきしみこ ふかくこかれて タギシ御子 深く焦れて チチニコフ ウナツキウハフ ちちにこふ うなつきうはふ 父に乞ふ うなづき諾ふ (タケヒト) チチカヨフ アヤシキトメオ ちちかよふ あやしきとめお 父が呼ぶ あやしき留めを <タギシを> (含み) サトルヒメ ミサホツスウタ さとるひめ みさほつすうた 悟る姫 操十九歌 [綴訴] [徹す訴]
アメツツチ トリマスキミト あめつつち とりますきみと 『天つ地 娶ります君と ナトサケルトメ なとさけるとめ など避ける 止め』 (継句の拒否)
タキシミコ ススミコタエテ たきしみこ すすみこたえて タギシ御子 進み応えて
ニヤオトメ タタニアハント にやおとめ たたにあはんと 『にや乙女 直に会わんと ワカサケルトメ わかさけるとめ 我が避ける 止め』
ヤワナキオ オツテトイエハ やわなきお おつてといえは 和無きを 「追って」 と言えば (タケヒト) ミコモサル コトメカツクル みこもさる ことめかつくる 御子も去る 小侍女が告ぐる クシミカタ キミニモフサク くしみかた きみにもふさく クシミカタ 君に申さく シムノハチ キミウナツキテ しむのはち きみうなつきて 「シムの恥」 君 頷きて ヒソカニシ コノタヒタマフ ひそかにし このたひたまふ 密かにし このたび賜ふ ヲシモメハ コノユリヒメソ をしもめは このゆりひめそ 乙下侍は このユリ姫ぞ
トシサミト ウツキハツヒニ としさみと うつきはつひに 年サミト 四月初日に (アスズ88年) ワキカミノ ホホマノオカニ わきかみの ほほまのおかに 掖上の 頬間の丘に ミユキシテ メクリノソメハ みゆきして めくりのそめは 御幸して 周り 望めば
アナニエヤ ヱツハウツユフ あなにえや ゑつはうつゆふ 「あなにえや 得つは内結ふ 得たるは中核を成す マサキクニ カタチアキツノ まさきくに かたちあきつの まさき国 形 蜻蛉の 本州/本土 トナメセル コレアキツシマ となめせる これあきつしま となめせる これ蜻蛉洲 (「す」の連体形) アマカミハ ヤマトウラヤス あまかみは やまとうらやす 和尊は ヤマト心和 和つ君は コヱネクニ ヤマトヒタカミ こゑねくに やまとひたかみ 越根国 ヤマトヒタカミ ソコチタル シワカミホツマ そこちたる しわかみほつま ソコチタル 地上ホツマ オオナムチ タマカキウチツ おおなむち たまかきうちつ オオナムチ 玉垣内つ <は> ニキハヤヒ ソラミツヤマト にきはやひ そらみつやまと ニギハヤヒ 空みつ和」 <は>
ヨソフトシ ハツミカキミヱ よそふとし はつみかきみゑ 四十二年 一月三日キミヱ (アスズ99年) カヌナカワ ミミノミコトオ かぬなかわ みみのみことお カヌナカワ ミミの尊を ヨツキミコ カカミノトミハ よつきみこ かかみのとみは 代嗣御子 「鏡の臣は ウサマロト アタツクシネハ うさまろと あたつくしねは ウサマロと アタツクシネは (タネコの子) モノヌシト ミコノモロハソ ものぬしと みこのもろはそ モノヌシと 御子の両羽ぞ クニマツリ ミケナヘモフス くにまつり みけなへもふす 国政り 神饌供え申す ヲモチキミ トモニタスケヨ をもちきみ ともにたすけよ ヲモチ君 共に助けよ」 (ウマシマチ)
ナソムトシ ムツキノモチニ なそむとし むつきのもちに 七十六年 一月の十五日に (アスズ133年) ミコトノリ ワレステニヲヒ みことのり われすてにをひ 御言宣 「我すでに老ひ マツリコト ナオリナカトミ まつりこと なおりなかとみ 政事 直り中臣 (タネコ・ウサマロ) モノヌシノ ヲヤコノトミニ ものぬしの をやこのとみに モノヌシの 親子の臣に (クシミカタマ・クシネ) マカスヘシ モロトミコレト まかすへし もろとみこれと 任すべし 諸臣 これと (親子の臣) ワカミヤオ タテヨトイヒテ わかみやお たてよといひて 若宮を 立てよ」 と言ひて ウチニイリ ヤヨイソキヤヱ うちにいり やよいそきやゑ 内に入り 三月十日キヤヱ (内宮) カミトナル かみとなる 神となる
アヒラツヒメト あひらつひめと アヒラツ姫と モノヌシト カシハラミヤニ ものぬしと かしはらみやに モノヌシと 橿原宮に (クシミカタマ) ハンヘリテ ナカクモニイリ はんへりて なかくもにいり 侍りて 長く喪に入り イキマスノ コトニツトムル いきますの ことにつとむる 生きますの 如に勤むる
