※29文〜40文は、地名については原義と異なると思われる場合でも、現在一般に使用されている漢字で表記しています。
【原文カタカナ訳】 【語義考察】 【漢字読み下し】
トリアワセタチハナノアヤ とりあわせたちはなのあや 鶏合せ 橘の文
タマキミヤ フソナホハツキ たまきみや ふそなほはつき 珠城宮 二十七年八月 (垂仁天皇) (アスズ715年) ナカヲミト イクサウツワオ なかをみと いくさうつわお 七日ヲミト 兵器を ミテクラニ ウラトエハヨシ みてくらに うらとえはよし 幣に 占問えば吉 ユミヤタチ モロノヤシロニ ゆみやたち もろのやしろに 弓・矢・太刀 諸の社に ヲサメシム カンヘサタメテ をさめしむ かんへさためて 納めしむ 神部定めて ヨリヨリニ ウツワニマツル よりよりに うつわにまつる よりよりに 器に纏る ハシメナリ はしめなり 初めなり
フソヤホカンナ ふそやほかんな 二十八年十月 (アスズ716年) ヰカマカル アニヤマトヒコ ゐかまかる あにやまとひこ 五日罷る 兄ヤマトヒコ ネツキフカ オモムロオクル ねつきふか おもむろおくる 十一月二日 骸 送る ツキサカニ ハヘルヒトラオ つきさかに はへるひとらお 築坂に 侍る人らを イキナカラ ウツメハサケヒ いきなから うつめはさけひ 生きながら 埋めば叫び ツヒニカル イヌトリハムオ つひにかる いぬとりはむお つひに枯る 犬・鳥 食むを キコシメシ アワレニオホス きこしめし あわれにおほす 聞こし召し 哀れに思す ミコトノリ イキオメクマテ みことのり いきおめくまて 御言宣 「生きを恵まで カラスルハ イタマシヒカナ からするは いたましひかな 枯らするは 痛ましいかな フルノリモ ヨカラヌミチハ ふるのりも よからぬみちは 古法も 良からぬ道は ヤムヘシソ やむへしそ 止むべしぞ」
ミソホハツムカ みそほはつむか 三十年一月六日 (アスズ718年=西暦元年) ミコトノリ ミコヰソキネト みことのり みこゐそきねと 御言宣 「御子ヰソキネと タリヒコト ノソムトコロオ たりひこと のそむところお タリヒコと 望む所を モフスヘシ ヰソキネイワク もふすへし ゐそきねいわく 申すべし」 ヰソキネ曰く ユミヤヱン タリヒコイワク ゆみやゑん たりひこいわく 「弓矢得ん」 タリヒコ曰く クライヱン キミフタミコノ くらいゑん きみふたみこの 「位得ん」 君 二御子の ノソムママ ユミヤタマワル のそむまま ゆみやたまわる 望むまま 弓矢賜わる アニノミヤ オトハクライオ あにのみや おとはくらいお 兄の宮 弟は位を ツクヘシト つくへしと 継ぐべしと
ミソフホフツキ みそふほふつき 三十二年七月 (アスズ720年) ムカマカル キサキヒハスノ むかまかる きさきひはすの 六日罷る 后ヒハスの ミオクリハ モロトミメシテ みおくりは もろとみめして 回送りは 諸臣 召して ミコトノリ サキノオヒカレ みことのり さきのおひかれ 御言宣 「先の追ひ枯れ ヨカラネハ コノオコナヒハ よからねは このおこなひは 良からねば この行ひは イカニセン ノミノスクネカ いかにせん のみのすくねか 如何にせん」 ノミのスクネが モフサクハ イケルオウツム もふさくは いけるおうつむ 申さくは 「生けるを埋む タメシトハ アニヨカランヤ ためしとは あによからんや ためしとは あに良からんや ハカラント はからんと 計らん」 と
イツモノハシヘ いつものはしへ 出雲の土師部 モモメシテ ハニテコオヨヒ ももめして はにてこおよひ 百 召して 埴偶および クサクサノ カタチツクリテ くさくさの かたちつくりて 種々の 形造りて タテマツル イマヨリノチハ たてまつる いまよりのちは 奉る 「今より後は ハシモノオ イケルニカエテ はしものお いけるにかえて 土師物を 生けるに代えて ミササキニ ウエテタメシト みささきに うえてためしと 陵に 埋えてためしと ナスヘシヤ なすへしや なすべしや」
