※29文〜40文は、地名については原義と異なると思われる場合でも、現在一般に使用されている漢字で表記しています。

    
 【原文カタカナ訳】      【語義考察】           【漢字読み下し】
 ミマキノミヨミマナノアヤ   みまきのみよみまなあや     ミマキの代 任那の文
  
 ミツカキノ トホナノソナカ  みつかきの そな    瑞籬の       十年九月の十七日
                                         (アスズ630年)
     
 コシノヲシ オオヒコカエリ  こしをし おおひこかえり    越の御使      オオヒコ帰り

 モフサクハ ユクヤマシロノ  もふさくは ゆくやましろの    申さくは       「行く山城の

 ナラサカニ オトメカウタニ  ならさかに おとめうたに    奈良坂に      少女が歌に
                                          (奈良市歌姫町)
  
  
 ミヨミマキ イリヒコアワヤ  みよみまき いりひこあわや    『みよミマキ     イリヒコあわや

 オノカソヱ ヌスミシセント  おのそゑ ぬすみしせと    己が副       ぬすみしせんと

 シリツトオ イユキタカヒヌ  しりつとお いゆきたかひ    後つ門を      い行き違ひぬ
                                  裏門から侵入するを、行き違いに出立する

 マエツトヨ イユキタカヒテ  まえつとよ いゆきたかひて    前つ門よ      い行き違ひて
                                  (表門)

 ウカカワク シラシトミマキ  うかかわく しらとみまき    窺わく       知らじとミマキ

 イリヒコアワヤ        いりひこあわや          イリヒコあわや』
  
  
 シルシカト キミコレハカル  しるしかと きみこれはかる    徴かと」       君 これ諮る

 モモソヒメ ウマレサトクテ  ももそひめ うまれさとくて    モモソ姫      生れ聡くて

 コレオシル キミニモフサク  これしる きみにもふさく    これを知る     君に申さく

 コレシルシ タケハニヤスノ  これしるし たけはにやすの    「これ徴        タケハニヤスの

 ソムクナリ ワレキクツマノ  そむくなり われきくつまの    背くなり      我聞く 妻の

 アタヒメカ カクヤマハニオ  あたひめか かくやまはにお    アタ姫が      香具山埴を

 ヒレニイレ イノリテクニノ  ひれいれ いのりくにの    領巾に入れ     祈りて国の

 モノサネト コレニコトアリ  ものさねと これにことあり    物実と       これに如あり

 ハヤハカレ          はやはかれ            はや謀れ」
  
       モロハカルウチ        もろはかるうち              諸 謀る内

 ハヤステニ タケハニヤスト  はやすてに たけはにやすと    はや既に      タケハニヤスと

 アタヒメト イクサオコシテ  あたひめと いくさおこして    アタ姫と      軍 起して

 ヤマシロト ツマハオオサカ  やましろと つまおおさか    山城と       妻は逢坂

 ミチワケテ トモニオソフオ  みちわけて ともおそふお    道分けて       共に襲ふを
  
  
 ミコトノリ イサセリヒコオ  みことのり いさせりひこお    御言宣       「イサセリヒコ
                                             (孝霊天皇の子)

 オオサカエ ムカヒアタヒメ  おおさかえ むかひあたひめ    逢坂へ」       向かひアタ姫

 ウチヤフリ ツイニコロシツ  うちやふり ついころし    討ち破り      ついに殺しつ
 オオヒコト ヒコクニフクト  おおひこと ひこくにふくと    オオヒコと     ヒコクニフクと
                               (ハニヤスの異母兄弟)    (チチハヤの孫)