アメタネコ クシネウサマロ あめたねこ くしねうさまろ アメタネコ クシネ・ウサマロ ワカミヤニ オクリハカレハ わかみやに おくりはかれは 若宮に 送り議れば (カヌナカワミミ) (葬送) タキシミコ ヒトリマツリオ たきしみこ ひとりまつりお 「タギシ御子 一人 政を トラントス ナオリミタリハ とらんとす なおりみたりは 執らんとす」 直り三人は (タネコ・クシネ・ウサマロ) ワカミヤニ トエトコタエス わかみやに とえとこたえす 若宮に 問えど答えず モニイリテ モロハニマカス もにいりて もろはにまかす 喪に入りて 両羽に任す (クシネ・ウサマロ)
ミオクリモ コハミテノハス みおくりも こはみてのはす 回送りも 拒みて延ばす タキシミコ フタオトオタツ たきしみこ ふたおとおたつ タギシ御子 二弟を断つ
ウネヒネノ サユノハナミト うねひねの さゆのはなみと 畝傍峰の サユの花見と ミアエシテ ムロヤニメセハ みあえして むろやにめせは 見合えして 室屋に召せば (粉飾) (片丘室)
<それを聞いた> ヰススヒメ ウタノナオシオ ゐすすひめ うたのなおしお ヰスズ姫 歌の直しを コハシムル ワカミヤフタオ こはしむる わかみやふたお 請わしむる 若宮 札を トリミレハ イイロヨムウタ とりみれは いいろよむうた 取り見れば 気色詠む歌
サユカワユ クモタチワタリ さゆかわゆ くもたちわたり 『サユ郷ゆ 雲立ち渡り ウネヒヤマ コノハサヤキヌ うねひやま このはさやきぬ 畝傍山 木の葉さやぎぬ カセフカントス かせふかんとす 風吹かんとす』
ウネヒヤマ ヒルハクモトヰ うねひやま ひるはくもとゐ 『畝傍山 昼は雲訪い ユフサレハ カセフカントソ ゆふされは かせふかんとそ 夕されば 風吹かんとぞ コノハサヤキル このはさやきる 木の葉さやぎる』
ワカミヤハ コノフタウタオ わかみやは このふたうたお 若宮は この二歌を カンカエテ サユニソコナフ かんかえて さゆにそこなふ 考えて サユに害ふ コトオシル カンヤヰミコニ ことおしる かんやゐみこに ことを知る カンヤヰ御子に モノカタリ ムカシキサキオ ものかたり むかしきさきお 物語り 「昔 后を (イスキヨリ姫) オカセシモ ヲヤコノナサケ おかせしも をやこのなさけ 犯せしも 親子の情け ウチニスム うちにすむ 内に済む 内密に済む
イマノマツリノ いまのまつりの 今の政の ワカママモ トミニサツケテ わかままも とみにさつけて 我がままも 臣に授けて ノクヘキオ マタイラフコト のくへきお またいらふこと 退くべきを また弄ふ如 イカンソヤ アニカコハミテ いかんそや あにかこはみて 如何ぞや 兄が拒みて オクリセス ワレラマネクモ おくりせす われらまねくも 送りせず 我ら招くも イツワリソ コレハカラント いつわりそ これはからんと 偽りぞ これ計らん」 と
ワカヒコニ ユミツクラセテ わかひこに ゆみつくらせて ワカヒコに 弓造らせて マナウラニ マカコノヤシリ まなうらに まかこのやしり マナウラに マカゴの鏃 キタワセテ カンヤヰミコニ きたわせて かんやゐみこに 鍛わせて カンヤヰ御子に ユキオハセ ヌナカワミコト ゆきおはせ ぬなかわみこと 靫 負わせ ヌナカワ尊 ヱトイタル カタオカムロノ ゑといたる かたおかむろの 兄と到る 片丘室の タキシミコ オリニヒルネノ たきしみこ おりにひるねの タギシ御子 折に昼寝の ユカニフス スメミコヤヰニ ゆかにふす すめみこやゐに 床に臥す 皇御子 ヤヰに ノタマフハ ヱトノタカヒニ のたまふは ゑとのたかひに 宣給ふは 「兄弟の互ひに キシラフハ アツクヒトナシ きしらふは あつくひとなし 軋らふは 関く人無し ワレイラハ ナンチヰヨトテ われいらは なんちゐよとて 我入らば 汝 射よ」 とて
ムロノトオ ツキアケイレハ むろのとお つきあけいれは 室の戸を 突き開け入れば アニイカリ ユキオヒイルト あにいかり ゆきおひいると 兄 怒り 「靫負ひ入る」 と キラントス ヤヰミコテアシ きらんとす やゐみこてあし 斬らんとす ヤヰ御子 手足 ワナナケハ スメミコユミヤ わななけは すめみこゆみや わななけば 皇御子 弓矢 ヒキトリテ ヒトヤオムネニ ひきとりて ひとやおむねに 引き取りて 一矢を胸に フタヤセニ アテテコロシツ ふたやせに あててころしつ 二矢背に 当てて殺しつ オモムロオ ココニオサメテ おもむろお ここにおさめて 骸を ここに納めて ミコノカミ みこのかみ "御子の神"