キミヨロコヒテ きみよろこひて 君 喜びて ミコトノリ ナンチカハカリ みことのり なんちかはかり 御言宣 「汝が計り ワカココロ ヨシトハニワノ わかこころ よしとはにわの 我が心 良し」 と 埴生の タテモノオ ノチノタメシト たてものお のちのためしと 奉物を 後のためしと サタマリテ ノミノスクネオ さたまりて のみのすくねお 定まりて ノミのスクネを アツクホメ カタシトコロオ あつくほめ かたしところお 篤く褒め 形し所を タマワリテ ハシノツカサソ たまわりて はしのつかさそ 賜わりて 土師の司ぞ
ミソミトシ ミワノタタネコ みそみとし みわのたたねこ 三十三年 ミワのタタネコ (アスズ721年) ヤマシロカ タチニイタレハ やましろか たちにいたれは 山背が 館に到れば (山背国造) サラストフ ムスメヒトリオ さらすとふ むすめひとりお サラス問ふ 「娘一人を (大国県主) (カマハタ) ミヤニコフ タレニヤリテモ みやにこふ たれにやりても 三家に乞ふ 誰に遣りても フハウラム コメサシタマヘ ふはうらむ こめさしたまへ 二は恨む 極め指し給へ」 コタエイフ アスカモカミノ こたえいふ あすかもかみの 答え言ふ 「明日 カモ神の (タタネコ) ミマエニテ コメサタメント みまえにて こめさためんと 御前にて 極め定めん」 と
トモニユク ミヲヤノカミニ ともにゆく みをやのかみに 共に行く 御祖の神に (タタネコとサラス) (河合宮) ニキテナシ タテマツルワカ にきてなし たてまつるわか 和幣なし 奉るワカ (和歌)
アメツチノ ミヨノサカエオ あめつちの みよのさかえお 『天地の 和の栄えを (陽陰) イワハルル メヲノミヲヤノ いわはるる めをのみをやの 祝はるる 夫婦の御祖の (尊敬) (ウガヤとタマヨリ姫) カミソタフトキ かみそたふとき 神ぞ尊き』
トキニカミ ツケノミウタニ ときにかみ つけのみうたに 時に神 告げの御歌に
ヨノナカニモノオモフヒトノ よのなかに ものおもふひとの 『世の中に 物思ふ人の アリトイフハワレオタノマヌ ありといふは われおたのまぬ 有りといふは 我を頼まぬ ヒトニソアリケル ひとにそありける 人にぞありける』
カミウタオ キキテタタネコ かみうたお ききてたたねこ 神歌を 聞きてタタネコ イワクコレ マヨフユエナリ いわくこれ まよふゆえなり 曰く 「これ 迷ふ謂なり イマヨリソ モモカモフテテ いまよりそ ももかもふてて 今よりぞ 百日詣でて キタリマセ ワレハカラント きたりませ われはからんと 来たりませ 我 計らん」 と ユクキフネ タタネコカウタ ゆくきふね たたねこかうた 行く貴船 タタネコが歌
アワウミノ アツミノカミト あわうみの あつみのかみと 『アワ海の アヅミの神と スミノヱモ トモニキフネノ すみのゑも ともにきふねの スミノヱも 共に貴船の マモリカミカナ まもりかみかな 守り神かな』
カモニユキ ワケイカツチノ かもにゆき わけいかつちの 賀茂に行き ワケイカツチの (分土山) カミモマタ ニキテトワカト かみもまた にきてとわかと 神もまた 和幣とワカと
ヒトクサオ ワケイカツチノ ひとくさお わけいかつちの 『人草を 別雷の (火と水) マモルユエ ミヨハオサマル まもるゆえ みよはおさまる 守る故 世は治まる カモノカンカセ かものかんかせ カモのカンカセ』 (上下/陽陰の本質の具象)
タタネコハ カエリモフサク たたねこは かえりもふさく タタネコは 帰り申さく [シルシササケテ] [しるしささけて] [璽 捧げて] カモノミヤ アルルオフシテ かものみや あるるおふして 「カモの宮 粗るるを付して (河合宮・別雷宮) オモミレハ カモトイセトハ おもみれは かもといせとは 思みれば カモとイセとは (上下の神と妹背の神は) ミヲヤナリ ステニヤフレテ みをやなり すてにやふれて 上祖なり すでに破れて イツホソシ マモリホソキハ いつほそし まもりほそきは 稜威細し 守り細きは オトロヒカ おとろひか 衰ひか」
