ナラサカ

→ 語義
  

奈良坂 (平境)。 
ナラ山の領域。平城山周辺。現在の平城山(ならやま)丘陵。=山城
京都府木津川市の 市坂奈良坂(いちさかならざか) や、奈良県奈良市の 奈良坂町(ならざかちょう) に名が残る。平城山(ならやま)の奈良県側の県境地区が "歌姫(うたひめ)町" であることに注目。

・オオヒコが越国のヲシとして赴任する途中、乙女がここで歌う。
ヒコクニフクはここでハニヤス軍を破る。
  

奈良県奈良市歌姫町、添御県坐 (ソウノミアガタニイマス) 神社

 

【奈良坂】ならざか  (広辞苑)
平城(なら)から山城国木津に出る坂路。
もと平城京の大内裏の北に当る生駒郡平城村の歌姫から山城国へ出る歌姫越を称し、
後には奈良市北部の般若寺を経て木津へ出る坂をいう。

  

★『書紀』では和珥の坂となっている。(和珥の坂は今の奈良県天理市近辺。) 
★奈良市と京都府の境は奈良坂です。その北の木津川流域からが京都府です。古代史の国名なら大和から山背の国に入ったことになります。4世紀崇神天皇が三輪山のふもとに、大和朝廷の基礎を確立しつつあるころ、南山城には武埴安王の王国があったようです。木津川沿いの地名は、崇神軍と埴安軍の戦いに基づいて伝承されているものがいくつかあります。奈良坂から山背に渡る木津川の橋を「泉大橋」と呼びますが、これは木津川のことを、埴安王の戦いにちなんで「いどみ川」ということからきているようです。
  

オオヒコ到る 奈良坂に 少女が歌に "みよミマキ イリヒコあわや 己が副 ぬすみ退せんと 後つ門を』33文
『い行き違ひぬ 前つ門よ い行き違ひて 窺わく 知らじとミマキ イリヒコあわや"』
33文
瑞籬の 十年九月の十七日 越の御使 オオヒコ帰り 申さくは 行く山城の 奈良坂に』34文
ヒコクニフク 山城の ワニタケスキに 斎瓮据え 兵 率きて 軍立て 木茅踏み平け 手柏の 戦まず勝つ 奈良坂ぞ』34文

  

  

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