大日本根子彦太瓊尊。
第七代孝霊(こうれい)天皇。
ヤマトタリヒコクニ(6代孝安天皇)
と 春日親君の娘・オシ姫
(内宮) の子。 斎名:ネコヒコ。
クロタのイホド宮に遷都し、オオミナクチとオオヤクチをスクネにする。
『タケミナカタの宣』を引用して子を間引くことを禁止する。
ハラミ山に御幸、香具山
→ カモ → タガの宮
→ スハサカオリ宮 → ムメ大宮。
ムメ大宮のハフリ・穂積の治人に、ヰツアサマ御子とマウラの四神を、ヤス川原に遷すように命じる
(冨知神社)。
ハラミ山に "フシの山" を名付ける。
タケヒテルの子のタケトメを臣に貰い受け、タケツツクサの嗣とする。
西国の政情不安が起こり、インベの主とヰサセリヒコをチノクチと播磨のヒカワに、兄ワカタケヒコを吉備上道、弟ワカタケヒコを吉備下道、ヒコサシマをイササワケに派遣しそれぞれ治めさせる。
118歳で罷り、ムマサカに葬られる。
岡山県岡山市吉備津、吉備津
(キビツ) 神社
広島県福山市新市町宮内、吉備津
(キビツ) 神社
ヤマトタリヒコクニ┐ (孝安天皇)├────オオヤマトフトニ(孝霊天皇) オシ姫──────┘ ┃ ┃ シギ県主オオメ───────ホソ姫[内宮]───────(7)ヤマトクニクル ┃ (孝元天皇) カスガ県主チチハヤ─────ヤマカ姫[典侍] ┃ トイチ県主マソヲ──────マシタ姫[勾当] ┃ 大和国造 ───┬───ヤマトクニカ姫[内侍]──┬(1)ヤマトモモソ姫 │ (ヤマト大宮女) │ │ ┃ 三つ子├(2)ヤマトヰサセリヒコ │ ┃ │ │ ┃ └(3)ヤマトワカヤ姫 │ ┃ └───ハヘ姫[内侍]──────┬(4)兄ワカタケヒコ (若大宮女) │ 三つ子├(5)ヒコサシマ │ └(6)弟ワカタケヒコ
内宮 :ホソ姫
(磯城県主オオメの娘) (7)ヤマトクニクルを生む。
典侍 :ヤマカ姫
(春日県主チチハヤの娘)
勾当 :マシタ姫
(十市県主マソヲの娘)
内侍 (ヤマト大宮女):ヤマトクニカ姫
(出自不明)
(1)ヤマトモモソ姫
(2)ヤマトヰサセリヒコ
(3)ヤマトワカヤ姫の三つ子を生む。
内侍 (若大宮女) :ハヘ姫
(ヤマトクニカ姫の妹)
(4)兄ワカタケヒコ
(5)ヒコサシマ
(6)弟ワカタケヒコの三つ子を生む。
■上鈴377年(孝安51年)生まれ。上鈴429年(51歳)即位。上鈴504年(118歳)崩御。
計算が合わない。享年は128歳と思われる。
『五十一年 九月初日 后生む 斎名ネコヒコ オオヤマト フトニの御子ぞ』31文
『七十六年 春一月五日 ネコヒコの 歳二十六
立つ 代嗣御子』31文
『九十二年春 駿河宮 ハフリ
ハラの絵 奉る 御子申せども 君
受けず』31文
『御代百二年 一月九日 君
罷る 歳百三十七 皇子
喪還収む 四十八後 若宮に出で 政事』31文
『和つ日月を 受け継ぎて ヤマトフトニの 和つ君 斎名ネコヒコ』32文
『諸 議り 陽陰の御孫の 法を以て 民に拝ませ 母を上げ 御上后と』32文
『去年十二月 四日に黒田の 廬戸宮 移して今年 初暦』32文
『磯城のオオメが ホソ姫を 后ぞ
春日 チチハヤが ヤマカ姫
なる 典侍后』32文
『十市マソヲが マシタ姫 勾当となる 内四人 乙下も四人』32文
