四方の御使。四方の教え人。四道の軍。
崇神天皇の10年7月24日に、『民治す教え "神まつり" やや汚穢去れど 遠つ国 粗人
法を まだ迎けず 故 四方に御使 遣はして 法
教えしむ』と御言宣がある。
オオヒコを越の治人、タケヌナガハをホツマ治人、キビツヒコを西南の治人、タニハチヌシを丹波治人として各々派遣する。
『オオヒコをして 越の御使 タケヌナガワを ホツマ御使 キビツヒコして 西南の御使 タニハチヌシを 丹波御使』33文
『瑞籬の 十年九月の十七日 越の御使 オオヒコ帰り 申さくは 行く山城の 奈良坂に』34文
『"内は平けれど 外方粗るる 四道の軍 立つべし"
と 二十二日に発つ 四方の教え人』34文
『十一年四月十六日 四道のヱビス平け 君に告ぐれば 国
安ぐ』34文
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