キミキコシメシ きみきこしめし 君 聞こし召し タタネコカ マコクラマロオ たたねこか まこくらまろお タタネコが 孫クラマロを イワヒヌシ ナモオオカモト いわひぬし なもおおかもと 斎主 名も "オオカモ" と (大鴨積命) カモヤシロ サラニツクラセ かもやしろ さらにつくらせ カモ社 新に造らせ ネツキモチ ミヲヤワタマシ ねつきもち みをやわたまし 十一月十五日 御祖 渡座 (賀茂御祖神社) アスソムカ ワケイカツチノ あすそむか わけいかつちの 明十六日 ワケイカツチの ミヤウツシ オオタタネコオ みやうつし おおたたねこお 宮移し オオタタネコを (賀茂別雷神社) サオシカノ ニキテオサムル さおしかの にきておさむる 差使の 和幣納むる
ツキノトシ カモニミユキノ つきのとし かもにみゆきの 次の年 賀茂に御幸の (アスズ722年) ミチツクリ サラニウチハシ みちつくり さらにうちはし 道造り 新に打橋 ツクリキノ キツハカリハシ つくりきの きつはかりはし 造り木の "キツ" は仮橋 (木津川)
ヤヨヒハヒ ヤソトモソロエ やよひはひ やそともそろえ 三月初日 八十供そろえ ミヤコテテ タマミツヤトリ みやこてて たまみつやとり 都出て 玉水宿り フカカアヒ ミテクラオサム ふかかあひ みてくらおさむ 二日 河合 幣 納む ミヲヤカミ ヤマシロフチカ みをやかみ やましろふちか 御祖神 山背フチが (賀茂御祖神社) (山背国造) ミアエナス ミカキフネヨリ みあえなす みかきふねより 御饗なす 三日 貴船より カモニユキ ワケイカツチノ かもにゆき わけいかつちの 賀茂に行き ワケイカツチの (賀茂別雷神社) オホカミニ ミテクラオサメ おほかみに みてくらおさめ 大神に 幣 納め
カモスミカ ニイトノマエニ かもすみか にいとのまえに カモスミが 新殿前に (大鴨積命) トリケアフ とりけあふ 鶏 蹴合ふ (鶏合せ)
キミタノシメハ きみたのしめは 君 楽しめば ワランヘカ イロヨキトリオ わらんへか いろよきとりお 童んべが 色良き鶏を ホメイワク イヨカマハタヨ ほめいわく いよかまはたよ 褒め曰く 「いよカマハタよ!」 キミトケス マテニトフイマ きみとけす まてにとふいま 君 解けず 左右に問ふ 「今 ワランヘカ カマハタハナニ わらんへか かまはたはなに 童んべが カマハタは何?」 イワクコレ ハヤリウタナリ いわくこれ はやりうたなり 曰く 「これ 流行り歌なり オホクニカ ムスメカマハタ おほくにか むすめかまはた 大国が 娘カマハタ (大国サラス) ウツクシク アメニカカヤク うつくしく あめにかかやく 美しく あめに輝く コレナツク これなつく これ名付く」
ヨカウチニユク よかうちにゆく 四日宇治に行く (山城宇治の宇治) ミチスカラ ヨキヒトエンハ みちすから よきひとえんは 道すがら 「良き人得んば シルシアレ ホコトリイノリ しるしあれ ほことりいのり 徴あれ」 矛取り 祈り オホカメオ ツケハナルイシ おほかめお つけはなるいし 大亀を 突けば成る石 コレシルシ ウチノカメイシ これしるし うちのかめいし これ徴 "宇治の亀石"
カエルノチ サラスカムスメ かえるのち さらすかむすめ 帰る後 サラスが娘 (大国サラス) ヨヒノホセ カマハタトヘオ よひのほせ かまはたとへお 呼び上せ カマハタトベを キサキトシ イワツクワケノ きさきとし いわつくわけの 后とし イワツクワケの (内宮) ミコオウム イムナトリヒコ みこおうむ いむなとりひこ 御子を生む 斎名トリヒコ
