※29文〜40文は、地名については原義と異なると思われる場合でも、現在一般に使用されている漢字で表記しています。
【原文カタカナ訳】 【語義考察】 【漢字読み下し】
ミマキノミヨミマナノアヤ みまきのみよみまなのあや ミマキの代 任那の文
ミツカキノ トホナノソナカ みつかきの とほなのそなか 瑞籬の 十年九月の十七日 (アスズ630年) コシノヲシ オオヒコカエリ こしのをし おおひこかえり 越の御使 オオヒコ帰り モフサクハ ユクヤマシロノ もふさくは ゆくやましろの 申さくは 「行く山城の ナラサカニ オトメカウタニ ならさかに おとめかうたに 奈良坂に 少女が歌に (奈良市歌姫町)
ミヨミマキ イリヒコアワヤ みよみまき いりひこあわや 『みよミマキ イリヒコあわや オノカソヱ ヌスミシセント おのかそゑ ぬすみしせんと 己が副 ぬすみしせんと シリツトオ イユキタカヒヌ しりつとお いゆきたかひぬ 後つ門を い行き違ひぬ 裏門から侵入するを、行き違いに出立する マエツトヨ イユキタカヒテ まえつとよ いゆきたかひて 前つ門よ い行き違ひて (表門) ウカカワク シラシトミマキ うかかわく しらしとみまき 窺わく 知らじとミマキ イリヒコアワヤ いりひこあわや イリヒコあわや』
シルシカト キミコレハカル しるしかと きみこれはかる 徴かと」 君 これ諮る モモソヒメ ウマレサトクテ ももそひめ うまれさとくて モモソ姫 生れ聡くて コレオシル キミニモフサク これおしる きみにもふさく これを知る 君に申さく コレシルシ タケハニヤスノ これしるし たけはにやすの 「これ徴 タケハニヤスの ソムクナリ ワレキクツマノ そむくなり われきくつまの 背くなり 我聞く 妻の アタヒメカ カクヤマハニオ あたひめか かくやまはにお アタ姫が 香具山埴を ヒレニイレ イノリテクニノ ひれにいれ いのりてくにの 領巾に入れ 祈りて国の モノサネト コレニコトアリ ものさねと これにことあり 物実と これに如あり ハヤハカレ はやはかれ はや謀れ」
モロハカルウチ もろはかるうち 諸 謀る内 ハヤステニ タケハニヤスト はやすてに たけはにやすと はや既に タケハニヤスと アタヒメト イクサオコシテ あたひめと いくさおこして アタ姫と 軍 起して ヤマシロト ツマハオオサカ やましろと つまはおおさか 山城と 妻は逢坂 ミチワケテ トモニオソフオ みちわけて ともにおそふお 道分けて 共に襲ふを
ミコトノリ イサセリヒコオ みことのり いさせりひこお 御言宣 「イサセリヒコを (孝霊天皇の子) オオサカエ ムカヒアタヒメ おおさかえ むかひあたひめ 逢坂へ」 向かひアタ姫 ウチヤフリ ツイニコロシツ うちやふり ついにころしつ 討ち破り ついに殺しつ
オオヒコト ヒコクニフクト おおひこと ひこくにふくと オオヒコと ヒコクニフクと (ハニヤスの異母兄弟) (チチハヤの孫) ムカワシム むかわしむ 向わしむ
ヒコクニフクハ ひこくにふくは ヒコクニフクは ヤマシロノ ワニタケスキニ やましろの わにたけすきに 山城の ワニタケスキに インヘスエ ツハモノヒキテ いんへすえ つはものひきて 斎瓮据え 兵 率きて イクサタテ キカヤフミムケ いくさたて きかやふみむけ 軍立て 木茅 踏み平け テカシワノ イクサマツカツ てかしわの いくさまつかつ 手柏の 戦まず勝つ ナラサカソ ならさかそ 奈良坂ぞ
マタオオヒコハ またおおひこは またオオヒコは シモミチニ ワカラアクラト しもみちに わからあくらと 下道に ワカラアクラと アヒイトム あひいとむ あひ挑む