 ムカワシム          むかわしむ            向わしむ
  
       ヒコクニフクハ        ひこくにふくは              ヒコクニフクは

 ヤマシロノ ワニタケスキニ  やましろの わにたけすきに    山城の       ワニタケスキに

 インヘスエ ツハモノヒキテ  いんへすえ つはものひきて    斎瓮据え       兵 率きて

 イクサタテ キカヤフミムケ  いくさたて きかやふみむけ    軍立て        木茅 踏み平け

 テカシワノ イクサマツカツ  てかしわの いくさまつかつ    手柏の       戦まず勝つ

 ナラサカソ          ならさかそ            奈良坂ぞ      
  
       マタオオヒコハ        またおおひこ              またオオヒコは

 シモミチニ ワカラアクラト  しもみちに わからあくらと    下道に       ワカラアクラと

 アヒイトム          あひいとむ            あひ挑む
  
       ハニヤスヒコハ        はにやすひこ              ハニヤスヒコは

 カワキタニ ヒコクニフクオ  かわきたに ひこくにふくお    川北に       ヒコクニフクを
                                木津川の北側に

 ミテイワク ナンチナニユエ  いわく なんちなにゆえ    見て曰く      「汝 何ゆえ

 コハムソヤ クニフクイワク  こはむそや くにふくいわく    拒むぞや」      クニフク曰く

 コレナンチ アメニサカフオ  これなんち あめにさかふお    「これ汝        に逆ふを
                                     <が>

 ウタシムト サキアラソイテ  うたしむと さきあらそいて    討たしむ」 と    先争いて

 ハニヤスカ イルヤアタラス  はにやすか いるあたら    ハニヤスが     射る矢当らず

 クニフクカ イルヤハアタル  くにふくか いるやはあたる    クニフクが     射る矢は当る

 ハニヤスカ ムネウチコロス  はにやすか むねうちころす    ハニヤスが     胸撃ち殺す

 ソノイクサ ヤフレニクルオ  そのいくさ やふれにくるお    その軍       破れ逃ぐるを

 オヒウテハ ワキミワキミト  おひうては わきみわきみと    追ひ討てば     「我君 我君」 と

 ナカレサル イクサオサメテ  なかれさる いくさおさめて    流れ去る      軍 収めて

 ミナカエル          みなかえる            皆 帰る       
  
       メツキハツヒニ        めつきはつひ              十月初日に

 ミコトノリ ウチハムケレト  みことのり うちむけれと    御言宣       「内は平けれど

 トツアルル ヨミチノイクサ  とつあるる よみちのいくさ    外つ荒るる      四道の軍

 タツヘシト スエフカニタツ  たつへしと すえにたつ    発つべし」 と    二十二日に発つ

 ヨモノヲシヱト        よものをしゑと          四方の教え人
  
 モモソヒメ オオモノヌシノ  ももそひめ おおものぬしの    モモソ姫      オオモノヌシの
                                           (オオモノヌシ神)

 ツマトナル ヨニハキタリテ  つまなる にはきたりて    妻となる      「夜には来りて

 ヒルミエス アケナハキミノ  ひるみえ あけなはきみの    昼 見えず      明けなば君の

 ミスカタオ ミントトムレハ  みすかたお とむれは    御姿を       見ん」 と留むれば

 カミノツケ コトイチシルシ  かみつけ こといちしるし    神の告げ      「言 著し

 ワレアシタ クシケニイラン  われあした くしけいら    我 あした      櫛笥に入らん

 ワカスカタ ナオトロキソト  わかすかた おとろきと    我が姿       な驚きそ」 と
  
  
 モモソヒメ ココロアヤシク  ももそひめ こころあやしく    モモソ姫      心あやしく

 アクルアサ クシケオミレハ  あくるあさ くしけおみれは    明くる朝      櫛笥を見れば

 コヘヒアリ ヒメオトロキテ  こへひあり ひめおとろきて    小蛇あり      姫 驚きて

 サケヒナク オホカミハチテ  さけひなく おほかみはちて    叫び泣く      大神恥ぢて
                                          (ミワ大神)

 ヒトトナリ ナンチシノヒス  ひとなり なんちしのひ    人となり      「汝 忍びず

 ワカハチト オホソラフンテ  わかはちと おほそらふんて    我が恥」 と     大空踏んで

 ミモロヤマ          みもろやま            ミモロ山
  
       ヒメアホキハチ        ひめあほきはち              姫仰ぎ 恥ぢ

 ツキオルニ ハシニミホトオ  つきおるに はしみほとお    尽きおるに     箸に陰没を

 ツキマカル オイチニウツム  つきまかる おいちうつむ    突き罷る      大市に埋む

 ハシツカヤ          はしつかや            箸塚や
                                 (合し塚)
  