カンヤヰハチテ かんやゐはちて カンヤヰ恥ぢて ウエナヒヌ トイチニスミテ うえなひぬ といちにすみて 諾ひぬ 十市に住みて イホノトミ ミシリツヒコト いほのとみ みしりつひこと 斎の臣 "身知りつ彦" と ナオカエテ ツネノオコナヒ なおかえて つねのおこなひ 名を替えて 常の行ひ カミノミチ アニカマツリモ かみのみち あにかまつりも 神のみち 兄が祭も ネンコロニコソ ねんころにこそ 懇ろにこそ
ニイミヤコ カタキニタテテ にいみやこ かたきにたてて 新都 葛城に建てて ミヤウツシ ココニムカヘル みやうつし ここにむかへる 宮遷し ここに迎へる トキアスス モモミソヨトシ ときあすす ももみそよとし 時アスズ 百三十四年 ツアトハル ハツヒサナヱノ つあとはる はつひさなゑの ツアト春 初日サナヱの (新春) (1日がサナヱ) コトホキシ スエヒカサヤヱ ことほきし すえひかさやゑ 寿ぎし 末一日サヤヱ (21日) ワカミヤノ イミナヤスキネ わかみやの いみなやすきね 若宮の 斎名ヤスキネ トシヰソフ としゐそふ 歳五十二
アマツヒツキオ あまつひつきお 和つ日月を ウケツキテ カヌカワミミノ うけつきて かぬかわみみの 受け継ぎて カヌカワミミの アマキミト タカオカミヤニ あまきみと たかおかみやに 天君と 高丘宮に ハツコヨミ カミヨノタメシ はつこよみ かみよのためし 初暦 上代の例 (ハラの法) ミカサリオ タミニオカマセ みかさりお たみにおかませ 御飾りを 民に拝ませ ハハオアケ ミウエキサキト ははおあけ みうえきさきと 母を上げ 御上后と (タタラヰソスズ姫)
ナカツキノ フソカツミヱニ なかつきの ふそかつみゑに 九月の 二十日ツミヱに (崩御後1年6ヶ月) オモムロオ カシオニオクリ おもむろお かしおにおくり 骸を 白檮尾に送り <神武の> ヨソホヒハ アヒラツヒメト よそほひは あひらつひめと 装ひは アヒラツ姫と (お供) ワニヒコト トハスカタリオ わにひこと とはすかたりお ワニヒコと 問わず語りを ナシハヘル キミトミトモニ なしはへる きみとみともに なし侍る 君・臣 共に ホラニイリ カミトナルコト ほらにいり かみとなること 洞に入り 神となること アスキキテ オヒマカルモノ あすききて おひまかるもの 明日聞きて 追ひ罷る者 ミソミタリ ヨニウタウウタ みそみたり よにうたううた 三十三人 世に歌う歌
アマミコカ アメニカエレハ あまみこか あめにかえれは 『陽陰御子が 天に還れば ミソミオフ マメモミサホモ みそみおふ まめもみさほも 三十三追ふ 忠も操も トホルアメカナ とほるあめかな 通る天かな』
【綏靖天皇】
フトシハル ミススヨリヒメ ふとしはる みすすよりひめ 二年春 ミスズヨリ姫 (アスズ135年) ウチツミヤ シキクロハヤカ うちつみや しきくろはやか 内つ宮 磯城クロハヤが (磯城県主) カワマタメ オオスケキサキ かわまため おおすけきさき カワマタ姫 大典侍后 アタカマコ アタオリヒメハ あたかまこ あたおりひめは アタが孫 アタオリ姫は (クシネ) スケキサキ カスカアフヱノ すけきさき かすかあふゑの 典侍后 春日・合ふ江の 春日と河内の モロカメノ イトオリヒメオ もろかめの いとおりひめお 守が姫の イトオリ姫を (アウヱモロ) ココタヘニ ミコナカハシノ ここたへに みこなかはしの 勾当に みこ長橋の ヲシテモリ カタキクニツコ をしてもり かたきくにつこ ヲシテ守 葛城国造 ツルキネカ メノカツラヒメ つるきねか めのかつらひめ ツルギネが 姫のカツラ姫 ウチキサキ イトカツラヨリ うちきさき いとかつらより 内后 妹カツラヨリ シモキサキ アメトミカメノ しもきさき あめとみかめの 下后 アメトミが姫の キサヒメモ シモキサキマタ きさひめも しもきさきまた キサ姫も 下后 また コトメミソ ことめみそ 小侍女三十
ハツキハツヒニ はつきはつひに 八月初日に ミコトノリ ワレキクムカシ みことのり われきくむかし 御言宣 「我聞く 昔 オオナムチ コトナストキニ おおなむち ことなすときに オオナムチ 殊成す時に ミモロカミ ワレアレハコソ みもろかみ われあれはこそ ミモロ神 "我あればこそ オオヨソノ コトナサシムル おおよその ことなさしむる おおよその 殊成さしむる サキミタマ マタワサタマハ さきみたま またわさたまは 先神霊 また業霊は ワニヒコソ カレオオナムチ わにひこそ かれおおなむち ワニヒコぞ" 故オオナムチ (クシミカタマ) ツキトナス ミタヒメクリテ つきとなす みたひめくりて 嗣となす 三度巡りて (人として3回世に現れて) コトナセハ ヒトリワカレテ ことなせは ひとりわかれて 殊成せば 一人別れて (フキネ?) ミタリメノ ワニヒコマテカ みたりめの わにひこまてか 三人目の ワニヒコまでが ミワノカミ みわのかみ ミワの神」