フチカメノ カリハタトヘモ ふちかめの かりはたとへも フチが姫の カリハタトベも (山背フチ) ミヲヤワケ ヰイシタリヒコ みをやわけ ゐいしたりひこ ミヲヤワケ ヰイシタリヒコ ヰタケワケ ミタリウムナリ ゐたけわけ みたりうむなり ヰタケワケ 三人生むなり
ミソヰホノ ナツキヰソキネ みそゐほの なつきゐそきね 三十五年の 九月 ヰソキネ (アスズ723年) タカイシト チヌノイケホル たかいしと ちぬのいけほる 高石と 茅渟の池掘る (河内の高石) メツキホル サキトアトミト めつきほる さきとあとみと 十月掘る 狭城と迹見と モロクニニ ヤモノイケミソ もろくにに やものいけみそ 諸国に 八百の池溝 ツクラシム ナリワヒフエテ つくらしむ なりわひふえて 造らしむ 成り生ひ増えて タミトメル たみとめる 民 富める (「富む」の連体形)
ミソナホハツヒ みそなほはつひ 三十七年 初日 (上鈴725年)(元日) ヲミヱタツ タリヒコハソヤ をみゑたつ たりひこはそや ヲミヱ立つ タリヒコは十八 (他動詞) ヨツキミコ よつきみこ 代嗣御子
ミソコホメツキ みそこほめつき 三十九年十月 (アスズ727年) ヰソキネハ ウチミテツクル ゐそきねは うちみてつくる ヰソキネは 打身で造る (鍛造) (⇔鋳造る) チツルキオ アカハタカトモ ちつるきお あかはたかとも 千剣を "アカハタカ" とも ナオツケテ オシサカニオク なおつけて おしさかにおく 名を付けて 押境に置く コノトキニ シトリヘタテヘ このときに しとりへたてへ この時に シトリ侍 タテ侍 オホアナシ ユミヤハツカシ おほあなし ゆみやはつかし オホアナ師 弓・矢・刃造師 タマヘカミ アマノオサカヘ たまへかみ あまのおさかへ タマベ守 天のオサカ侍 チノヘキヘ タチハカセヘノ ちのへきへ たちはかせへの 地のヘキ侍 太刀佩かせ侍の トシナヘオ アハセタマワル としなへお あはせたまわる 十品侍を 合せ賜わる
ニシキミコ チツルキウツス にしきみこ ちつるきうつす ニシキ御子 千剣 映す イソノカミ カミカカスカノ いそのかみ かみかかすかの 軍の神 神が春日の イチカワニ ツケオサメシム いちかわに つけおさめしむ イチカワに 告げ収めしむ ニシキミコ ツカサトナセル にしきみこ つかさとなせる ニシキ御子 司となせる
ムソヨトシ サミタレヨソカ むそよとし さみたれよそか 六十四年 五月雨四十日 (アスズ752年) フリツツキ イナタミモチニ ふりつつき いなたみもちに 降り続き 稲田 ミモチに イタミカル キミニモフセハ いたみかる きみにもふせは 傷み枯る 君に申せば ミツカラニ カセフノマツリ みつからに かせふのまつり 自らに "カセフの纏り" ナシマセハ ヤハリワカヤキ なしませは やはりわかやき なしませば やはり若やぎ ミツホナル カエリモフテノ みつほなる かえりもふての 瑞穂成る 返り詣での ホツミオモ ミツカラマツリ ほつみおも みつからまつり "ホツミ" をも 自ら祭り タマフユエ クニユタカナリ たまふゆえ くにゆたかなり 給ふゆえ 国 豊かなり
ヤソナホノ キサラキヰカニ やそなほの きさらきゐかに 八十七年の 二月五日に (アスズ775年) ニシキミコ イモトニイワク にしきみこ いもとにいわく ニシキ御子 妹に曰く ワレヲヒヌ ミタカラモレヨ われをひぬ みたからもれよ 「我 老ひぬ 神宝守れよ」 (千剣) ヲナカヒメ イナミテイワク をなかひめ いなみていわく ヲナカ姫 否みて曰く タオヤメノ ホコラタカクテ たおやめの ほこらたかくて 「嫋女の 祠 高くて」 マタイワク タカケレハコソ またいわく たかけれはこそ また曰く 「高ければこそ ワカツクル カミノホコラモ わかつくる かみのほこらも 我が造る 神の祠も カケハシノ ママトウタエハ かけはしの ままとうたえは 懸梯の まま」 と訴えば ヲナカヒメ モノヘトチネニ をなかひめ ものへとちねに ヲナカ姫 モノベトチネに マタサツク またさつく また授く <懸梯を>