       ヒルハヒトテニ        ひるひとて              昼は人手に

 ヨハカミノ オオサカヤマノ  かみの おおさかやまの    夜は神の      逢坂山
                                     <手により>

 イシハコヒ モロアヒツキテ  いしはこひ もろあひつきて    石運び        諸 合ひ継ぎて

 タコシカテ ハカナルノウタ  たこしかて はかなるうた    手輿かて       成るの歌
  
  
 オホサカモ ツキノカオソエ  おほさかも つきのかそえ    『逢境も       月の明を添え
                      [つきかお]       (=大市)       [継ぎの顔]

 イシムラオ タコシニコサハ  いしむらお たこしこさは    石群を       手輿に越さば

 コシカテンカモ        こしかてかも          越しかてんかも』
                                    運びうるかも
  
  
 ソヒウツキ ソムカヨミチノ  そひうつき そむよみちの    十一年四月     十六日 四道の
                                (アスズ631年)

 エヒスムケ キミニツクレハ  えひすむけ きみつくれは    エビス平け      君に告ぐれば
                                  (蝦夷)

 クニヤスク アキタタネコニ  くにやすく あきたたねこに    国安ぐ        秋 タタネコに

 オレカレノ ヲトクマツリオ  おれかれの をとくまつりお    折れ枯れの     結解く纏りを

 ハシツカニ ナセハカカヤク  はしつかに なせかかやく    箸塚に        なせば輝く

 ノリノイチ          のりのいち            宣りの市
                                 [和りの市]
  
       ソフヤヨイソヒ        そふやよいそひ              十二年三月十一日
                                           (アスズ632年)

 ミコトノリ アマツヒツキオ  みことのり あまつひつきお    御言宣       「和つ日月を  

 ワレツキテ アメノオフヒモ  われつきて あめのおふも    我 継ぎて      陽陰の和ふ日も

 ヤスカラス メヲアヤマリテ  やすから めをあやまりて    安からず      陰陽誤りて
                                             (乱れても)

 ツイテセス ヱヤミオコリテ  ついて ゑやみおこりて    対手せず       疫病 起りて

 タミヲエス          たみをえ            民 負えず
  
       ツミハラワント        つみはらわ              罪 祓わんと

 アラタメテ カミオウヤマヒ  あらためて かみうやまひ    あらためて     神を敬ひ

 ヲシエタレ ヤヲノアラヒト  をしえたれ やをあらひと    教え垂れ       八方の粗人
                                              (=蝦夷)

 イマナレテ モロタノシメハ  いまなれて もろたのしめは    今 平れて      諸 楽しめば
  
 カンカエテ オサトイトケノ  かんかえて おさいとけ    考えて       幼と稚の

 ミチモアケ タミニオオスル  みちあけ たみおおする    貢も空け      民に負する

 イトマアケ ユハスタスエノ  いとまあけ ゆはすたすえの    暇 空け       弓弭手末の

 ミツキトメ タミニキハセテ  みつきとめ たみにきはせて    貢 止め       民 賑はせて

 ソロノトキ          そろのとき            ソロの時」
  
       ナオリテヤスク        なおりやすく              直りて安ぐ

 コノミヨオ ハツクニシラス  このみよお はつくにしらす    この代を      "果つ国治らす  

 ミマキノヨ          みまきのよ            ミマキの代"
  
  
       タミタノシメハ        たみたのしめは              民 楽しめば

 キミヤスク キサキモオエテ  きみやすく きさきおえて    君 安く       后も生えて

 スケヤサカ トイチニモフテ  すけやさか といちもふて    典侍ヤサカ      十市に詣で

 ウムミコハ トチニイリヒメ  うむみこは とちにいりひめ    生む御子は     トチニイリ姫
  

 フソムトシ ネツキハツヒニ  ふそむとし ねつきはつひに    二十六年      十一月初日に
                                   (アスズ646年)

