大日本根子彦国牽尊。
第8代孝元(こうげん)天皇。
孝霊天皇と内宮ホソ姫の子。斎名:モトキネ。
カルサカヒハラに遷都。
ウツシコヲをケクニ臣。
9年夏雨が40日降り、アワ海が溢れ、山背の田が傷んだので、ミケヌシに「オオナムチの田和法」をやらせる。
117歳で罷り、ツルギシマに葬られる。
京都府熊野郡久美浜町大字佐野字地シワ、矢田八幡
(ヤタハチマン) 神社
福井県今立郡舟津村上鯖江区、舟津
(フナツ) 神社
ヤマトタリヒコクニ┐ (孝安天皇)├────オオヤマトフトニ(孝霊天皇) オシ姫──────┘ ┃ ┃ シギ県主オオメ───────ホソ姫[内宮]───────(7)ヤマトクニクル ┃ (孝元天皇) カスガ県主チチハヤ─────ヤマカ姫[典侍] ┃ トイチ県主マソヲ──────マシタ姫[勾当] ┃ 大和国造 ───┬───ヤマトクニカ姫[内侍]──┬(1)ヤマトモモソ姫 │ (ヤマト大宮女) │ │ ┃ 三つ子├(2)ヤマトヰサセリヒコ │ ┃ │ │ ┃ └(3)ヤマトワカヤ姫 │ ┃ └───ハヘ姫[内侍]──────┬(4)兄ワカタケヒコ (若大宮女) │ 三つ子├(5)ヒコサシマ │ └(6)弟ワカタケヒコ
オオヤマトフトニ┐ (孝霊天皇)├───ヤマトネコヒコクニクル(孝元天皇) ホソ姫─────┘ ┃ ┃ オオヤクチ─┬─────ウツシコメ[内宮]─────┬(1)ヤマトアエクニ(オオヒコ) (孝霊スクネ)│ ┃ │ │ ┃ ├(2)ワカヤマトネコヒコ(開化天皇) │ ┃ │ │ ┃ └(3)トト姫 │ ┃ └ヘソキネ─イカシコメ[内后]──────(4)オシマコト ┃ 河内国造アオカキカケ──ハニヤス姫[内后]──────(5)ハニヤス
内宮:ウツシコメ
(オオヤクチの娘)
(1) ヤマトアエクニ
(オオヒコ)
(2) ワカヤマトネコヒコ
(9代開化天皇)
(3) トト姫
内后:イカシコメ
(ヘソキネの娘)
(4) オシマコト
内后:ハニヤス姫 (河内国造アオカキカケの娘)
(5) ハニヤス
ケクニ臣:ウツシコヲ
■上鈴445年(孝霊18年)1月15日生
上鈴504年1月14日(59歳)即位
上鈴561年9月2日(117歳)崩御
『十八年春 一月十五日 后 生む御子は ヤマトネコヒコ クニクルの 斎名モトキネ』32文
『三十六年 初春十日に モトキネを 代嗣となして 己手づから 御機織留 授けまし』32文
『"これ天尊の オシテなり 朝夕眺め 鑑みて 民を治めよ" 装いを 民に拝ませ』32文
『七十六年 二月八日に 君
罷る 歳百十八ぞ 皇子の喪還 四十八に脱ぎて 臣
留む』32文
『六年経つまで 敬えなす 居ます如くに 敬ひて 臣も世を去り 仮殿に 親に継がふる 誠なるかな』32文
『時 上鈴 五百四年一月 十四日 君 和つ日月を 受け継ぎて ヤマトクニクル 和つ君』32文
『陽陰の御孫の 例なり 飾りを民に 拝ませて 御上后と 母を上げ 十二の局に 后
立つ』32文
『四年の三月 新都 軽境原 五年六月 内ウツシコメ 生む御子は ヤマトアエクニ オオヒコぞ』32文
『六年 九月六日 廬戸宮 骸
納む 馬坂や』32文
『七年二月二日 ウツシコメ 内宮となる ウツシコヲ なるケクニ臣』32文
『十二月一日 日の出に后 生む御子は 斎名フトヒヒ ワカヤマト ネコヒコの御子』32文
『九年の夏 雨 四十日降り 山背方 アワ海あふれ 稲もミモチ 嘆き告ぐれば 御言宣』32文
『ミケヌシ 御使に いのらしむ アワ国水尾に 田和守 晴れを祈りて 祓[カセフ]なす 』32文
『十一年三月 十五日にまた生む トト姫は 共に御幸や』32文
『ヘソキネが ヤマトイケスに 御饗なす 姫のイカシコメ 膳出に 召す内后 今年十四』32文
『十三年一月三日 イカシコメ 生む御子の名は オシマコト 斎名ヒコフト』32文
『ハニヤス姫生む ハニヤスの 斎名タケハル これ河内 アオカキカケが 姫の乙下 なる内后』32文
『二十二年 一月十二日に 代嗣成る フトヒヒの皇子 今年十六』32文
『五十七年九月 二日罷る 皇の歳 百十七ぞ 御子の喪還入り 生き坐せる 如く敬えし』32文
『四十八過ぎ 政事聞き 六年後 骸
納む 剣池嶋 九月二十四日 侍・臣も罷むなり』32文
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