ハニヤスヒコハ はにやすひこは ハニヤスヒコは カワキタニ ヒコクニフクオ かわきたに ひこくにふくお 川北に ヒコクニフクを 木津川の北側に ミテイワク ナンチナニユエ みていわく なんちなにゆえ 見て曰く 「汝 何ゆえ コハムソヤ クニフクイワク こはむそや くにふくいわく 拒むぞや」 クニフク曰く コレナンチ アメニサカフオ これなんち あめにさかふお 「これ汝 天に逆ふを <が> ウタシムト サキアラソイテ うたしむと さきあらそいて 討たしむ」 と 先争いて ハニヤスカ イルヤアタラス はにやすか いるやあたらす ハニヤスが 射る矢当らず クニフクカ イルヤハアタル くにふくか いるやはあたる クニフクが 射る矢は当る ハニヤスカ ムネウチコロス はにやすか むねうちころす ハニヤスが 胸撃ち殺す ソノイクサ ヤフレニクルオ そのいくさ やふれにくるお その軍 破れ逃ぐるを オヒウテハ ワキミワキミト おひうては わきみわきみと 追ひ討てば 「我君 我君」 と ナカレサル イクサオサメテ なかれさる いくさおさめて 流れ去る 軍 収めて ミナカエル みなかえる 皆 帰る
メツキハツヒニ めつきはつひに 十月初日に ミコトノリ ウチハムケレト みことのり うちはむけれと 御言宣 「内は平けれど トツアルル ヨミチノイクサ とつあるる よみちのいくさ 外つ荒るる 四道の軍 タツヘシト スエフカニタツ たつへしと すえふかにたつ 発つべし」 と 二十二日に発つ ヨモノヲシヱト よものをしゑと 四方の教え人
モモソヒメ オオモノヌシノ ももそひめ おおものぬしの モモソ姫 オオモノヌシの (オオモノヌシ神) ツマトナル ヨニハキタリテ つまとなる よにはきたりて 妻となる 「夜には来りて ヒルミエス アケナハキミノ ひるみえす あけなはきみの 昼 見えず 明けなば君の ミスカタオ ミントトムレハ みすかたお みんととむれは 御姿を 見ん」 と留むれば カミノツケ コトイチシルシ かみのつけ こといちしるし 神の告げ 「言 著し ワレアシタ クシケニイラン われあした くしけにいらん 我 あした 櫛笥に入らん ワカスカタ ナオトロキソト わかすかた なおとろきそと 我が姿 な驚きそ」 と
モモソヒメ ココロアヤシク ももそひめ こころあやしく モモソ姫 心あやしく アクルアサ クシケオミレハ あくるあさ くしけおみれは 明くる朝 櫛笥を見れば コヘヒアリ ヒメオトロキテ こへひあり ひめおとろきて 小蛇あり 姫 驚きて サケヒナク オホカミハチテ さけひなく おほかみはちて 叫び泣く 大神恥ぢて (ミワ大神) ヒトトナリ ナンチシノヒス ひととなり なんちしのひす 人となり 「汝 忍びず ワカハチト オホソラフンテ わかはちと おほそらふんて 我が恥」 と 大空踏んで ミモロヤマ みもろやま ミモロ山
ヒメアホキハチ ひめあほきはち 姫仰ぎ 鉢 ツキオルニ ハシニミホトオ つきおるに はしにみほとお 着き下るに 箸に陰没を ツキマカル オイチニウツム つきまかる おいちにうつむ 突き罷る 大市に埋む ハシツカヤ はしつかや "はし塚" や
ヒルハヒトテニ ひるはひとてに 昼は人手に ヨハカミノ オオサカヤマノ よはかみの おおさかやまの 夜は神の オオサカ山の <手により> イシハコヒ モロアヒツキテ いしはこひ もろあひつきて 石運び 諸 合ひ継ぎて タコシカテ ハカナルノウタ たこしかて はかなるのうた 手輿かて 墓成るの歌
オホサカモ ツキノカオソエ おほさかも つきのかおそえ 『オホサカも 月の明を添え [つきのかお] (=大市) [継ぎの顔] イシムラオ タコシニコサハ いしむらお たこしにこさは 石群を 手輿に越さば コシカテンカモ こしかてんかも 越しかてんかも』 運びうるかも