ヨヨスヘラキノ よよすへらきの 代々皇の マモリトテ ナカツキソヒカ まもりとて なかつきそひか 守りとて 九月十一日 マツラシム アタツクシネニ まつらしむ あたつくしねに 祭らしむ アタツクシネに オオミワノ カハネタマワル おおみわの かはねたまわる "オオミワ" の 姓 賜わる ワニヒコハ モモコソフホソ わにひこは ももこそふほそ ワニヒコは 百九十二歳ぞ <享年>
ツクシヨリ ミユキオコエハ つくしより みゆきおこえは 筑紫より 御幸を乞えば ミカワリト ナオリナカトミ みかわりと なおりなかとみ 御代りと 直り中臣 (タネコ) クタラシム トヨノナオリノ くたらしむ とよのなおりの 下らしむ 豊の "直りの (豊国の直入県) アカタナル ミソフノヌシモ あかたなる みそふのぬしも 県" 成る 三十二の主も ノリオウク のりおうく 法を受く (祓の法)
サキニサミタレ さきにさみたれ さきに五月雨 ムソカフリ サナエミモチニ むそかふり さなえみもちに 六十日降り 早苗みもちに イタムユエ ツクルヲシカト いたむゆえ つくるをしかと 傷むゆえ 告ぐる御使人 (タネコ) イナオリノ ハラヒカセフノ いなおりの はらひかせふの 稲直りの 祓 "カセフの マツリナス ヌシラツトメテ まつりなす ぬしらつとめて 纏り" なす 主ら務めて (県主) ヲシクサノ マモリニナエモ をしくさの まもりになえも 押草の 守りに苗も ヨミカエリ ミアツクナレハ よみかえり みあつくなれは よみがえり 実厚く成れば ニキハヒテ カレニホツミノ にきはひて かれにほつみの 賑わいて 故に "ホツミの マツリナス まつりなす 祭" なす
ソレヨリタミノ それよりたみの それより民の ウフスナト マツルスミヨシ うふすなと まつるすみよし ウブスナと 祭るスミヨシ モノヌシト ナカトミアワセ ものぬしと なかとみあわせ モノヌシと 中臣合わせ ナオリカミ ウサニイトウノ なおりかみ うさにいとうの 直り神 宇佐に "慈愛の ミメカミヤ みめかみや 三女神" や
マタアマキミハ またあまきみは また天君は ヒコユキオ マツリノヲミノ ひこゆきお まつりのをみの ヒコユキを 政の臣の (ウマシマチ) スケトナス すけとなす 輔となす
ヨサヤヱウツキ よさやゑうつき 四(年)サヤヱ四月 (アスズ137年) イホミサル ミシリツヒコノ いほみさる みしりつひこの 斎臣更る "ミシリツヒコの カミトナル かみとなる 神" となる
サヤトナカモチ さやとなかもち サヤト九月十五日 (アスズ138年) キサキウム イミナシキヒト きさきうむ いみなしきひと 后生む 斎名シキヒト (ミスズヨリ姫) タマテミコ ムホネシヱフユ たまてみこ むほねしゑふゆ タマデ御子 六年ネシヱ冬 (アスズ139年) イトオリメ ウムイキシミコ いとおりめ うむいきしみこ イトオリ姫 生むイキシ御子 スケトナル すけとなる 典侍となる
フソヰサアトノ ふそゐさあとの 二十五(年)サアトの (アスズ158年) ムツキミカ シキヒトタテテ むつきみか しきひとたてて 一月三日 シキヒト立てて ヨツキミコ イマフソヒトシ よつきみこ いまふそひとし 代嗣御子 今二十一歳
シモソヨカ アメタネコサル しもそよか あめたねこさる 十一月十四日 アメタネコ更る モモヤソナ オモムロオサム ももやそな おもむろおさむ 百八十七歳 骸 納む ミカサヤマ カスカノトノニ みかさやま かすかのとのに ミカサ山 春日の殿に アヒマツル ミカサノカハネ あひまつる みかさのかはね 合ひ纏る "ミカサ" の姓 合わせ ウサマロニ タマヒテタタユ うさまろに たまひてたたゆ ウサマロに 賜ひて称ゆ ミカサヲミ みかさをみ ミカサ臣
ミソムホサツキ みそむほさつき 三十六年五月 (アスズ169年) ソカネナト スヘラキマカル そかねなと すへらきまかる 十日ネナト 皇 罷る ヤソヨトシ ワカミヤソノヨ やそよとし わかみやそのよ 八十四歳 若宮その夜 (タマテ) モハニイリ ヨソヤヨイタリ もはにいり よそやよいたり 喪に入り 四十八夜至り イサカワニ ミソキノワヌケ いさかわに みそきのわぬけ イサ川に 禊の輪 抜け ミヤニイツ ミウエノトミハ みやにいつ みうえのとみは 宮に出づ 御上の臣は (先帝) カミマツル ワカレツトムル かみまつる わかれつとむる 神祭る 分れ務むる 引続き先帝の神霊を祭る ワカミヤノ マツリコトトル わかみやの まつりこととる 若宮の 政事執る トミハアラタソ とみはあらたそ 臣は新たぞ