タニハミカソカ たにはみかそか 丹波ミカソが イヱノイヌ ナハアシユキカ いゑのいぬ なはあしゆきか 家の犬 名はアシユキが クヒコロス ムシナノハラニ くひころす むしなのはらに 食ひ殺す 狢の腹に ヤサカニノ タマアリオサム やさかにの たまありおさむ ヤサカニの 珠あり 納む イソノカミ いそのかみ イソノカミ
ヤソヤフミソカ やそやふみそか 八十八年七月十日 (アスズ776年) ミコトノリ ワレキクムカシ みことのり われきくむかし 御言宣 「我聞く 昔 シラキミコ ヒホコカツトノ しらきみこ ひほこかつとの 新羅御子 ヒボコが苞の タカラモノ タシマニアルオ たからもの たしまにあるお 宝物 但馬にあるを (出石神社) イマミント ヒホコカヒマコ いまみんと ひほこかひまこ いま見ん」 と ヒボコが曽孫 キヨヒコニ サオシカヤレハ きよひこに さおしかやれは キヨヒコに 差使遣れば タテマツル たてまつる 奉る
ハホソアシタカ はほそあしたか "ハホソ" "アシタカ" ウカカタマ イツシコカタナ うかかたま いつしこかたな "ウカが珠" "イツシ小刀" イツシホコ ヒカカミクマノ いつしほこ ひかかみくまの "イツシ矛" "ひ鏡" "くまの ヒモロケス イテアサノタチ ひもろけす いてあさのたち 胙据" "イテアサの太刀" ヤツノウチ イツシコカタナ やつのうち いつしこかたな 八つの内 イツシ小刀 ノコシオキ ソテニカクシテ のこしおき そてにかくして 残し置き 袖に隠して <御前に> ハキイツル スヘラキコレオ はきいつる すへらきこれお 佩き出づる 皇これを シロサステ ミキタマハレハ しろさすて みきたまはれは 知ろさずて 御酒賜はれば ノムトキニ ハタヨリオチテ のむときに はたよりおちて 飲む時に 肌より落ちて アラワルル あらわるる 露わるる
キミミテイワク きみみていわく 君見て曰く ソレナンソ ココニキヨヒコ それなんそ ここにきよひこ 「それ何ぞ」 ここにキヨヒコ カクシヱス ササクタカラノ かくしゑす ささくたからの 隠し得ず 「捧ぐ宝の タクイナリ キミマタイワク たくいなり きみまたいわく 類なり」 君また曰く ソノタカラ アニハナレサル そのたから あにはなれさる 「その宝 あに離れざる タクイカト ヨツテササケテ たくいかと よつてささけて 類か」 と よって捧げて オサメオク おさめおく 納め置く
ノチニヒラケハ のちにひらけは 後に開けば コレウセヌ キヨヒコメシテ これうせぬ きよひこめして これ失せぬ キヨヒコ召して モシユクヤ コタエモフサク もしゆくや こたえもふさく 「もし行くや」 答え申さく サキノクレ コタチミツカラ さきのくれ こたちみつから 「先の暮 小太刀みづから キタレトモ ソノアスノヒニ きたれとも そのあすのひに 来たれども その明すの日に マタウセヌ キミカシコミテ またうせぬ きみかしこみて また失せぬ」 君 畏みて マタトワス オノツトイタル またとわす おのつといたる また問わず おのづと到る アハチシマ カミトマツリテ あはちしま かみとまつりて 淡路島 神と祭りて (出石神社) ヤシロタツ やしろたつ 社 建つ (他動詞)
コソホキサハヒ こそほきさはひ 九十年二月一日 (アスズ778年) ミコトノリ カクオモトメニ みことのり かくおもとめに 御言宣 「橘を求めに タシマモリ トコヨニユケヨ たしまもり とこよにゆけよ タジマモリ トコヨに行けよ ワカオモフ クニトコタチノ わかおもふ くにとこたちの 我が思ふ クニトコタチの ミヨノハナ みよのはな 代の木」