ソヒウツキ ソムカヨミチノ そひうつき そむかよみちの 十一年四月 十六日 四道の (アスズ631年) エヒスムケ キミニツクレハ えひすむけ きみにつくれは エビス平け 君に告ぐれば (蝦夷) クニヤスク アキタタネコニ くにやすく あきたたねこに 国安ぐ 秋 タタネコに オレカレノ ヲトクマツリオ おれかれの をとくまつりお 折れ枯れの 結解く纏りを ハシツカニ ナセハカカヤク はしつかに なせはかかやく 箸塚に なせば輝く ノリノイチ のりのいち 宣りの市 [和りの市]
ソフヤヨイソヒ そふやよいそひ 十二年三月十一日 (アスズ632年) ミコトノリ アマツヒツキオ みことのり あまつひつきお 御言宣 「和つ日月を ワレツキテ アメノオフヒモ われつきて あめのおふひも 我 継ぎて 陽陰の和ふ日も ヤスカラス メヲアヤマリテ やすからす めをあやまりて 安からず 陰陽誤りて (乱れても) ツイテセス ヱヤミオコリテ ついてせす ゑやみおこりて 対手せず 疫病 起りて タミヲエス たみをえす 民 負えず
ツミハラワント つみはらわんと 罪 祓わんと アラタメテ カミオウヤマヒ あらためて かみおうやまひ あらためて 神を敬ひ ヲシエタレ ヤヲノアラヒト をしえたれ やをのあらひと 教え垂れ 八方の粗人 (=蝦夷) イマナレテ モロタノシメハ いまなれて もろたのしめは 今 平れて 諸 楽しめば
カンカエテ オサトイトケノ かんかえて おさといとけの 考えて 幼と稚の ミチモアケ タミニオオスル みちもあけ たみにおおする 貢も空け 民に負する イトマアケ ユハスタスエノ いとまあけ ゆはすたすえの 暇 空け 弓弭・手末の ミツキトメ タミニキハセテ みつきとめ たみにきはせて 貢 止め 民 賑はせて ソロノトキ そろのとき ソロの時」
ナオリテヤスク なおりてやすく 直りて安ぐ コノミヨオ ハツクニシラス このみよお はつくにしらす この代を "果つ国治らす ミマキノヨ みまきのよ ミマキの代"
タミタノシメハ たみたのしめは 民 楽しめば キミヤスク キサキモオエテ きみやすく きさきもおえて 君 安く 后も生えて スケヤサカ トイチニモフテ すけやさか といちにもふて 典侍ヤサカ 十市に詣で ウムミコハ トチニイリヒメ うむみこは とちにいりひめ 生む御子は トチニイリ姫
フソムトシ ネツキハツヒニ ふそむとし ねつきはつひに 二十六年 十一月初日に (アスズ646年) ミマキヒメ シキニウムミコ みまきひめ しきにうむみこ ミマキ姫 磯城に生む御子 トヨキヒコ イムナシキヒト とよきひこ いむなしきひと トヨキヒコ 斎名シキヒト
フソコトシ ハツヒヲウトニ ふそことし はつひをうとに 二十九年 初日ヲウトに (アスズ649年) (元日) キサキマタ ウムミコイクメ きさきまた うむみこいくめ 后また 生む御子イクメ イリヒコノ イムナヰソサチ いりひこの いむなゐそさち イリヒコの 斎名ヰソサチ (垂仁天皇)
ミソヤトシ アキハツキヰカ みそやとし あきはつきゐか 三十八年 秋八月五日 (アスズ658年) キサキノト クニカタウチメ きさきのと くにかたうちめ 后の妹 クニカタ内侍 (ミマキ姫) ウムミコハ チチツクワヒメ うむみこは ちちつくわひめ 生む御子は チチツクワ姫
ヨソムツキ スエヤカコウム よそむつき すえやかこうむ 四十年一月 二十八日 子生む (アスズ660年) イカツルノ イムナチヨキネ いかつるの いむなちよきね イカツルの 斎名チヨキネ
ヨソヤトシ ハツソカヲアヱ よそやとし はつそかをあゑ 四十八年 一月十日ヲアヱ (アスズ668年) トヨキミト イクメキミトニ とよきみと いくめきみとに トヨ君と イクメ君とに (トヨキヒコ) (イクメイリヒコ) ミコトノリ ナンチラメクミ みことのり なんちらめくみ 御言宣 「汝ら 恵み ヒトシクテ ツキシルコトノ ひとしくて つきしることの 等しくて 継ぎ領る事の ユメスヘシ ゆめすへし 夢すべし」