 ミマキヒメ シキニウムミコ  みまきひめ しきうむみこ    ミマキ姫      磯城に生む御子

 トヨキヒコ イムナシキヒト  とよきひこ いむなしきひと    トヨキヒコ     斎名シキヒト
  

 フソコトシ ハツヒヲウトニ  ふそことし はつひをうとに    二十九年      初日ヲウトに
                                   (アスズ649年)      (元日)

 キサキマタ ウムミコイクメ  きさきまた うむみこいくめ    また        生む御子イクメ

 イリヒコノ イムナヰソサチ  いりひこの いむなゐそさち    イリヒコの     斎名ヰソサチ
                                    (垂仁天皇)
  

 ミソヤトシ アキハツキヰカ  みそやとし あきはつき    三十八年      秋八月五日
                                 (アスズ658年)

 キサキノト クニカタウチメ  きさきの くにかたうちめ    后の妹       クニカタ内侍
                                (ミマキ姫)

 ウムミコハ チチツクワヒメ  うむみこは ちちつくわひめ    生む御子は     チチツクワ姫
  

 ヨソムツキ スエヤカコウム  よそむつき すえうむ    四十年一月     二十八日 子生む
                                (アスズ660年)

 イカツルノ イムナチヨキネ  いかつるの いむなちよきね    イカツルの     斎名チヨキネ
  
  
 ヨソヤトシ ハツソカヲアヱ  よそやとし はつをあゑ    四十八年      一月十日ヲアヱ
                                 (アスズ668年)

 トヨキミト イクメキミトニ  とよきみと いくめきみとに    トヨ君と      イクメ君とに
                                (トヨキヒコ)     (イクメイリヒコ)

 ミコトノリ ナンチラメクミ  みことのり なんちめくみ    御言宣       「汝ら 恵み  

 ヒトシクテ ツキシルコトノ  ひとしくて つきしることの    等しくて      継ぎ領る事の

 ユメスヘシ          ゆめへし            夢すべし」
 
        トモニユアヒシ        ともゆあひ              共に湯浴びし

 ユメナシテ トヨキモフサク  ゆめなして とよきもふさく    夢なして       トヨキ申さく

 ミモロヱニ キニムキヤタヒ  みもろゑに むきたひ    「ミモロ上に      東に向き八度

 ホコユケシ イクメモフサク  ほこゆけ いくめもふさく    矛遊戯し」      イクメ申さく

 ミモロヱニ ヨモニナワハリ  みもろゑに よもなわはり    「ミモロ上に     四方に縄張り

 ススメオフ          すすめおふ            雀 追ふ」   
  
       キミコノユメオ        きみこのゆめ              君 この夢を

 カンカエテ アニカユメタタ  かんかえて あにかゆめたた    考えて       「兄が夢 ただ

 ヒカシムキ ホツマヲサメヨ  ひかしむき ほつまをさめよ    東向き        ホツマ治めよ

 オトハヨモ タミオヲサムル  おとよも たみをさむる    弟は四方      民を治むる

 ヨツキナリ ウソコカツミヱ  よつきなり そこつみゑ    代嗣なり」      四月十九日ツミヱ

 ミコトノリ ヰソサチタテテ  みことのり ゐそさちたてて    御言宣       ヰソサチ立てて

 ヨツキミコ トヨキイリヒコ  よつきみこ とよきいりひこ    代嗣御子      トヨキイリヒコ

 ホツマツカサソ        ほつまつかさそ          ホツマ司
  
  
 ミマナノアヤ         みまなあや           任那の文

 ミツカキノ ヰソヤホハツキ  みつかきの ゐそやはつき    瑞籬の       五十八年八月
                                (崇神天皇)       (上鈴678年)

 ミユキシテ ケヰオオカミニ  みゆきて けゐおおかみに    御幸して      契大神に
                                           (ホオテミ)