【安寧天皇】
トキアスス モモナソネアト ときあすす ももなそねあと 時アスズ 百七十ネアト アフミミカ ミコシキヒトノ あふみみか みこしきひとの 七月三日 皇子シキヒトの トシミソミ アマツヒツキオ としみそみ あまつひつきお 歳三十三 和つ日月を ウケツキテ タマテミアメノ うけつきて たまてみあめの 受け継ぎて タマデミ天の スヘラキミ すへらきみ 皇君
ムカシココナノ むかしここなの 昔 菊の ハナミトテ ミススヨリヒメ はなみとて みすすよりひめ 花見とて ミスズヨリ姫 カワマタメ シキクロハヤカ かわまため しきくろはやか カワマタ姫 磯城クロハヤが (カワマタ姫の父) タチニユキ ミコウマントシ たちにゆき みこうまんとし 館に行き 御子生まんとし ミカヤメル トキメヲトキテ みかやめる ときめをときて 三日病める 時 夫婦来て (「病む」の連体形) コレオコフ キミニモフシテ これおこふ きみにもふして これを還ふ 君に申して タマテミコ カカエトリアケ たまてみこ かかえとりあけ 「タマデ御子 抱え取り上げ 原文:ヒ ヤスクウム やすくうむ 安く生む」
シキカヤアサヒ しきかやあさひ 磯城が舎 朝日 カカヤケハ タマテカミナオ かかやけは たまてかみなお 輝けば "タマデ" が御名を ススメイフ カハネオトエハ すすめいふ かはねおとえは 進め言ふ 姓を問えば ヲハコモリ メハカツテヒコ をはこもり めはかつてひこ 男はコモリ 女はカツテ彦 タマフナハ ワカミヤノウシ たまふなは わかみやのうし 賜ふ名は "若宮の大人" モリノトミ コモリカツテノ もりのとみ こもりかつての "守の臣" コモリ・カツテの フタカミオ ヨシノニマツリ ふたかみお よしのにまつり 二神を 吉野に纏り (吉野水分神社・勝手神社)
ハハオアケ ミウヱキサキト ははおあけ みうゑきさきと 母を上げ 御上后と ナレミナモ イミナモソレソ なれみなも いみなもそれそ 馴御名も 斎名もそれぞ (ミスズヨリ姫)
カンナソカ オモムロオクル かんなそか おもむろおくる 十月十日 骸 送る <先帝の> ツキタオカ つきたおか 桃花烏田丘
キミヱノシハス きみゑのしはす キミヱの十二月 (アスズ171年) カタシホノ ウキアナミヤコ かたしほの うきあなみやこ 片塩の 浮孔 都 キミトハツ ヌナソヒメタツ きみとはつ ぬなそひめたつ キミト一月 ヌナソ姫立つ (アスズ172年) (他動詞) ウチツミヤ コレハクシネカ うちつみや これはくしねか 内つ宮 これはクシネが オフエモロ ヌナタケメトリ おふえもろ ぬなたけめとり オフエモロ ヌナタケ娶り <の> イイカツト ヌナソウムナリ いいかつと ぬなそうむなり イイカツと ヌナソ生むなり
シキハエカ カハツメスケニ しきはえか かはつめすけに 磯城ハエが カハツ姫 典侍に
コレノサキ オオマカイトヰ これのさき おおまかいとゐ これの先 オオマがイトヰ (アウヱモロの子) ナカハシニ ウムミコイミナ なかはしに うむみこいみな 長橋に 生む御子 斎名 イロキネノ トコネツヒコソ いろきねの とこねつひこそ イロキネの トコネツヒコぞ カレウチオ オオスケトナス かれうちお おおすけとなす 故 内(侍)を 大典侍となす (イトヰ姫)
カワツヒメ ウムミコイムナ かわつひめ うむみこいみな カワツ姫 生む御子 斎名 ハチキネノ シキツヒコミコ はちきねの しきつひこみこ ハチキネの シキツヒコ御子
ヨホツヤヱ ウツキソヰカニ よほつやゑ うつきそゐかに 四年ツヤヱ 四月十五日に (アスズ173年) ヌナソヒメ ウムミコイムナ ぬなそひめ うむみこいむな ヌナソ姫 生む御子 斎名 ヨシヒトノ オオヤマトヒコ よしひとの おおやまとひこ ヨシヒトの オオヤマトヒコ スキトモソ すきともそ スキトモぞ
タケイイカツト たけいいかつと タケイイカツと イツモシコ ナルケクニヲミ いつもしこ なるけくにをみ イツモシコ なる食国臣 (ヒコユキの子) オオネトミ ナルイワヒヌシ おおねとみ なるいわひぬし オオネ臣 なる斎主 (ヒコユキの子)
ムホヲシヱ ムツキソヰカニ むほをしゑ むつきそゐかに 六年ヲシヱ 一月十五日に (アスズ175年) ウチノウム イムナトキヒコ うちのうむ いむなときひこ 内(宮)の生む 斎名トキヒコ (ヌナソ姫) クシトモセ くしともせ クシトモセ
