ヒコクニフク

→ 語義
  

彦国葺。 
アマタラシヒコクニ
(春日親王) の曾孫。チチハヤの孫。オケツ(彦姥津命)の子。 
シホノリヒコ
の祖父。和珥臣の先祖。 
タケハニヤス
の反乱の時、山背のワニタケスキ斎瓮を据え、ハニヤス軍を破る。 
垂仁天皇
25年、阿倍の祖タケヌナガワ・中臣の祖オオカシマ・物部の祖トイチネ・大伴の祖タケヒと共に、厚く神祇を祭祀せよとの詔を賜わる (五大夫)。 
イセ宮完成の時、内宮(ヒハス姫) の代理として詣でる。
  

天理市和爾町、和爾下 (ワニシタ) 神社
滋賀県大津市真野町、神田 (カンダ) 神社

  

                    ┌イチシ
                    ├カキモト
                    ├オノ
                    ├アワタ
                    ├オオヤケ ┌オケツ──────┐
カヱシネ(孝昭天皇)┐          │     │         │
         ├┬アマタラシヒコクニチチハヤ─┴ヤマカ姫[典侍]  │
ヨソタリ姫────┘│ (春日親君)   │        ┃      │
          │         └オシ姫[内宮]  ┃      │
          │           ┃─オオヤマトフトニ    │
          └─────ヤマトタリヒコクニ  (孝霊天皇)    │
                   (孝安天皇)             │
  ┌─────────────────────────────────┘
  │
  ├ヒコクニフク─────??─────シホノリヒコ
  │
  └オケツ姫[典侍]
     ┃───────ヒコヰマス
   ワカヤマトネコヒコ
  
  

『"ヰサセリヒコを 逢坂へ" 向かひアタ姫 討ち破り ついに殺しつ オオヒコと ヒコクニフクと 向わしむ』34文
ヒコクニフク 山城の ワニタケスキに 斎瓮据え 兵 率きて 軍立て 木茅踏み平け 手柏の 戦まず勝つ 奈良坂ぞ』34文
ハニヤスヒコは 川北に ヒコクニフクを 見て曰く "汝 何故 拒むぞや" "これ  に逆ふを 討たしむ" と』33文
『先争いて ハニヤスが 射る矢当らず クニフクが 射る矢は当る ハニヤスが 胸 撃ち殺す』34文
『"クニフクの 孫シホノリツ これ好しぞ" 頭の三瘤 松の君 背一丈五尺 八十力 勇み激しく
34文
『二十五年の 二月八日に 御言宣 タケヌガワケと クニフクと ミカサカシマと トイチネと タケヒら 諸に』
『我が御親 ミマキは聡く ほつま知る 誤り正し 謙り下り 神を崇めて 己を懲らす  故 繁篤く 民 豊か』
『今 我が代にも 怠らず 神祭らん" と』
36文
『御言宣 "ミカサの大臣 斎主 ワタラヒ臣は 神主に アべタケヌガを 御代りと ワニクニフクを 内代り』36文

  

  

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