トモニユアヒシ ともにゆあひし 共に湯浴びし ユメナシテ トヨキモフサク ゆめなして とよきもふさく 夢なして トヨキ申さく ミモロヱニ キニムキヤタヒ みもろゑに きにむきやたひ 「ミモロ上に 東に向き八度 ホコユケシ イクメモフサク ほこゆけし いくめもふさく 矛遊戯し」 イクメ申さく ミモロヱニ ヨモニナワハリ みもろゑに よもになわはり 「ミモロ上に 四方に縄張り ススメオフ すすめおふ 雀 追ふ」
キミコノユメオ きみこのゆめお 君 この夢を カンカエテ アニカユメタタ かんかえて あにかゆめたた 考えて 「兄が夢 ただ ヒカシムキ ホツマヲサメヨ ひかしむき ほつまをさめよ 東向き ホツマ治めよ オトハヨモ タミオヲサムル おとはよも たみおをさむる 弟は四方 民を治むる ヨツキナリ ウソコカツミヱ よつきなり うそこかつみゑ 代嗣なり」 四月十九日ツミヱ ミコトノリ ヰソサチタテテ みことのり ゐそさちたてて 御言宣 ヰソサチ立てて ヨツキミコ トヨキイリヒコ よつきみこ とよきいりひこ 代嗣御子 トヨキイリヒコ ホツマツカサソ ほつまつかさそ ホツマ司ぞ
ミマナノアヤ みまなのあや 任那の文 ミツカキノ ヰソヤホハツキ みつかきの ゐそやほはつき 瑞籬の 五十八年八月 (崇神天皇) (上鈴678年) ミユキシテ ケヰオオカミニ みゆきして けゐおおかみに 御幸して 契大神に (ホオテミ) モフテマス モロイワフトキ もふてます もろいわふとき 詣でます 諸 斎ふ時 ツノヒトツ アルヒトココニ つのひとつ あるひとここに 角一つ 有る人 ここに タタヨエリ コトハキキヱス たたよえり ことはききゑす 漂えり 言葉 聞き得ず ハラノトミ ソロリヨシタケ はらのとみ そろりよしたけ ハラの臣 ソロリヨシタケ (ハラ宮) ヨクシレハ コレニトハシム よくしれは これにとはしむ 良く知れば これに問はしむ
ソノコタエ ワレハカラクニ そのこたえ われはからくに その答え 「我は加羅国 キミノミコ ツノカアラシト きみのみこ つのかあらしと 君の御子 ツノガアラシト チチカナハ ウシキアリシト ちちかなは うしきありしと 父が名は ウシキアリシト ツタエキク ヒシリノキミニ つたえきく ひしりのきみに 伝え聞く 聖の君に マツラフト アナトニイタル まつらふと あなとにいたる 服ふと 穴門に到る ヰツツヒコ トミニイワクハ ゐつつひこ とみにいわくは ヰツツヒコ 臣に曰くは (自分) コノクニノ キミハワレナリ このくにの きみはわれなり "この国の 君は我なり ココニオレ ヒトナリミレハ ここにおれ ひとなりみれは ここに居れ" 人なり見れば キミナラス サラニカエリテ きみならす さらにかえりて 君ならず 新に返りて ミヤコチト ウラシマタツネ みやこちと うらしまたつね 都路と 浦・島 訪ね イツモヘテ ヤヤココニツク いつもへて ややここにつく 出雲経て ややここに着く カミマツリ キミココニアリ かみまつり きみここにあり 神祭り 君ここにあり」
カレツノカ メシテツカエハ かれつのか めしてつかえは 故 ツノガ 召して使えば マメアリテ ヰトセニタマフ まめありて ゐとせにたまふ 忠ありて 五年に賜ふ ナハミマナ カソミネニシキ なはみまな かそみねにしき 名は "ミマナ" かぞみね錦 クニツトニ カエルアラシト くにつとに かえるあらしと 国苞に 帰るアラシト ミマナクニ コレタチソメソ みまなくに これたちそめそ 任那国 これ建ち初めぞ
