『この二柱 生む殿は アマのハラミと ツクバ山 淡路 ツキスミ 隈野なりけり』3文
『昔タマキネ 誓いして カツラギ山の 八千禊 済みて霊鳥の 出車を 造り
桂の 迎ひとて ハラミに伝ふ ある形』4文
『時 二十一鈴 百二十五枝 三十一キシヱの 初日の出 若日と共に 生れませば 斎名ワカヒト 産宮は ハラミサカオリ』28文
『天に収めて オオヤマト ヒタカミ
ヤスの 政事 聞こせば民も 穏やかに 二十五万年』28文
孕み山。蓬莱身山。孕山。蓬莱山。
今の富士山。
「(二尊がアマテルの神霊を) 孕んだ山」の意。
また『ハ』はハホ菜、『ラ』はラハ菜、『ミ』は身草を意味する。
食すと千年寿命が延びるというこの千代三草を讃え、この三草が生える霊峰をハラミ山と名づけた。
このハラ山に中国は『蓬莱山』と当てたか。またポパイが食べると怪力を出す「ホウレン草」の元か!!!???
ハラミ山は他にも 「カグヤマ(橘山)」「オオヒヤマ(太陽山)」「ヒノヤマ(日の山)」「オオヤマ(太山)」「コノヤマ(熟山/九の山)」「トヨヰユキ山(豊居雪山)」「フシの山(不二の山・悉の山)」などの名を持つ。
『故にハラミを 太陽山 トヨケ考えて ワカヒトと 斎名を捧ぐ』3文
『タカミムスビと 国
統べて トコヨの木を ハラミ山 橘山となす 五百継ぎの 真榊も植え』4文
『嘆くトヨケの ハラミ山 登りて見れど "八州なる 億民も 蠢きて 道
習えぬも 理" と やはり嘆きて』4文
『この頃キミは ハラミ山 登りて曰く 諸共に 国々巡幸り 民を治し 姫御子生めど 嗣子なく 楽しなきとて』4文
『マス鏡 両手に日・月 擬らえて 神生り出でん 事を乞ひ 頭
廻る間に アクリ乞ふ』4文
『御子は太陽の 位
乗る 日の山の名も 太山ぞ 故
太山下 日高みの 和国の宮』6文
『ホツマ君 桂来山の 八千座の 禊も満ちて 桂木の 出車成して 迎えんと ハラミ山下に 伝え寄る』ミ逸文
『ハラミ山から 四方を見て "裾野は広し 水を埋み 裾野
田にせん"』24文
『君 熟山に 登りみて 中子安めり 八峰に 居雪絶えねば 代々の名も 響居雪山』24文
『百草あれど ハ・ラ・ミの三 殊優る故 三草褒め ハラミ山なり』24文
『昔 ニハリの 宮
立てて 田水のために ハラミ山 成りて三十万 民を治す ついに地上 ホツマ成る』26文
『九十二年春 駿河宮 ハフリ
ハラの絵 奉る 御子申せども 君
受けず』31文
『諏訪ハフリ ハラ山の絵を 奉る 君これを褒む 同じ時 シラヒゲの孫 アメミカゲ アワ海の絵を 奉る』32文
『我 昔この 絵を見れど 宛無で貴く これを棄つ いま山・沢の 絵合せは 割札合わす 吉き兆』32文
『ハラミの山の 吉き草も 五百年前に 焼け失せし 種も再び 生る兆 ニオ海
山を 潤ほせば 千齢見る草も 生ゆるぞと』32文
『三月七日 ハラミ山へと 御幸なる その道
成りて 黒田より香具山
賀茂や 多賀の宮』32文
『御作りの歌 "半ば旧り 半ば湧きつつ 九の山と 共統つまりの 熟山よこれ"』32文
『"ハラミ山 一振咲けよ 藤蔓の 名をも縁の 熟山よこれ" これよりぞ 名も
"フシの山"』32文
『上祖天君 高千穂の 峰に登りて 日の山の 朝日に辞み 妻
向ひ 上下恵む 神となる 国の名もこれ』38文
『ヤマトタケ 髪梳き清め 白橿の 太刀をハラミの 御柱と 祈る火水の 清祓』39文
『先の妻 みな枯れ 今は ミヤツ姫 一人会わんと ハラミより 心細くも 懸梯を 凌ぎ上れば』40文
『和照らす 君を還道に 永らえと 太陽山下の ト下宮 新に造りて 悉
成るを』ミ4文
『天の山の 中 ウツロヰが アワの砂 九星の胞衣の 宗ぞ編みける』フ001
八湖。
ハラミ山の裾野を田にするための貯水池として、ニニキネはタチカラヲをして八つの湖を掘らせる。
東に『ヤマナカ(山中湖)』、東北に『アス(明見湖)』、北は『カワグチ(河口湖)』、北西に『モトス(本栖湖)』、西に『ニシノウミ(西湖)』、西南に『キヨミ(精進湖)』、南は『シビレ(四尾連湖)』、東南は『スド(須戸湖)』。
ニハリの民が群れ来て八湖を掘り、その土をハラミ山頂に積み上げ富士八峰を造る。
八湖は孝霊天皇から五百年前 (上鈴50年頃) の噴火で三湖が埋まる。
★現在、富士八湖についてさまざまな名がある。
