三輪。神。
【三輪山】ミワヤマ −広辞苑より−
奈良県桜井市にある山。標高467m。古事記崇神天皇の条に、活玉依姫と蛇神美和の神とによる地名説明伝説が見える。三諸(みもろ)山。
三輪神。三輪大神。
1.オオモノヌシ神。 =ミモロ神・オオミワ神
2.三輪の神。三還の神。 クシヒコ・コモリ・ワニヒコと、人として世に3回現れた神霊。
『オオナムチ 殊
成す時に ミモロ神 "我あればこそ おおよその 殊
成さしむる" 先神霊 また業霊は ワニヒコぞ』31文
『故 オオナムチ 嗣となす 三度回りて 殊
成せば 一人別れて 三人目の ワニヒコまでが ミワの神"』31文
『代々皇の 守りとて 九月十一日 祭らしむ アタツクシネに オオミワの 姓
賜わる ワニヒコは 百九十二歳ぞ』31文
『汝が政 諌めずて 阿り君を 穴にする 心汚なし 君
如何 わが御祖神 離れんや 穢れ食まずと』32文
『タカハ師イクヒ 酒造り ミワ大神に 奉る その味うまし 十二月八日 神祭らせて 御幸なる』33文
(『四月四日 タカハ師 村イクヒ
うま酒造り ミワ神に その酒うまし
十二月八日 タタネコ遣りて 御幸なる』)33文
三輪の臣。
=オオミワの臣
オオタタネコがミマキイリヒコにより、オオミワ神の斎主にされて以降、その子孫をミワの臣と呼ぶのだろう。
それ以前にはアタツクシネが、カヌナカワミミよりオオミワの姓を賜っている。
★出雲神の嫡裔、大国主命の神裔と伝えられる神代以来の大族。大和国磯城郡三輪山を根拠として三輪氏族と呼ばれ、後裔の大神氏は神官や楽人として活躍する。豊後大神氏も大和大神氏と同じ三輪氏の分流であるが、一部が藤姓大友氏の系譜と交錯している。
■*はオオモノヌシ +はコトシロヌシ ソサノヲ━オホナムチ*━クシヒコ*+━コモリ*┳カンタチ━フキネ* ┃ ┗ツミハ+━━━━┓ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┗クシミカタマ*━アダツクシネ*━タケイイカツ━タケミカジリ┓ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┗ミケヌシ━オミケヌシ━タケイイカタス━オオタタネコ┓ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┗ミケモチ┳オオカモツミ ┃ ┣オオトモヌシ ┃ ┗タタヒコ
『ミワの臣 ヲヲタタネコが 捧げんと 二百三十四歳 謹しみて押す』序
『君 喜びて 和幣なし トヨケの神へ 差使は ミワのミケモチ 斎人は タニハミチウシ』36文
『ミワのタタネコ 山背が 館に到れば サラス問ふ "娘一人を 三家に乞ふ 誰に遣りても 二は恨む 極め指し給へ"』37文
『この時に ミワのタタネコ 御代の文 編みて上代の ほつま道と 四十文成して』40文
『クニナツに 示せば互ひ ミカサ文 見映え示して あい語り 新たに染めて 二家より 上げ奉る』40文
『この文は 昔 モノヌシ 御言宣
受けて作りて 阿波宮に 入れ置く
後の 代々の文 まちまちなれば』40文
『見ん人も 予めにて な謗りそ 百千試み 遥かなる 奥の神道へ まさに入るべし』40文
『時 上鈴 八百四十三年の 秋天日 これ
奉る ミワの臣 スヱトシ畏れ 謹みて染む』40文
『ミカサ文 奉げ給ふを ミワの臣 道
褒め曰く』ミ序
『ヲオミワの タタネコが歳 二百三十四 謹み展べて 添える餞押』ミ序
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