 モフテマス モロイワフトキ  もふてます もろいわふとき    詣でます      諸 斎ふ時

 ツノヒトツ アルヒトココニ  つのひとつ あるひとここに    角一つ        有る人 ここに

 タタヨエリ コトハキキヱス  たたよえ ことはききゑす    漂えり       言葉 聞き得ず

 ハラノトミ ソロリヨシタケ  はらとみ そろりよしたけ    ハラの臣      ソロリヨシタケ
                                 (ハラ宮)

 ヨクシレハ コレニトハシム  よくしれは これとはしむ    良く知れば     これに問はしむ
  
  
 ソノコタエ ワレハカラクニ  そのこたえ われからくに    その答え      「我は加羅国

 キミノミコ ツノカアラシト  きみみこ つのかあらしと    君の御子      ツノガアラシト

 チチカナハ ウシキアリシト  ちちは うしきありしと    父が名は      ウシキアリシト

 ツタエキク ヒシリノキミニ  つたえきく ひしりのきみに    伝え聞く      聖の君に

 マツラフト アナトニイタル  まつらふと あなといたる    服ふと       穴門に到る 

 ヰツツヒコ トミニイワクハ  ゐつつひこ とみいわくは    ヰツツヒコ     臣に曰くは
                                           (自分)

 コノクニノ キミハワレナリ  このくにの きみわれなり    "この国の      君は我なり

 ココニオレ ヒトナリミレハ  ここおれ ひとなりみれは    ここに居れ"     人なり見れば

 キミナラス サラニカエリテ  きみなら さらにかえりて    君ならず      新に返りて

 ミヤコチト ウラシマタツネ  みやこちと うらしまたつね    都路と       浦・島 訪ね

 イツモヘテ ヤヤココニツク  いつもて ややここつく    出雲経て       ややここに着く

 カミマツリ キミココニアリ  かみまつり きみここにあり    神祭り       君ここにあり」 
  
  

 カレツノカ メシテツカエハ  かれつのか めしつかえは    故 ツノガ      召して使えば

 マメアリテ ヰトセニタマフ  まめありて とせたまふ    忠ありて        五年に賜ふ

 ナハミマナ カソミネニシキ  みまな かそみねにしき    名は "ミマナ"    かぞみね錦

 クニツトニ カエルアラシト  くにつとに かえるあらしと    国苞に       帰るアラシト

 ミマナクニ コレタチソメソ  みまなくに これたちそめそ    任那国       これ建ち初めぞ
  
  
 コレノサキ アメウシニモノ  これのさき あめうしもの    これの先      あめ牛に物

 オホセヤリ アラシトユケハ  おほせやり あらしとゆけは    負せ遣り      アラシト行けば

 ウシミエス ヲキナノイワク  うしみえ をきないわく    牛見えず      翁の曰く

 コレオスニ サキニモフケテ  これおすに さきもふけて    「これ推すに      "先に儲けて

 コレクワン ヌシキタリナハ  これくわ ぬしきたりなは    これ食わん      主 来たりなば

 アタイセン ステニコロシツ  あたい すてころし    価せん"        すでに殺しつ

 モシサキテ アタイオトハハ  もしさきて あたいおとはは    もし先で      価を問はば

 マツルカミ ヱントコタエヨ  まつるかみ こたえよ    纏る神       得んと答えよ」
  
  

 タツヌレハ ムラキミウシノ  たつぬれは むらきみうしの    尋ぬれば      村君 牛の

 アタイトフ コタエテマツル  あたいとふ こたえてまつる    価問ふ        答えて 「纏る

 カミヱント カミノシライシ  かみゑんと かみのしらいし    神 得ん」 と     神の白石

 モチカエリ ネヤニオクイシ  もちかえり ねやおくいし    持ち帰り      寝屋に置く石

 ナルオトメ アラシトコレト  なるおとめ あらしとこれと    成る乙女      アラシトこれと

 トツカント オモヒユクマニ  とつかと おもひゆくに    とつがんと     思ひ行く間に

 ヒメウセヌ カエリオトロキ  ひめうせ かえりおとろき    姫 失せぬ      返り驚き
                                           びっくり驚き