コレノサキ アメウシニモノ これのさき あめうしにもの これの先 あめ牛に物 オホセヤリ アラシトユケハ おほせやり あらしとゆけは 負せ遣り アラシト行けば ウシミエス ヲキナノイワク うしみえす をきなのいわく 牛見えず 翁の曰く コレオスニ サキニモフケテ これおすに さきにもふけて 「これ推すに "先に儲けて コレクワン ヌシキタリナハ これくわん ぬしきたりなは これ食わん 主 来たりなば アタイセン ステニコロシツ あたいせん すてにころしつ 価せん" すでに殺しつ モシサキテ アタイオトハハ もしさきて あたいおとはは もし先で 価を問はば マツルカミ ヱントコタエヨ まつるかみ ゑんとこたえよ 纏る神 得んと答えよ」
タツヌレハ ムラキミウシノ たつぬれは むらきみうしの 尋ぬれば 村君 牛の アタイトフ コタエテマツル あたいとふ こたえてまつる 価問ふ 答えて 「纏る カミヱント カミノシライシ かみゑんと かみのしらいし 神 得ん」 と 神の白石 モチカエリ ネヤニオクイシ もちかえり ねやにおくいし 持ち帰り 寝屋に置く石 ナルオトメ アラシトコレト なるおとめ あらしとこれと 成る乙女 アラシトこれと トツカント オモヒユクマニ とつかんと おもひゆくまに とつがんと 思ひ行く間に ヒメウセヌ カエリオトロキ ひめうせぬ かえりおとろき 姫 失せぬ 返り驚き びっくり驚き ツマニトフ イワクオトメハ つまにとふ いわくおとめは 妻に問ふ 曰く 「乙女は キサニサル きさにさる 東南に去る」
アトオタツネテ あとおたつねて 跡を尋ねて オヒイタリ フネオウカメテ おひいたり ふねおうかめて 追ひ到り 船を浮めて 追い着き ツイニイル ヤマトナミハノ ついにいる やまとなみはの ついに入る ヤマト浪速の ヒメコソノ ミヤヨリイテテ ひめこその みやよりいてて ヒメコソの 宮より出でて トヨクニノ ヒメコソミヤニ とよくにの ひめこそみやに 豊国の ヒメコソ宮に カミトナル かみとなる 神となる
トキニアラシト ときにあらしと 時にアラシト モトクニニ カエサニミヤケ もとくにに かえさにみやけ 本国に 帰さに土産 (加羅国) ウハワレテ シラキノクニト うはわれて しらきのくにと 奪われて 新羅の国と アタオコリ マミナノツカヒ あたおこり まみなのつかひ 仇 起り 任那の使 ツケイワク ワカクニキネニ つけいわく わかくにきねに 告げ曰く 「我が国 東北に ミハエアリ カミナカシモノ みはえあり かみなかしもの 見栄えあり 上・中・下の クニヒロク ヨモミモノリノ くにひろく よもみものりの 国 広く 四方三百延の ツチコエテ タミユタカナリ つちこえて たみゆたかなり 土 肥えて 民 豊かなり イマステニ シラキノアタニ いますてに しらきのあたに 今すでに 新羅の仇に ヲサメヱス ホコオタツネテ をさめゑす ほこおたつねて 治め得ず 矛を尋ねて タミイキス トミネカワクハ たみいきす とみねかわくは 民 息す 臣 願わくは クニムケノ ヲシオコフノミ くにむけの をしおこふのみ 国平けの 御使を乞ふのみ」
キミトミト ハカレハイワク きみとみと はかれはいわく 君 臣と 議れば曰く クニフクノ マコシホノリツ くにふくの まこしほのりつ 「クニフクの 孫シホノリツ コレヨシソ カフヘノミコフ これよしそ かふへのみこふ これよしぞ」 頭の三こぶ マツノキミ セイヒタケヰタ まつのきみ せいひたけゐた 松の君 背一丈五尺 ヤソチカラ イサミハケシク やそちから いさみはけしく 八十力 勇み激しく ミコトノリ シホノリヒコオ みことのり しほのりひこお 御言宣 「シホノリヒコを ミマナヲシ ユキトクニムク みまなをし ゆきとくにむく 任那御使 往き 外国平く ミチツカサ カエレハヨシト みちつかさ かえれはよしと 道司」 帰れば "よし" と (吉) カハネタマヒキ かはねたまひき 姓 賜ひき
