諏訪サカオリ。
諏訪の栄降り宮。
孝霊の36年、スベラギはハラミ山に御幸するが、タケヒテルが諏訪サカオリ宮に御饗して出迎えている。
景行の40年6月、ヒタカミ勢力の南下によるホツマ国の緊張を、諏訪サカオリのタケヒは都に訴えてきている。
山梨県笛吹市一宮町一ノ宮、浅間 (アサマ)
神社
山梨県山梨県甲府市青沼、浅間
(アサマ) 神社
【酒折宮】サカヲリノミヤ −広辞苑より−
山梨県甲府市酒折。倭建命が東征の途中立ち寄ったという伝説の地。
■サカオリ宮は『ハラミのサカオリ宮 (ハラアサマ宮)』と『スワ
(諏訪) のサカオリ宮』の二ヶ所に在ったように思われる。スワサカオリ宮はスルガ宮とも言った。スルガは今の駿河ではなく甲府辺りを言い、諏訪の国に属したのではないだろうか。
■孝霊天皇の治世から五百年ほど前に、ハラミ山
(富士山) は噴火している。これによりハラミサカオリは危機に曝される。幸いに最悪の被害は免れたものの、これがスワサカオリ建設の契機となったと推測する。
■ヤマトタケが東征の帰路に立ち寄ったのは『スワサカオリ』であり、一方、ハラの宮を写して楽しみたいとしたサカオリ宮は『ハラミサカオリ』であろう。その頃『ハラミサカオリ』は姿を留めはするものの、既に宮としての機能は『スワサカオリ』に移転され、廃宮となっていたものと思われる。
『九十二年春 駿河宮 ハフリ
ハラの絵 奉る 御子申せども 君
受けず』31文
『翌日十二日 朝 スワハフリ ハラ山の絵を 奉る 君
これを褒む』32文
『我
昔 この絵を見れど 貴なで高く これを棄つ 今
山・沢の 絵合せは 割札 合わす 吉き兆』32文
『諏訪サカオリの タケヒテル
御饗して待つ 山 登り 下るスバシリ 裾
巡り 梅皇宮に 入り居ます』32文
『纏向の 日代の四十年 六月 ホツマ騒げば サカオリの タケヒ上りて 巡幸り乞ふ』39文
『筑波に上り 君臣も 西南経て到る サカオリの 宮に日暮れて 灯
遅く 叱かれば応え』39文
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