ソヒノハツミカ そひのはつみか 十一年の一月三日 (アスズ180年) ヨシヒトノ イマヤトセニテ よしひとの いまやとせにて ヨシヒトの 今 八歳にて ヨツキミコ よつきみこ 代嗣御子
ミソヤサミヱノ みそやさみゑの 三十八年サミヱの (アスズ207年) シハスムカ スヘラキマカル しはすむか すへらきまかる 十二月六日 皇 罷る ワカミヤノ モハイリヨソヤ わかみやの もはいりよそや 若宮の 喪入り四十八 (スキトモ) ホキモナシ イサカワミソキ ほきもなし いさかわみそき 祝も無し イサ川 禊 <新春の> ミヤニイテ マツリコトキク みやにいて まつりこときく 宮に出で 政事聞く トミワケテ ウキアナノカミ とみわけて うきあなのかみ 臣 分けて "ウキアナの神" <旧臣は> (タマテミ) ミアエナス みあえなす みあえなす
アキオモムロオ あきおもむろお 秋 骸を ウネヒヤマ ミホトニオクル うねひやま みほとにおくる 畝傍山 御陰に送る トシナナソナリ としななそなり 歳七十なり
【懿徳天皇】
トキアスス フモヤホサミト ときあすす ふもやほさみと 時アスズ 二百八年サミト キサラヨカ ネアヱワカミヤ きさらよか ねあゑわかみや 二月四日 ネアヱ 若宮 (スキトモ) トシミソム アマツヒツキオ としみそむ あまつひつきお 歳三十六 和つ日月を ウケツキテ オオヤマトヒコ うけつきて おおやまとひこ 受け継ぎて オオヤマトヒコ スキトモノ アメスヘラキト すきともの あめすへらきと スキトモの 天皇と タタエマス たたえます 称えます
アメノノリモテ あめののりもて 上の法もて 上代の法を以て オカマセテ マカリオコヨミ おかませて まかりおこよみ 拝ませて マカリオ暦 軽曲峡の暦に アラタメテ ミヲヤオクリノ あらためて みをやおくりの 改めて 御親送りの ホツミヒト シワスノムカト ほつみひと しわすのむかと 八月一日と 十二月の六日と (命日) モハニイリ ナカツキソミカ もはにいり なかつきそみか 喪に入り 九月十三日 ハハオアケ ミウエキサキト ははおあけ みうえきさきと 母を上げ 御上后と (ヌナソ姫)
ムツキヰカ カルマカリオノ むつきゐか かるまかりおの 一月五日 軽曲峡の (アスズ209年) ニイミヤコ ウツシキサラキ にいみやこ うつしきさらき 新都 移し 二月 ソヒニタツ アメトヨツヒメ そひにたつ あめとよつひめ 十一に立つ アメトヨツ姫 (イキシの娘) ウチツミヤ シキヰテカメノ うちつみや しきゐてかめの 内つ宮 磯城ヰテが姫の ヰツミスケ フトマワカカメ ゐつみすけ ふとまわかかめ ヰヅミ 典侍 フトマワカが姫 (春日県主) イイヒメオ ココタヘ いいひめお ここたへ イイ姫を 勾当
ヰトシ ゐとし 五年 (アスズ212年) ヤヨヒユミ スミエニミユキ やよひゆみ すみえにみゆき 三月七日 住吉に御幸 ミルオミテ ウチノウムミコ みるおみて うちのうむみこ 海松を見て 内(宮)の生む御子 カヱシネノ イミナミルヒト かゑしねの いみなみるひと カヱシネの 斎名ミルヒト ウチノチチ イキシオヲキミ うちのちち いきしおをきみ 内(宮)の父 イキシ親君 (親王)
イイヒメカ タケアシニウム いいひめか たけあしにうむ イイ姫が タケアシに生む タチマミコ イミナタケシヰ たちまみこ いみなたけしゐ タヂマ御子 斎名タケシヰ
フソフトシ キサラツシトハ ふそふとし きさらつしとは 二十二年 二月ツシトは (アスズ230年) (2月1日がツシト) ソフヲシヱ カエシネミコオ そふをしゑ かえしねみこお 十二ヲシヱ カエシネ御子を ヨツキナル コトシソヤナリ よつきなる ことしそやなり 代嗣成る 今年十八なり
ミソヨトシ ナカツキヤカニ みそよとし なかつきやかに 三十四年 九月八日に (アスズ242年) キミマカル ワカミヤカミニ きみまかる わかみやかみに 君 罷る 若宮 神に (カエシネ) ツカエント モハヒトホマテ つかえんと もはひとほまて 仕えんと 喪一年まで ミアエナス イキマスコトク みあえなす いきますことく みあえなす 生きます如く
アクルフユ オクルウネヒノ あくるふゆ おくるうねひの 明くる冬 送る畝傍の マナコタニ ナソヨニマシテ まなこたに なそよにまして 真名子谷 七十四に坐して オクルトミ トハスカタリヤ おくるとみ とはすかたりや 送る臣 問わず語りや 供をする臣 ワカキミモ オクリオサメテ わかきみも おくりおさめて 若君も 送り納めて 送葬して ミナカエシマス みなかえします 穢 還します <率川に禊して> 直します