『三年春 オオミナクチと オオヤクチ 共にスクネと』32文
『夏 内侍 ヤマトクニカが 三つ子生む 名は皆ヤマト モモソ姫 ヰサセリヒコに ワカヤ姫 母もヤマトの 大宮姫』32文
『十一年冬 妹 ハエを内』32文
『ハエ姫も また三つ子生む
名は兄ワカ タケヒコの 中 ヒコサシマ 弟ワカタケヒコ
母も上げ 若大宮姫』32文
『十八年春 一月十五日 后 生む御子は ヤマトネコヒコ クニクルの 斎名モトキネ』32文
『いつも一月十一日 県召し みな物賜ひ 御言宣 "もし一孕三子 生む者は 御門に告げよ 下民も 賜物あるぞ"』32文
『その故は 陽陰の御孫の サクヤ姫 三つ子生むより 後
聞かず』32文
『我いま三つ子 生むに付き 仄かに聞けば 三つ子をば "間引"
と名付け 殺すとや 今よりあらば 罪人ぞ』32文
『"我が子も人は 陽陰の種 鹿・犬
千より 人 一人" タケミナカタの 宣なりと』32文
『諏訪ハフリ ハラ山の絵を 奉る 君これを褒む 同じ時 シラヒゲの孫 アメミカゲ アワ海の絵を 奉る』32文
『ある日春日に 宣給ふは "我
昔この 絵を見れど 宛無で貴く これを棄つ いま山・沢の 絵合せは 割札合わす 吉き兆"』32文
『ハラミの山の 吉き草も 五百年前に 焼け失せし 種も再び 生る兆 ニオ海
山を 潤ほせば 千齢見る草も 生ゆるぞと』32文
『三十六年 初春十日に モトキネを 代嗣となして 己手づから 御機織留 授けまし』32文
『"これ天尊の オシテなり 朝夕眺め 鑑みて 民を治めよ" 装いを 民に拝ませ』32文
『三月七日 ハラミ山へと 御幸なる その道
成りて 黒田より香具山
賀茂や 多賀の宮』32文
『諏訪サカオリの タケヒテル
御饗して待つ 山 登り 下るスバシリ 裾
巡り 梅皇宮に 入り居ます』32文
『中峰の 充てはアワ海 八峰は 裾の八湖 三つ埋まり 焼くれど 眺は 変らじと』32文
『御作りの歌 "半ば旧り 半ば湧きつつ 九の山と 共統つまりの 熟山よこれ"』32文
『山の新名と 思す時 田子の浦人 藤の花 捧ぐる縁 孕み得て 名を生む御歌』32文
『"ハラミ山 一振咲けよ 藤蔓の 名をも縁の 熟山よこれ" これよりぞ 名も
"フシの山"』32文
『梅宮の ハフリ
穂積の治人に イツアサマ御子 ヤマツミの 四神移して 和す川原』32文
『時 タケヒテル たまかわの 尊宝文
奉る これ陽陰御孫 ハラ皇君 その子上代の 御法得て
今に永らえ』32文
『子のタケトメを 臣に請ふ タケヅツクサの 纏り継ぐ タケダの祖ぞ 尊宝 出雲に納む』32文
『五十三年 西中負えず チノクチと 播磨ヒカワに 斎瓮主 ヤマトヰサセリ これに添え』32文
『兄ワカタケヒコ 吉備上方 弟ワカタケヒコ 吉備下方 その分け
融きて 服わす イササワケへは ヒコサシマ 越国を治す』32文
『七十六年 二月八日に 君
罷る 歳百十八ぞ 皇子の喪還 四十八に脱ぎて 臣
留む』32文
『六年経つまで 敬えなす 居ます如くに 敬ひて 臣も世を去り 仮殿に 親に継がふる 誠なるかな』32文
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