 ツマニトフ イワクオトメハ  つまとふ いわくおとめは    妻に問ふ      曰く 「乙女は

 キサニサル          きささる            東南に去る」
  
       アトオタツネテ        あとたつね              跡を尋ねて

 オヒイタリ フネオウカメテ  おひいたり ふねうかめて    追ひ到り      船を浮めて
                                  追い着き

 ツイニイル ヤマトナミハノ  ついいる やまとなみはの    ついに入る     ヤマト浪速

 ヒメコソノ ミヤヨリイテテ  ひめこその みやよりいてて    ヒメコソの     宮より出でて

 トヨクニノ ヒメコソミヤニ  とよくにの ひめこそみやに    豊国の       ヒメコソ宮に

 カミトナル          かみとなる            神となる
  
       トキニアラシト        ときあらしと              時にアラシト

 モトクニニ カエサニミヤケ  もとくにに かえさみやけ    本国に       帰さに土産
                                 (加羅国)

 ウハワレテ シラキノクニト  うはわて しらきくにと    奪われて      新羅の国と

 アタオコリ マミナノツカヒ  あたおこり まみなつかひ    仇 起り       任那の使

 ツケイワク ワカクニキネニ  つけいわく わかくにきねに    告げ曰く      「我が国 東北に

 ミハエアリ カミナカシモノ  みはえあり かみなかしもの    見栄えあり     上・中・下の

 クニヒロク ヨモミモノリノ  くにひろく よもみものりの    国 広く       四方三百延の

 ツチコエテ タミユタカナリ  つちこえて たみゆたかなり    土 肥えて      民 豊かなり

 イマステニ シラキノアタニ  いますてに しらきあたに    今すでに       新羅の仇に

 ヲサメヱス ホコオタツネテ  をさめゑす ほこたつねて    治め得ず      矛を尋ねて

 タミイキス トミネカワクハ  たみいきす とみねかわくは    民 息す       臣 願わくは

 クニムケノ ヲシオコフノミ  くにむけの をしこふのみ    国平けの      御使を乞ふのみ」
  
  

 キミトミト ハカレハイワク  きみとみと はかれいわく    君 臣と       議れば曰く

 クニフクノ マコシホノリツ  くにふくの まこしほのりつ    「クニフクの     孫シホノリツ

 コレヨシソ カフヘノミコフ  これよしそ かふへこふ    これよしぞ」      頭の三こぶ

 マツノキミ セイヒタケヰタ  まつのきみ せいたけ    松の君       背一丈五尺

 ヤソチカラ イサミハケシク  やそちから いさみはけしく    八十力       勇み激しく

 ミコトノリ シホノリヒコオ  みことのり しほのりひこお    御言宣       「シホノリヒコを

 ミマナヲシ ユキトクニムク  みまなをし ゆきとくにむく    任那御使      往き 外国平く

 ミチツカサ カエレハヨシト  みちつかさ かえれよしと    道司」         帰れば "よし" と
                                               (吉)

 カハネタマヒキ        かはねたまひ          姓 賜ひき
  
  
 ムソフツキ ソヨミコトノリ  むそふつき そよみことのり    六十年七月     十四日 御言宣
                                (アスズ680年)

 タケヒテル ムカシササケシ  たけひてる むかしささけ    「タケヒテル      昔 捧げし

 カンタカラ イツモニアルオ  かんたから いつもあるお    神宝        出雲にあるを
                                   32文

 ミマクホシ          みまくほし            見まく欲し」
  
       タケモロスミオ        たけもろすみお              タケモロズミを
                                          (タケヒテルの曾孫)

 ツカワセハ カンヌシフリネ  つかわせは かんぬしふりね    遣わせば      神主フリネ

 カンホキニ ツクシニユキテ  かんほきに つくしゆきて    神祝に       筑紫に行きて

 トヰイリネ ミヤヨリイタシ  ゐいりね みやよりいたし    弟ヰイリネ      宮より出し
                                          (杵築宮)