【孝昭天皇】
トキアスス フモヨソミトシ ときあすす ふもよそみとし 時アスズ 二百四十三年 ツミヱハル ムツキツウヱハ つみゑはる むつきつうゑは ツミヱ春 一月ツウヱは (1月1日がツウヱ) コカキシヱ アマツヒツキオ こかきしゑ あまつひつきお 九日キシヱ 和つ日月を ウケツキテ カヱシネアメノ うけつきて かゑしねあめの 受け継ぎて カヱシネ天の スヘラキミ カサリオカマセ すへらきみ かさりおかませ 皇君 飾り拝ませ (陽陰の典)
ウツキヰカ ミウヱキサキト うつきゐか みうゑきさきと 四月五日 御上后と ハハオアケ ははおあけ 母を上げ (アメトヨツ姫)
カタキワキカミ かたきわきかみ 葛城 掖上 ヰケココロ ミヤコウツシテ ゐけこころ みやこうつして 池心 都 移して
ハツトシニ イツシココロオ はつとしに いつしこころお 初年に イツシココロを ケクニトミ けくにとみ 食国臣
キミトシミソヒ きみとしみそひ 君 歳三十一 サカイオカ ワカミヤノトキ さかいおか わかみやのとき 境岡 若宮の時 (=曲峡) ワカハヱカ ヌナキメハスケ わかはゑか ぬなきめはすけ ワカハヱが ヌナギ姫は典侍 (磯城県主) サタヒコカ メノオオヰメハ さたひこか めのおおゐめは サタヒコが 姫のオオヰ姫は (春日県主) ナカハシニ ヲシテアツカフ なかはしに をしてあつかふ 長橋に ヲシテ扱ふ カリスケヨ ウチハヘムタリ かりすけよ うちはへむたり 仮典侍よ 内侍六人 シモヨタリ アオメミソタリ しもよたり あおめみそたり 下(侍)四人 青侍三十人
フソコトシ キシヱハツミカ ふそことし きしゑはつみか 二十九年 キシヱ一月三日 (上鈴271年) キサキタツ ヨソタリヒメノ きさきたつ よそたりひめの 后 立つ ヨソタリ姫の トシソヰソ ムカシヤヒコニ としそゐそ むかしやひこに 歳十五ぞ 昔ヤヒコに (タカクラシタ) ユリヒメオ タマエハウメル ゆりひめお たまえはうめる ユリ姫を 賜えば生める (イスキヨリ姫) (「生む」の連体形) アメヰタキ コノアメオシヲ あめゐたき このあめおしを アメヰタキ 子のアメオシヲ マコムスメ ヨソタリハコレ まこむすめ よそたりはこれ 孫娘 ヨソタリはこれ
ミソヒトシ ウチミヤノアニ みそひとし うちみやのあに 三十一年 内宮の兄 (アスズ273年) (ヨソタリ) オキツヨソ ナルケクニトミ おきつよそ なるけくにとみ オキツヨソ なる食国臣 (瀛津世襲)
ヨソヰトシ サツキソヰカニ よそゐとし さつきそゐかに 四十五年 五月十五日に (アスズ287年) キサキウム イムナオシキネ きさきうむ いむなおしきね 后生む 斎名オシキネ アメタラシ ヒコクニノミコ あめたらし ひこくにのみこ アメタラシ ヒコクニの御子
ヨソコトシ キミヱハツヒニ よそことし きみゑはつひに 四十九年 キミヱ初日に (アスズ291年) (元日) キサキウム イムナオシヒト きさきうむ いむなおしひと 后生む 斎名オシヒト ヤマトタリ ヒコクニノミコ やまとたり ひこくにのみこ ヤマトタリ ヒコクニの御子 ウムトキニ アサヒカカヤキ うむときに あさひかかやき 生む時に 朝日輝き (初日と共に生まれる) (アマテル誕生時と同じ状況)
ムソヤトシ ムツキソヨカニ むそやとし むつきそよかに 六十八年 一月十四日に (アスズ310年) オシヒトオ ワカミヤトナス おしひとお わかみやとなす オシヒトを 若宮となす トシハタチ アスオシキネオ としはたち あすおしきねお 歳二十 明日オシキネを ヲキミトシ カスカオタマフ をきみとし かすかおたまふ 親王とし 春日を賜ふ (春日県)
ヤソミトシ アキハツキヰカ やそみとし あきはつきゐか 八十三年 秋八月五日 (アスズ325年) キミマカル トシモモソミソ きみまかる としももそみそ 君 罷る 歳百十三ぞ トミキサキ ミナトトマリテ とみきさき みなととまりて 臣 后 皆 留まりて (四十八夜終えても 引続き神霊を祭る) モニツカフ ミコカミマツル もにつかふ みこかみまつる 喪に仕ふ 皇子 神纏る (オシヒト) トシミソヰ ヲヤニツカエテ としみそゐ をやにつかえて 歳三十五 親に継がえて タミヲサム たみをさむ 民 治む
カレアニヲキミ かれあにをきみ 故 兄親王 (オシキネ) ウエナヒテ ソノコオオヤケ うえなひて そのこおおやけ 諾ひて その子オオヤケ (大宅) アワタオノ カキモトイチシ あわたおの かきもといちし アワタ・オノ カキモト・イチシ (粟田) (小野) (柿本) (壹比韋) ソトミマメ そとみまめ 十臣 忠