ムソフツキ ソヨミコトノリ むそふつき そよみことのり 六十年七月 十四日 御言宣 (アスズ680年) タケヒテル ムカシササケシ たけひてる むかしささけし 「タケヒテル 昔 捧げし カンタカラ イツモニアルオ かんたから いつもにあるお 神宝 出雲にあるを →32文 ミマクホシ みまくほし 見まく欲し」
タケモロスミオ たけもろすみお タケモロズミを (タケヒテルの曾孫) ツカワセハ カンヌシフリネ つかわせは かんぬしふりね 遣わせば 神主フリネ カンホキニ ツクシニユキテ かんほきに つくしにゆきて 神祝に 筑紫に行きて トヰイリネ ミヤヨリイタシ とゐいりね みやよりいたし 弟ヰイリネ 宮より出し (杵築宮) オトウマシ カラヒサトコノ おとうまし からひさとこの 乙弟ウマシ カラヒサと子の ウカツクヌ ソエテササクル うかつくぬ そえてささくる ウカツクヌ 添えて捧ぐる
ノチフリネ カエテヰイリネ のちふりね かえてゐいりね 後フリネ 帰て ヰイリネ セメイワク イクカモマタテ せめいわく いくかもまたて 責め曰く 「幾日も待たで ナトオソル イツモハカミノ なとおそる いつもはかみの など畏る 出雲は上の 御上の ミチノモト ヤモヨロフミオ みちのもと やもよろふみお 道の基 八百万文を <となる> カクシオク ノチノサカエオ かくしおく のちのさかえお 隠し置く 後の栄えを オモワンヤ タヤスクタスト おもわんや たやすくたすと 思わんや たやすく出す」 と ウラミシカ シノヒコロスノ うらみしか しのひころすの 恨みしが 忍び 殺すの ココロアリ こころあり 心あり
アニノフリネカ あにのふりねか 兄のフリネが アサムキテ ヤミヤノタマモ あさむきて やみやのたまも 欺きて 「ヤミヤの玉藻 ハナカヨミ ユキミントテソ はなかよみ ゆきみんとてそ 花暦 行き見ん」 とてぞ サソヒクル オトウナツキテ さそひくる おとうなつきて 誘ひ来る 弟 うなづきて トモニユク アニハキタチオ ともにゆく あにはきたちお 共に行く 兄は木太刀を ヌキオキテ ミツアヒヨヘハ ぬきおきて みつあひよへは 脱ぎ置きて 水浴び呼べば オトモママ おともまま 弟もまま
アニマツアカリ あにまつあかり 兄まず上がり オトカタチ ハケハオトロキ おとかたち はけはおとろき 弟が太刀 佩けば驚き ヰイリネモ アカリテアニカ ゐいりねも あかりてあにか ヰイリネも 上がりて兄が キタチハク アニタチヌキテ きたちはく あにたちぬきて 木太刀 佩く 兄 太刀抜きて キリカクル ヌカレヌタチニ きりかくる ぬかれぬたちに 斬り掛くる 抜かれぬ太刀に (可能) ヰイリネハ ヤミヤミフチニ ゐいりねは やみやみふちに ヰイリネは やみやみ淵に キエウセヌ ヨニウタフウタ きえうせぬ よにうたふうた 消え失せぬ 世に歌ふ歌
ヤクモタツ イツモタケルカ やくもたつ いつもたけるか 『八雲たつ 出雲タケルが (=フリネ) ハケルタチ ツツラサワマキ はけるたち つつらさわまき 佩ける太刀 葛 多巻き (「佩く」の連体形) 柄巻は立派なれども アワレサヒナシ あわれさひなし あわれ錆無し』 <刀身は>
カラヒサハ オイウカツクヌ からひさは おいうかつくぬ カラヒサは 甥ウカツクヌ ツレノホリ キミニツクレハ つれのほり きみにつくれは 連れ上り 君に告ぐれば キヒヒコト タケヌワケトニ きひひこと たけぬわけとに キビヒコと タケヌワケとに (タケヌナカワ) ミコトノリ フリネウタレテ みことのり ふりねうたれて 御言宣 フリネ討たれて イツモオミ オソレテカミノ いつもおみ おそれてかみの 出雲臣 恐れて神の マツリセス まつりせす 祭せず
アルヒヒカトヘ あるひひかとへ ある日ヒカトベ (ヒカワの守) ワカミヤニ ツクルワカコノ わかみやに つくるわかこの 若宮に 告ぐる我が子の (イクメ) コノコロノウタ このころのうた この頃の歌