 オトウマシ カラヒサトコノ  おとうまし からひさの    乙弟ウマシ      カラヒサと子の

 ウカツクヌ ソエテササクル  うかつくぬ そえささくる    ウカツクヌ     添えて捧ぐる
  
  
 ノチフリネ カエテヰイリネ  のちふりね かえてゐいりね    後フリネ       帰て ヰイリネ

 セメイワク イクカモマタテ  せめいわく いくかまた    責め曰く       「幾日も待たで

 ナトオソル イツモハカミノ  なとおそる いつもかみの    など畏る      出雲は上の
                                              御上の

 ミチノモト ヤモヨロフミオ  みちもと やもよろふみお    道の基       八百万文を
                                    <となる>

 カクシオク ノチノサカエオ  かくしおく のちさかえお    隠し置く      後の栄えを

 オモワンヤ タヤスクタスト  おもわや たやすくたすと    思わんや      たやすく出す」 と

 ウラミシカ シノヒコロスノ  うらみか しのひころすの    恨みしが      忍び 殺すの

 ココロアリ          こころあり            心あり
  
       アニノフリネカ        あにふりね              兄のフリネが

 アサムキテ ヤミヤノタマモ  あさむきて やみやたまも    欺きて       「ヤミヤの玉藻

 ハナカヨミ ユキミントテソ  はなかよみ ゆきとてそ    花暦        行き見ん」 とてぞ

 サソヒクル オトウナツキテ  さそひくる おとうなつきて    誘ひ来る      弟 うなづきて

 トモニユク アニハキタチオ  ともゆく あにはきたちお    共に行く      兄は木太刀を

 ヌキオキテ ミツアヒヨヘハ  ぬきおきて みつあひよへは    脱ぎ置きて     水浴び呼べば

 オトモママ          おともまま            弟もまま      
  
       アニマツアカリ        あにまつあかり              兄まず上がり

 オトカタチ ハケハオトロキ  おとかたち はけおとろき    弟が太刀      佩けば驚き

 ヰイリネモ アカリテアニカ  ゐいりねも あかりてあにか    ヰイリネも     上がりて兄が

 キタチハク アニタチヌキテ  きたちはく あにたちぬきて    木太刀 佩く     兄 太刀抜きて

 キリカクル ヌカレヌタチニ  きりかくる ぬかたちに    斬り掛くる     抜かれぬ太刀に
                        (可能)

 ヰイリネハ ヤミヤミフチニ  ゐいりねは やみやみふちに    ヰイリネは     やみやみ淵に

 キエウセヌ ヨニウタフウタ  きえうせ よにうたふうた    消え失せぬ     世に歌ふ歌
  
  
 ヤクモタツ イツモタケルカ  やくもたつ いつもたけるか    『八雲たつ      出雲タケルが
                                            (=フリネ)

 ハケルタチ ツツラサワマキ  はけるたち つつらさわまき    佩ける太刀      多巻き
                              (「佩く」の連体形)     柄巻は立派なれども

 アワレサヒナシ        あわれさひなし          あわれ錆無し』
                              <刀身は>
  
  
 カラヒサハ オイウカツクヌ  からひさは おいうかつくぬ    カラヒサは     甥ウカツクヌ

 ツレノホリ キミニツクレハ  つれのほり きみつくれは    連れ上り      君に告ぐれば

 キヒヒコト タケヌワケトニ  きひひこと たけぬわけとに    キビヒコと     タケヌワケとに
                                           (タケヌナカワ)

 ミコトノリ フリネウタレテ  みことのり ふりねうたて    御言宣       フリネ討たれて

 イツモオミ オソレテカミノ  いつもおみ おそれかみの    出雲臣       恐れて神の

 マツリセス          まつり            祭せず       
  
       アルヒヒカトヘ        あるひひかとへ              ある日ヒカトベ
                                              (ヒカワの守)

 ワカミヤニ ツクルワカコノ  わかみやに つくるわかこの    若宮に       告ぐる我が子の
                                 (イクメ)

 コノコロノウタ        このころうた          この頃の歌
  
  
 タマシツ イツモマツラハ  たまもしつ いつもまつらは    『玉藻垂づ      出雲祭らば

 マクサマシ カヨミオシフリ  まくさま かよみおしふり    まくさまじ     日夜見御使 フリ
                                   悩むことは無いだろう    (=神主)