キミトシコトノ きみとしことの 君 年毎の ハツキヰカ ヤヨノモマツリ はつきゐか やよのもまつり 八月五日 八夜の喪纏り (命日) マコトナルカナ まことなるかな 真なるかな
【孝安天皇】
トキアスス ミモフソムトシ ときあすす みもふそむとし 時アスズ 三百二十六年 ハツノナカ アマツヒツキオ はつのなか あまつひつきお 一月の七日 和つ日月を ウケツキテ タリヒコクニノ うけつきて たりひこくにの 受け継ぎて タリヒコクニの アマツキミ イムナオシヒト あまつきみ いむなおしひと 和つ君 斎名オシヒト クラヒナル カサリオタミニ くらひなる かさりおたみに 位 成る 飾りを民に オカマセテ おかませて 拝ませて
シキナカハヱカ しきなかはゑか 磯城ナガハヱが ナカヒメオ オオスケキサキ なかひめお おおすけきさき ナガ姫を 大典侍后 トチヰサカ ヒコカヰサカメ とちゐさか ひこかゐさかめ 十市ヰサカ ヒコがヰサカ姫 (十市県主) ウチキサキ ナカハシニイテ うちきさき なかはしにいて 内后 長橋に居て ヲシテモリ スヘテソフナリ をしてもり すへてそふなり ヲシテ守 総て十二なり
フトシフユ ムロアキツシマ ふとしふゆ むろあきつしま 二年冬 室秋津島 (アスズ327年) ニイミヤコ ソヒホムレクモ にいみやこ そひほむれくも 新都 十一年 叢雲 (アスズ336年) ホヲムシオ ツクレハキミノ ほをむしお つくれはきみの 蝕虫を 付くれば 君の ミツカラニ ハラヒカセフノ みつからに はらひかせふの 自らに 祓ひ "カセフの マツリナス カレヨミカエリ まつりなす かれよみかえり 纏り" なす 故よみがえり ミツホアツ ヨリテホツミノ みつほあつ よりてほつみの 瑞穂充つ よりて "ホツミの マツリナス まつりなす 祭" なす
フソムトシハル ふそむとしはる 二十六年春 (アスズ352年) キサラソヨ カスカヲキミノ きさらそよ かすかをきみの 二月十四 春日親王の (アメタラシヒコクニ) オシヒメオ イレテウチミヤ おしひめお いれてうちみや オシ姫を 入れて内宮 コトシソミ ことしそみ 今年十三
ミソミトシノチ みそみとしのち 三十三年後 <崩御から> (アスズ358年) ハツキソヨ オクルミウエノ はつきそよ おくるみうえの 八月十四 送る御上の (カヱシネ) オモムロオ ハカタノホラニ おもむろお はかたのほらに 骸を 博多の洞に オサムナリ トミメノカラモ おさむなり とみめのからも 納むなり 臣・侍の骸も (后) ミナオサム イキルミタリモ みなおさむ いきるみたりも みな納む 生きる三人も オヒマカル アメミコノリヤ おひまかる あめみこのりや 追ひ罷る 陽陰御子典や (神武天皇)
ヰソヒトシ ナカツキハツヒ ゐそひとし なかつきはつひ 五十一年 九月初日 (アスズ377年) キサキウム イムナネコヒコ きさきうむ いむなねこひこ 后生む 斎名ネコヒコ オオヤマト フトニノミコソ おおやまと ふとにのみこそ オオヤマト フトニの御子ぞ
ナソムトシ ハルムツキヰカ なそむとし はるむつきゐか 七十六年 春一月五日 (アスズ402年) ネコヒコノ トシフソムタツ ねこひこの としふそむたつ ネコヒコの 歳二十六 立つ (他動詞) ヨツキミコ よつきみこ 代嗣御子
コソフトシハル こそふとしはる 九十二年春 (アスズ418年) スルカミヤ ハフリハラノヱ するかみや はふりはらのゑ 駿河宮 ハフリ ハラの絵 タテマツル ミコモフセトモ たてまつる みこもふせとも 奉る 皇子申せども (ネコヒコ) キミウケス きみうけす 君 受けず
ミヨモモフトシ みよももふとし 御代百二年 (アスズ428年) ムツキコカ キミマカルトシ むつきこか きみまかるとし 一月九日 君罷る 歳 モモミソナ ミコモハオサム ももみそな みこもはおさむ 百三十七 皇子 喪治む ヨソヤノチ ワカミヤニイテ よそやのち わかみやにいて 四十八後 若宮に出で マツリコト まつりこと 政事
ナカツキミカニ なかつきみかに 九月三日に オモムロオ タマテニオクリ おもむろお たまてにおくり 骸を 玉手に送り ヰタリオフ トモニオサメテ ゐたりおふ ともにおさめて 五人追ふ 共に納めて アキツカミカナ あきつかみかな "アキツ神" かな
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