淺間神社 (駿河國一宮)
静岡県富士宮市大宮町。
祭神:木花之佐久夜毘賣命 配祀 天津日高日子番能迩迩藝命、
大山津見神
第七代、孝霊天皇の御代富士山が噴火し鳴動常なく人民恐れて逃散し年久しく国中が荒れ果てたので第十一代垂仁天皇は其の三年に浅間大神を山足の地に祭り山霊を鎮められた。これを当浅間大社の起源とする。ついで第十二代景行天皇の御代日本武尊が東夷御征伐の時駿河国に於て賊徒の野火に遇われたが富士浅間大神を祈念して其の災をのがれた給い、その賊を征服するや山宮の地(大宮の北方約6キロ)に於て厚く大神を祭られた。霊峰富士山は、古来浅間大神の鎮まり坐す神体山として、全国の登拝者の最も尊崇するところである。頂上には奥宮(祭神:浅間大神)、久須志神社(祭神:大名牟遅命、少彦名命)の二社が鎮坐しているが、共に浅間神社の奥宮で、八合目以上はその聖域にして境内地である。
最初に祀られた「山足の地」は、特定の地名を指すのではなく、富士山麓の適所を選んで祭祀を行った事を示すと考えられています。特定の場所に祀られるようになったのは、山宮(現在の鎮座地より北方約6キロ)にお祀りされてから後のことです。山宮は社殿が無く古木・磐境を通して富士山を直接お祀りする古代祭祀の原初形態を残す神社で、祭祀形態の変化をうかがい知ることが出来ます。
■アシツ姫は三つ子出産の後に『宮造りして居わします』とあるが、それが浅間神社の起源か。
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冨知神社
浅間神社 (甲斐国一宮)
山梨県笛吹市一宮町一ノ宮。
祭神:木花開耶姫命
社伝では、垂仁天皇8年正月に神山である富士山の山の麓で神祭があり、貞観7年(865年)12月9日に現在地に遷座したと伝えられる。旧社地には当社の摂社・山宮神社がある。
延喜式神名帳で名神大社に列格している「甲斐国八代郡
浅間神社」は当社のことであるとされる。また、平安時代末期より甲斐国一宮とされたとしている。ただし、当社の鎮座地は旧山梨郡であることや、他に甲斐国一宮を称する神社もあることから、名神大社・浅間神社および甲斐国一宮は当社ではないとする説もある。
『日本三代実録』によれば、貞観6年の富士山の大噴火を受けて甲斐国でも浅間神を祀ることになり、貞観7年12月9日に甲斐国八代郡に浅間神社を建てて官社としたとある。その後、山梨郡にも同様に浅間神社を建てたと記されている。このことから、当社は後に山梨郡に建てられた浅間神社の後裔であるとする説が有力であるが、創建時は当地が八代郡内であった可能性もある。
浅間神社 (青沼浅間神社)
山梨県山梨県甲府市青沼。
祭神:木花咲耶姫命
貞観7年平安初期面暦865年人皇第56代清和天皇の御代山梨郡稲門東青沼村現在地に建立す。
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