中子・中心。
1.中心。中核。本源。本質。こころ(心)。たま(霊)。 =魂+魄
2.1の肉体的な現れという意で、心臓。
魂(陽霊)と魄(陰霊)が結合して中子となる。この結合をタマノヲ(霊の結・霊の緒)と呼ぶ。厳密には中子は人のココロ(心)ではなく、本源という意味である。人の心情という意味でのココロは霊の結が生み出しているのであり、中子は無垢の神性である。だから霊の緒は「心(中子)の派出部・心(中子)の端」と言う意味でココロバ(心派)と呼ばれることもある。
中子はミヤビを介して根の六臓に宿る元守と連絡して、両者は不可分一体となっている。
よって一方の盛衰は他方にも影響を及ぼす。中子の神性に反する思考や行動は、六臓の衰弱となって現れ、六臓の衰弱は中子を曇らせる。この悪影響のループが続けば最後には身を枯らし、また霊の結も乱してしまうので、次に人として生まれ変わることも叶わぬものとなる。だから逆に中子の曇りを除くには、六臓を養生すれば良いということになる。
中子の物実が鏡である。
→ ミヤビ
【中子・中心】中子 −広辞苑より−
ものの中心。まんなか。
『慈しを以て 神形 中子素直に 神力 良くもの知るば 神通り 事和
保つ 貴霊ぞ ただ和らぎを 手立てなり』8文
『このヤサカニの環玉 吾が貴霊と 用ゆれば 中子ますぐに 保つなり』11文
『放持ならぬ 教え種 納め諭せる 心派の 六端
濯ぎて 身を精らげ 陽央根に返る 神形』15文
『人は元 中子・心派 日月なり 直ぐに罷れば 相応え 陽陰の宮居に 還さんと 獣になるを 止むなり』15文
『人の中子も 人ふたり やや知る道は マス鏡 陽陰の報ひは 盗めるも 謗るも打つも 身に返る』17文
『人のミヤビは 情け枝 陽陰より授く 魂と魄 結ぶ
命の 霊 中子 潤む霊は肝ぞ』17文
『魄の根は ムラト・心派 フクシ・ユフ ヨクラ・ヨコシや 根の六臓 渡るミヤビが ものを知る 情け
中子に通えると』17文
『ミヤビ
中子に 告げ置けば 人打つ時は 痛み知る 謗れば恨み 器物 盗まば惜しむ 損なわば シムの痛みも 知る中子』17文
『心派悪しき 業なせば ミヤビ
中子に 告ぐ哀れ 人が人打つ 殺すをも 見れば除かん 思ひあり 転ぶも起す 哀れ枝』17文
『まして我が身は ミヤビより 宗に通れば 怪しなく 身を治むれど 心派は 奢りを聞けば 欲しに染む』17文
『五腑六臓も 地の道 中子は君ぞ 肝は臣 脾は民よ 肺
垣 腎は平らす 腑 副手』17文
『曇り錆び 奪わる中子 磨かんと ヤタの鏡に 向かわせて 磨く器は 元の守』17文
『中子の形 鏡ぞよ 人見ぬとても ぬすむなよ およその人は 知らねども 穢
現るる 元の守』17文
『肺の病 治し易し 情と味の 過ぎ病むも 根に入らぬ間よ 早や癒せ』17文
『臣 常に人のイキスを 考えば 騙すば肺 色
腎 盗めば肝へ 損なえば 驚く中子 見目に知る』17文
『天より恵む トの神と 旨に応えて 守る故 人の中子に 合い求め 一つに致す 調の教え』23文
『コヤネまた
な深畏れそ 受け給え 我 若けれど コモリとは 弥々睦じく 君のため 中子一つに 忠なさん』23文
『君 熟山に 登りみて 中子安めり 八峰に 居雪絶えねば 代々の名も 響居雪山』24文
『胸清く 身は垢付けど 差使が見て 陽陰に告ぐれば 差使の 八つの聞えに 洗われて いのれもがもと』28文
『裳裾の 民を撫でつつ 差使の 清きに神は ありと言えき』28文
『兄が心根 諌めおも 聞かぬを知れば サホ姫の 中子慄き 秘刀 せん方無くも 袖内に 隠し諌めの 六月』35文
『央(心)の上れば 曇る鏡(魂中心)も 明からさま 上れずば鼠 猫や噛むらん』フ090
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