1.今の奈良県橿原市十市町付近。(十市と多は同義語)
2.十市県。奈良県橿原市十市町あたりを中心とする県。
奈良県磯城郡田原本町大字多字宮ノ内、多坐弥志理都比古
(オオニマスミシリツヒコ) 神社
奈良県橿原市十市町、十市御県坐
(トイチノミアガタニマス) 神社
■カヱシネ(5代孝昭天皇)がアマタラシヒコクニに春日県を賜ったため、それまで春日県主をしていたアウヱモロに始まる一族に対しては、磯城県や春日県の一部を割いて新たに十市県を新設し、ヰサカヒコをその県主に封じたのではないかと思われる。というのは、欠史八代といわれる時代は、皇の后は大和の県主の娘や孫を娶っているが、入れる局まで踏襲されており、春日県主の娘は常に勾当とされていたが、ヰサカヒコ以降、勾当となるのは十市県主の娘なのである。
■ホツマの時代には山辺県はまだ存在せず、十市県に含まれていたと推測している。
<春日・十市県主> アウヱモロ──┬オオマ─────┬フトマワカ──┬サタヒコ──┐ │ │ │ │ ├イトオリ姫 └イトヰ姫 └イイ姫 │ │ │ └ヌナタケ姫 │ │ ┌──────────────────────────────┘ ├ヰサカヒコ──┬マソヲ─────マシタ姫 │ │ └オオヰ姫 └ヰサカ姫
■垂仁天皇の時代にはトイチネが県主だったようだ。
『カンヤヰ恥ぢて 諾ひぬ 十市に住みて 斎の臣 ミシリツヒコと 名を替えて 常の行ひ 神の充ち 兄が祭も 懇ろにこそ』31文
『磯城ナガハヱが ナガ姫を 大典侍后 十市ヰサカ ヒコがヰサカ姫 内后 長橋に居て ヲシテ守』31文
『十市マソヲが マシタ姫 勾当となる 内四人 乙下も四人』32文
『民 楽しめば 君 安ぐ 后も生えて 典侍ヤサカ 十市に詣で 生む御子は トチニイリ姫』34文
【ホツマツタヱ解読ガイド】 【ミカサフミ解読ガイド】 【ふとまに解読ガイド】
【やまとことばのみちのく】 【にしのことばのみちのく】 【あめなるみち】
【ホツマツタエのおもしろ記事】