コソコホサシヱ こそこほさしゑ 九十九年サシヱ (アスズ787年) アフミハヒ キミマカルトシ あふみはひ きみまかるとし 七月初日 君罷る 歳 モモミソナ ミコノモハイリ ももみそな みこのもはいり 百三十七 皇子の喪入り (ヲシロワケ) ヨソヤヨル ハニタテモノシ よそやよる はにたてものし 四十八夜 埴奉物し シハスソカ スカラフシミニ しはすそか すからふしみに 十二月十日 菅原伏見に ミオクリノ タヒモカカヤク みおくりの たひもかかやく 回送りの 灯も輝く カミノミユキソ かみのみゆきそ 神の御幸ぞ
アクルハル ヤヨヒニカエル あくるはる やよひにかえる 明くる春 三月に帰る (アスズ788年) タシマモリ トキシクカクツ たしまもり ときしくかくつ タジマモリ 研ぎ優ぐ橘果 フソヨカコ カクノキヨサホ ふそよかこ かくのきよさほ 二十四篭 橘の木 四竿 カフヨサホ モチキタルマニ かふよさほ もちきたるまに 株 四竿 持ち来たる間に キミマカル ミヤケナカハオ きみまかる みやけなかはお 君 罷る 土産半ばを ワカミヤエ ナカハオキミノ わかみやえ なかはおきみの 若宮へ 半ばを君の (ヲシロワケ) ミササキニ ササケモフサク みささきに ささけもふさく 御陵に 捧げ申さく
コレヱント ハルカニユキシ これゑんと はるかにゆきし 「これ得んと 遥かに行きし (橘) トコヨトハ カミノカクレノ とこよとは かみのかくれの トコヨとは 尊の隠れの (君の死) オヨヒナキ フリオナシムノ およひなき ふりおなしむの 及びなき 風を馴染むの トトセフリ アニオモヒキヤ ととせふり あにおもひきや 十年経り あに思ひきや シノキヱテ サラカエルトハ しのきゑて さらかえるとは 凌ぎ得て 更 帰るとは スヘラキノ クシヒニヨリテ すへらきの くしひによりて 皇の 貴霊によりて カエルイマ ステニサリマス かえるいま すてにさります 帰る今 すでに更ります トミイキテ ナニカセントテ とみいきて なにかせんとて 臣 生きて 何かせん」 とて オヒマカル おひまかる 追ひ罷る
モロモナンタテ もろもなんたて 諸も涙で カクヨモト トノマエニウヱ かくよもと とのまえにうゑ 橘 四本 殿前に植え (珠城宮殿) カフヨモト スカハラニウユ かふよもと すかはらにうゆ 株 四本 菅原に植ゆ (菅原伏見陵)
ノコシフミ ミコミタマヒテ のこしふみ みこみたまひて 遺し文 皇子 見給ひて (ヲシロワケ) カクキミカ ハナタチハナハ かくきみか はなたちはなは 「橘君が ハナタチバナは (橘モトヒコ) カレカツマ オシヤマヤリテ かれかつま おしやまやりて 故が妻」 オシヤマ遣りて (タジマモリ) ヨハシムル チチモトヒコト よはしむる ちちもとひこと 呼ばしむる 父モトヒコと ノホリクル ミコヨロコヒテ のほりくる みこよろこひて 上り来る 皇子喜びて モトヒコニ ユルシハタマヒ もとひこに ゆるしはたまひ モトヒコに 許し衣 賜ひ モオツトム もおつとむ 喪を務む
ハナタチハナカ はなたちはなか ハナタチバナが サツキマツ ヨハニウムコニ さつきまつ よはにうむこに 五月末 夜半に生む子に ミコトノリ ムカシノヒトノ みことのり むかしのひとの 御言宣 「昔の人の ヲオトトム ヲトタチハナト をおととむ をとたちはなと 緒を留む ヲトタチバナ」 と ナオタマヒ ニタルスカタノ なおたまひ にたるすかたの 名を賜ひ 似たる姿の <タジマモリに> オシヤマニ トツクハハコモ おしやまに とつくははこも オシヤマに とつぐ母子も ヲンメクミ フカキユカリノ をんめくみ ふかきゆかりの 御恵み 深き縁りの <オウスとの> タメシナルカナ ためしなるかな ためしなるかな (初め)
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