山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖・芦ノ湖・田貫湖・四尾連湖。
山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖・泉端・明見湖・四尾連湖。
山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖・浮島沼・明見湖・四尾連湖。
★【富士八海】(富士八湖) https://blogs.yahoo.co.jp/rnksr047/13912523.html
富士八海とは富士信仰の長谷川角行が修行した地だと言われています。そしてこの八海を巡拝するのが富士信仰の行の一つでありました。琵琶湖や芦ノ湖など全国に及ぶ外八海と、富士山周辺の内八海とがありますが、内八海は仙瑞・山中湖・明見湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖・四尾連湖の順に回って行を行っていたと言います。その中で『甲斐国志』や『駿河国新風土記』などは仙瑞ではなく須戸湖(須津湖・須津沼・浮島沼)を入れた八海としています。
『タチカラヲ 八方に掘らしむ 湖の名も 東はヤマナカと 東北はアス 北はカハクチと 北西モトス 西はニシノウミ』24文
『西南キヨミ 南はシビレウミ 東南はスド ニハリの民が 群れ来り 湖掘り土を 峰に上げ "八房計り"
と 天に応え』24文
『峰に降る雪 池水の 末九千里の田と成りて 及ぶ
三万田に 二十年に 渫えなせとて』24文
『中峰の 充てはアワ海 八峰は 裾の八湖 三つ埋まり 焼くれど 眺は 変らじと』32文
八峰。八房。
富士山頂火口壁上の八峰。
現在は『富士八峰』また『芙蓉八朶(フヨウハチダ)』という。
1.朝日岳(大日岳) (3750m)
2.伊豆ヶ岳 (3750m)
3.勢至ヶ岳 (3760m)
4.駒ケ岳 (浅間ヶ岳)(3760m)
5.三島岳 (3760m)
6.剣ヶ峰 (3776m)
7.白山岳 (3756m)
8.久須志岳 (3740m)
この八峰はニニキネが、タチカラヲをして富士八湖を掘らしめた時、ニハリの民が群れ来て、堀った土をハラミ山頂に上げて造ったもの。
『天にたなびく 白雲の 架かる八峰の 降る霰
八隅に反響 この瑞を 布もて作る 八響幡 八隅に立てて 君となる』4文
『ニハリの民が 群れ来り 湖掘り土を 峰に上げ "八房計り"
と 天に応え』24文
『モノヌシも 喜び曰く "我が君の 山を八房の 居雪成す" 祖父驚き "我たとひ 新田成すとも これ知らず"』24文
『峰の竜 水
吐きかけて 一人づつ 導びき 御子を 這ひ出だす』24文
『君 熟山に 登りみて 中子安めり 八峰に 居雪絶えねば 代々の名も 響居雪山』24文
『中峰の 充てはアワ海 八峰は 裾の八湖 三つ埋まり 焼くれど 眺は 変らじと』32文
『御作りの歌 "半ば旧り 半ば湧きつつ 九の山と 共統つまりの 熟山よこれ"』32文
『あまねき神の 生れの時 天に棚引く 白雲の 架かる八峰の 白玉の 霰
降れども 陽陰晴るる』ミ逸文
中峰。
八峰に続いて、ウツロヒがアワ海を渫い、ミオの土と人を担い来て、朝の間に中峰が出来上る。
この中峰を『ヰツアサマ峰
』という。
「中峰」+「八峰」の九峰は『八葉九尊』とも呼ばれ、サコクシロの九座に擬えているものと思われる。富士山を真上上空から見たイメージはフトマニ図に似る。
■ホツマによれば八峰は、ニニキネが裾野の八湖を掘らせ、その土を盛って造り、また中峰はウツロヰがアワ海を浚い、その土を盛って造ったことになっている。しかしアマテルの生まれた時、八峰は既に存在したようである。
『"中の輪もがな" ウツロヰが アワ海
渫え ミオの土と 人
担い来て 朝の間に 中峰成せば 尊の名も ヰツアサマ峰』24文
『中峰の 充てはアワ海 八峰は 裾の八湖 三つ埋まり 焼くれど 眺は 変らじと』32文
『御作りの歌 "半ば旧り 半ば湧きつつ 九の山と 共統つまりの 熟山よこれ"』32文
『天の山の 中 ウツロヰが アワの砂 九星の胞衣の 宗ぞ編みける』フ001
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