稚日本根子彦大日日尊。
第9代開化(かいか)天皇。
ヤマトネコヒコクニクル(8代孝元天皇)
と内宮ウツシコメの第2子。 斎名:フトヒヒ。
51歳で即位。カスガイサカワに遷都。
111歳で罷り、イササカに葬る。
ヤマトネコヒコクニクル(孝元天皇) ┃ ウツシコメ───────ワカヤマトネコヒコ(開化天皇) ┃ ┃ イカシコメ[内后]┐ ─→ イカシコメ[内宮]─────┬(3)ミマキイリヒコ(崇神天皇) │ ┃ │ └オシマコト ┃ └(4)ミマツ姫 ┃ ┌ツヅキタルネ タニハ県主ユギリ────タケノ姫[??]────────(1)ユムズミ──┤ ┃ └サヌキタルネ カスガ県主オケツ────オケツ姫[典侍]───────(2)ヒコヰマス ┃ カツキ国造タルミ────タカ姫[内侍]────────(5)ハラツワケ
内宮:イカシコメ
(ヘソキネの娘)。 《父・孝元天皇の内侍で、孝元の子のオシマコトをすでに生んでいる。》
(3)
ミマキイリヒコ
(10代崇神天皇)。
(4)
ミマツ姫。
不詳:タケノ姫
(丹波県主ユギリの娘)。
(1)
ユムズミ。
典侍:オケツ姫
(春日県主オケツの娘)。
(2)
ヒコヰマス。
内侍:タカ姫
(葛城国造タルミの娘)。
(5)
ハラツワケ。
■上鈴511年(孝元7年12月1日)生。
上鈴560年10月12日(51歳)即位。
上鈴620年4月9日(111歳)崩御。
★『旧事』大禰の大綜杵命(へそきねのみこと)
を大臣とした。また武建命(たけたつのみこと)
と大峯命(おおみねのみこと)
を共に大禰とした。伊香色雄命(いかがしこおのみこと)
を大臣とした。
『十二月一日 日の出に后 生む御子は 斎名フトヒヒ ワカヤマト ネコヒコの御子』32文
『二十二年 一月十二日に 代嗣成る フトヒヒの皇子 今年十六』32文
『五十七年九月 二日罷る 皇の歳 百十七ぞ 御子の喪還入り 生き坐せる 如く敬えし』32文
『四十八過ぎ 政事聞き 六年後 骸
納む 剣池嶋 九月二十四日 侍・臣も罷むなり』32文
『時
上鈴 五百六十年冬 十月の十二日 春日率川 新都 皇子
歳五十一』32文
『和つ日月を 受け継ぎて 斎名フトヒヒ ワカヤマト ネコヒコ天の 皇と』32文
『民に拝ませ 母も上げ 十二の后も 先にあり 明くるキナヱを 初の年』32文
『七年一月十二日 イキシコメ 立てて内宮 これの先 君召す時に』32文
『オミケヌシ 諌め申さく "君
聞くや シラウド・コクミ 母
犯す 汚名
今にあり 君
真似て 汚名を被るや"』32文
『ウツシコヲ 答え
"姪なり 母ならず 曰く「妹背には 女
とつぎて 生みの親無し」"』32文
『昔
叔母
姪
今は続 生む子あり 連なる枝の オシマコト 母は違ひぞ』32文
『また答え "天に月一つ 母は月 下侍は星よ これを召す"』32文
『嘆きて曰く "大御神 陽陰の道
成す 代々の君 継ぎ受け収む 和日月』32文
『汝が政 諌めずて 阿り君を 穴にする 心汚なし 君
如何ん 我が上祖神 離れんや 穢れ食まずと』32文
『言い終り 帰れど君は これ聞かず ミケヌシ親子 噤み居る』32文
『十二月十三日に ユキリの姫 タケノ姫生む ユムスミの 斎名コモツミ』32文
『八年三月 春日オケツ姫 典侍が生む 斎名アリスミ ヒコヰマス』32文
『十年五月の十二日 内宮の 生む御子ミマキ イリヒコの 斎名ヰソニヱ』32文
『六月の 十二日ヘソキネ カル大臣 十一月にウツシコヲ 斎主』32文
『十三年一月五日 后また
生むミマツ姫』32文
『召す内侍 葛城タルミが タカ姫が 五月の十五日に生む ハツラワケ 斎名タケトヨ』32文
『二十八年 一月の五日に 代嗣立つ ヰソニヱの御子 今年十九』32文
『六十年の夏 四月九日 君罷る
歳 百十一ぞ 皇子の喪還入り 四十八後』32文
『政事聞き 臣
留め 居ますの敬え 十月三日 骸
納む 率坂ぞこれ』32文
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