穂積 (果実)。
穂積の祭
(果実の祭)。
収穫祭。 =ウケ祭・ウカ祝
タネコがトヨの国で直りの祓「カセフの纏り」により、稲の凶作を防いだ事に始まる。
孝安天皇と垂仁天皇
は、自ら『カセフの纏り』を行い、『ホツミの祭』をやっている。
「返り詣でのホツミ」とあり、実りを神に感謝する意味合いの祝だったことがわかる。
『主ら努めて 押草の 守りに苗も よみがえり みあつく成れば 賑はひて 故に
"果実の 祭"
なす』31文
『叢雲 蝕虫を 付くれば
君の 自らに 祓ひ
"カセフの 纏り"
なす 故
よみがえり 瑞穂充つ よりて
"果実の 祭"
なす』31文
『君に申せば 自らに カセフの纏り なしませば やはり若やぎ 瑞穂成る 返り詣での 果実をも 自ら祭り』37文
『八月初日は ウケ祭 二陰立つ風に 萱を臥す 臥し粗れ萎わき ソロ穢えば シナト祭に ノワキ討つ 蝕の祓ぞ』ミ7文
『八月初めは 二陰咲く 嵐
草臥す ウカ祝の 果実並ぶる "ホ"
元神』ミ9文
『繁の山は 饒ウケモチの ヤツミミも カセウ
ホツミも 力
守るなり』フ113
穂積の治人。
孝霊天皇は、ハラミ山への御幸の後、梅宮のハフリ「ホツミのオシウド」に、ヰヅアサマ御子
(ムメヒト・サクラギ・ウツキネ)
と
ヤマヅミ
(マウラ)
の四神を、和す河原に移させる。
「ホツミ」はホツマ国に根拠を置き、代々ハラヲキミに仕える族の姓だと思われる。その先祖はおそらくオオヤマスミ。
静岡県富士宮市朝日町、冨知
(フヂ)
神社
『梅宮の ハフリ 穂積の治人に イツアサマ御子 ヤマツミの 四神移して 和す川原』32文
(穂積右仕・穂積右使)。 =テチカ
(右近)
タチバナモトヒコの羽の臣ではないかと思われる。穂積のオシウドの後裔か。
ヤマトタケの東征に先駆け、オトタチバナ姫
(タジマモリの娘)
と
サクラネマシ
(桜主左仕)
と共に、サガムのオノの城に遣わされる。
後にテチカ・マチカの二人は大磯の海岸に、海中に身を投げたオトタチバナ姫の櫛と帯を見つける。ヤマトタケはその帯と櫛を塚
(吾妻守)
を築いて埋め、ソサノヲのヤスカタ神に倣って、連り天引の祭りを行い、社を建てる。
■ホツミテシ=オシヤマの可能性が強いと見ている。タジマモリを失ったハナタチバナ姫を娶ったときにモトヒコの臣として下されたか。
★『旧事』穂積忍山宿禰。日本武尊の妻、弟橘媛の父。
『タチハナ姫と ホツミテシ サクラネマシを 先に遣り』39文
『軍
下れば ヒタカミが 招くモトヒコ 頷かず 相模の小野に 城
構え テシとマシらと 守り固む』39文
『マチカ・テチカの 臣二人 ヲトタチハナの 櫛と帯 得れば嘆きて 姫のため 連り天引の 祭なす』39文
『これソサノヲの オロチをば 連りヤスカタ 神となし ハヤスヒ姫も アシナヅチ 七姫
祭る 例し以て』39文
『形見をここに 塚となし 名も吾妻守[東守] 大磯に 社を建てて 神祭』39文
『東方へ 行けば相模に 御饗なす マシ・テシ拝み 泣き曰く "姫
滅ぼして まみえ得ず"』40文
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