タマモシツ イツモマツラハ たまもしつ いつもまつらは 『玉藻垂づ 出雲祭らば マクサマシ カヨミオシフリ まくさまし かよみおしふり まくさまじ 日夜見御使 フリ 悩むことは無いだろう (=神主) ネミカカミ ミソコタカラノ ねみかかみ みそこたからの ネ 神鏡 三十九宝の (華・甚) ミカラヌシ タニミククリミ みからぬし たにみくくりみ 神殻主 だに身くぐり 神 タマシツカ ウマシミカミハ たましつか うましみかみは 霊 垂づか 和し厳みは ミカラヌシヤモ みからぬしやも 神殻主やも』
ウタノアヤ カミノツケカト うたのあや かみのつけかと 歌の謂 神の告げかと キミニツケ イツモマツレト きみにつけ いつもまつれと 君に告げ 「出雲祭れ」 と ミコトノリ みことのり 御言宣 (出雲大社の創始か)
ムソフキナトノ むそふきなとの 六十二年キナトの (アスズ682年) アフミツキ キミトハツヤヱ あふみつき きみとはつやゑ 七月 キミトはツヤヱ (1日がキミト) (2日) ミコトノリ タミワサハモト みことのり たみわさはもと 御言宣 「民業は基 タノムトコ カウチサヤマハ たのむとこ かうちさやまは 頼む床 河内・狭山は (土台) ミツタラス ワサオコタレハ みつたらす わさおこたれは 水足らず 業 怠れば ナリハヒノ タメニヨサミト なりはひの ためによさみと 成り生ひの ために依網と カリサカト カエオリノヰケ かりさかと かえおりのゐけ 苅坂と 反折の池 ホラントテ クワマノミヤニ ほらんとて くわまのみやに 掘らん」 とて 桑間の宮に ミユキナル みゆきなる 御幸なる
ムソヰホフツキ むそゐほふつき 六十五年七月 (アスズ685年) ミマナクニ ソナカシチシテ みまなくに そなかしちして 任那国 ソナカシチして ミツキナス ソノミチノリハ みつきなす そのみちのりは 貢なす その道のりは ツクシヨリ キタエフチノリ つくしより きたえふちのり 筑紫より 北へ二千延 ウミヘタテ シラキノツサソ うみへたて しらきのつさそ 海隔て 新羅の西南ぞ
ムソヤトシ シハスヲナヱハ むそやとし しはすをなゑは 六十八年 十二月ヲナヱは (アスズ688年) (1日がヲナヱ) ヰカネアヱ キミコトキレテ ゐかねあゑ きみこときれて 五日ネアヱ 君 言切れて モノイワス ヰネマスコトシ ものいわす ゐねますことし もの言わず 寝ます如し
アクルトシ ネヤヱハツフカ あくるとし ねやゑはつふか 明くる年 ネヤヱ一月二日 (アスズ689年) アメヒツキ ミヨアラタマノ あめひつき みよあらたまの 和日月 御代新玉の ハツキソヒ カミアカリトソ はつきそひ かみあかりとそ 八月十一日 "神あがり" とぞ ヨニフレテ キミトウチトミ よにふれて きみとうちとみ 世に触れて 君と内臣 モハニイリ トノトミヤハリ もはにいり とのとみやはり 喪に入り 外の臣やはり マツリコト まつりこと 政事
カンナソヒカニ かんなそひかに 十月十一日に オモムロオ ヤマヘニオクル おもむろお やまへにおくる 骸を 山辺に送る コノキミハ カミオアカメテ このきみは かみおあかめて この君は 神を崇めて ヱヤミタシ ミクサタカラオ ゑやみたし みくさたからお 疫病治し 三種宝を アラタムル ソノコトノリハ あらたむる そのことのりは 新たむる その言宣は オホイナルカナ おほいなるかな 大いなるかな
リンク先の説明文中
★印のついたものは他の文献・サイトからの引用。
■印のついたものは筆者の個人的な意見です。
【ホツマツタヱ解読ガイド】 【ミカサフミ解読ガイド】 【ふとまに解読ガイド】
【やまとことばのみちのく】 【にしのことばのみちのく】 【あめなるみち】
【ホツマツタエのおもしろ記事】