 ネミカカミ ミソコタカラノ  みかかみ みそこたからの    ネ 神鏡       三十九宝の
                                               (華・甚)

 ミカラヌシ タニミククリミ  みからぬし たにみくくり    神殻主       だに身くぐり 神

 タマシツカ ウマシミカミハ  たましつか うましみかみは    霊 垂づか      和し厳みは

 ミカラヌシヤモ        みからぬしやも          神殻主やも』
  
  
 ウタノアヤ カミノツケカト  うたあや かみつけかと    歌の謂       神の告げかと

 キミニツケ イツモマツレト  きみつけ いつもまつれと    君に告げ      「出雲祭れ」 と

 ミコトノリ          みことのり            御言宣       (出雲大社の創始か)
  
  
       ムソフキナトノ        むそふきなとの              六十二年キナトの
                                          (アスズ682年)

 アフミツキ キミトハツヤヱ  あふみつき きみとつやゑ    七月        キミトはツヤヱ
                                         (1日がキミト) (2日)

 ミコトノリ タミワサハモト  みことのり たみわさもと    御言宣       「民業は基

 タノムトコ カウチサヤマハ  たのむとこ かうちさやまは    頼む床       河内狭山
                                   (土台)

 ミツタラス ワサオコタレハ  みつたら わさおこたれは    水足らず       業 怠れば

 ナリハヒノ タメニヨサミト  なりはひの ためよさみと    成り生ひの     ために依網と

 カリサカト カエオリノヰケ  かりさかと かえおりゐけ    苅坂と       反折の池

 ホラントテ クワマノミヤニ  ほらとて くわまみやに    掘らん」 とて    桑間の宮に

 ミユキナル          みゆきなる            御幸なる
  
       ムソヰホフツキ        むそゐふつき              六十五年七月
                                           (アスズ685年)

 ミマナクニ ソナカシチシテ  みまなくに そなかしちて    任那国       ソナカシチして

 ミツキナス ソノミチノリハ  みつきなす そのみちのりは    貢なす       その道のりは

 ツクシヨリ キタエフチノリ  つくしより きたふちのり    筑紫より      北へ二千延

 ウミヘタテ シラキノツサソ  うみへたて しらきつさそ    海隔て        新羅の西南ぞ
  
  
 ムソヤトシ シハスヲナヱハ  むそやとし しはすをなゑは    六十八年      十二月ヲナヱは
                                (アスズ688年)        (1日がヲナヱ) 

 ヰカネアヱ キミコトキレテ  ねあゑ きみこときれて    五日ネアヱ      君 言切れて

 モノイワス ヰネマスコトシ  ものいわ ゐねますことし    もの言わず      寝ます如し
  
  

 アクルトシ ネヤヱハツフカ  あくるとし ねやゑはつ    明くる年      ネヤヱ一月二日
                                (アスズ689年)

 アメヒツキ ミヨアラタマノ  あめひつき みよあらたまの    和日月       御代新玉の

 ハツキソヒ カミアカリトソ  はつきそひ かみあかりとそ    八月十一日     "神あがり" とぞ

 ヨニフレテ キミトウチトミ  ふれて きみうちとみ    世に触れて     君と内臣

 モハニイリ トノトミヤハリ  もはにいり とのとみやはり    喪に入り      外の臣やはり

 マツリコト          まつりこと            政事
  
       カンナソヒカニ        かんなそひ              十月十一日に

 オモムロオ ヤマヘニオクル  おもむろお やまへおくる    骸を        山辺に送る

 コノキミハ カミオアカメテ  このきみは かみあかめて    この君は      神を崇めて

 ヱヤミタシ ミクサタカラオ  ゑやみたし みくさたからお    疫病治し       三種宝を

 アラタムル ソノコトノリハ  あらたむる そのことのりは    新たむる      その言宣は

 オホイナルカナ        おほいなるかな          大いなるかな

  

  

  

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