※29文〜40文は、地名については原義と異なると思われる場合でも、現在一般に使用されている漢字で表記しています。
【原文カタカナ訳】 【語義考察】 【漢字読み下し】
カミアカメヱヤミタスアヤ かみあかめゑやみたすあや 神崇め 疫病治す文
トキアスス ムモフソヒトシ ときあすす むもふそひとし 時アスズ 六百二十一年 キナヱハル ムツキネシヱハ きなゑはる むつきねしゑは キナヱ春 一月ネシヱは (1日がネシヱ) ソミキシヱ ヰソニヱノミコ そみきしゑ ゐそにゑのみこ 十三日キシヱ ヰソニヱの皇子 トシヰソフ アマツヒツキオ としゐそふ あまつひつきお 歳五十二 和つ日月を ウケツキテ ミマキイリヒコ うけつきて みまきいりひこ 受け継ぎて ミマキイリヒコ アマツキミ ミクサツカヒモ あまつきみ みくさつかひも 和つ君 三種使ひも (日・月・星の使ひ) アメタメシ タミニオカマセ あめためし たみにおかませ 上例 民に拝ませ (上代の例) ハハオアケ ミウヱキサキト ははおあけ みうゑきさきと 母を上げ 御上后と (イカシコメ) モモフソヒ オオハハノトシ ももふそひ おおははのとし 百二十一 大母の歳 (ウツシコメ) モモムソフ オオンキサキト ももむそふ おおんきさきと 百六十二 大御后と
ハツトシノ キサラキサウト はつとしの きさらきさうと 初年の 二月サウト (1日がサウト) ソムツミヱ オオヒコノメノ そむつみゑ おおひこのめの 十六日ツミヱ オオヒコの姫の コトシソヒ メシテキサキノ ことしそひ めしてきさきの 今年十一 召して后の (内宮) ミマキヒメ キアラカトヘカ みまきひめ きあらかとへか ミマキ姫 紀アラカトベが (紀の国造) トオツアヒ メクハシウチメ とおつあひ めくはしうちめ トオツアヒ メクハシ内侍
オオスケニ アフミカヤサカ おおすけに あふみかやさか 大典侍に 近江がヤサカ (ヒコヰマスの子) フリイロネ カリスケトナル ふりいろね かりすけとなる フリイロネ '仮典侍となる オハリカメ オオアマウチメ おはりかめ おおあまうちめ 尾張が姫 オオアマ内侍 ナカハシノ ヲシテトルモリ なかはしの をしてとるもり 長橋の ヲシテ執る守' (勾当)
コレノサキ メクハシカウム これのさき めくはしかうむ これの先 メクハシが生む トヨスキメ オオアマカウム とよすきめ おおあまかうむ トヨスキ姫 オオアマが生む ヌナキヒメ メクハシカウム ぬなきひめ めくはしかうむ ヌナキ姫 メクハシが生む ヤマトヒコ イムナヰソキネ やまとひこ いむなゐそきね ヤマトヒコ 斎名ヰソキネ ヤサカウム ヤサカイリヒコ やさかうむ やさかいりひこ ヤサカ生む ヤサカイリヒコ オオキネソ カレハハオアク おおきねそ かれははおあく オオキネぞ 故 母を上ぐ (それぞれ昇格)
ミホナツキ シキミツカキニ みほなつき しきみつかきに 三年九月 "磯城ミツカキ" に (上鈴623年) ニイミヤコ にいみやこ 新都
ヨホメスエミカ よほめすえみか 四年十月二十三日 (アスズ624年) ミコトノリ ミヲヤノサツク みことのり みをやのさつく 御言宣 「御祖の授く ミクサモノ クニトコタチハ みくさもの くにとこたちは 三種物 クニトコタチは カンヲシテ アマテルカミハ かんをして あまてるかみは 神ヲシテ アマテル神は ヤタカカミ オオクニタマハ やたかかみ おおくにたまは ヤタ鏡 オオクニタマは (クシヒコ) ヤヱカキト ツネニマツリテ やゑかきと つねにまつりて 八重垣と 常に纏りて ミトカミト キハトホカラス みとかみと きはとほからす 身と神と 際 遠からず トノユカモ ウツハモトモニ とのゆかも うつはもともに 殿床も 器も共に 下にあるものも 上に置くべき神の器も一緒くたに スミキタル すみきたる 住み来たる
ヤヤイツオソレ ややいつおそれ やや稜威恐れ
ヤスカラス アマテルカミハ やすからす あまてるかみは 安からず アマテル神は (ヤタ鏡) カサヌヒニ トヨスキヒメニ かさぬひに とよすきひめに 笠縫に トヨスキ姫に (傘松山麓) マツラシム オオクニタマハ まつらしむ おおくにたまは 纏らしむ オオクニタマは (八重垣剣) ヌナキヒメ ヤマヘノサトニ ぬなきひめ やまへのさとに ヌナキ姫 山辺の里に マツラシム イシコリトメノ まつらしむ いしこりとめの 纏らしむ イシコリトメの マコカカミ アメヒトカミノ まこかかみ あめひとかみの 孫 鏡 アメヒト尊の (アマメヒトツ) マコツルキ サラニツクラセ まこつるき さらにつくらせ 孫 剣 新に造らせ アマテラス カミノヲシテト あまてらす かみのをしてと 和照らす 神のヲシテと <合せた> コノミクサ アマツヒツキノ このみくさ あまつひつきの この三種 和つ日月の カンタカラ かんたから 尊宝」
ヰトシヱヤミス ゐとしゑやみす 五年 疫病す (アスズ625年) ナカハカル ムトシタミチル なかはかる むとしたみちる 半ば枯る 六年 民散る (アスズ626年) コトノリニ タシカタシカレ ことのりに たしかたしかれ 言宣に 「治し難し 故 ツトニオキ ツミカミニコフ つとにおき つみかみにこふ つとにおき 罪 神に乞ふ」 原点に回帰し
フタミヤオ サラニツクラセ ふたみやお さらにつくらせ 二宮を 新に造らせ ムトセアキ オオクニタマノ むとせあき おおくにたまの 六年秋 オオクニタマの カミウツシ ナツキソムカヨ かみうつし なつきそむかよ 神移し 九月十六日夜 アスノヨハ アマテルカミノ あすのよは あまてるかみの 明の夜は アマテル神の ミヤウツシ トヨノアカリノ みやうつし とよのあかりの 宮移し 訪の明りの イロモヨシ イサトモカミハ いろもよし いさともかみは 色も良し いざとも神は <新社宮に> クタリマス イロノツスウタ くたります いろのつすうた 降ります 色の十九歌
イサトホシ ユキノヨロシモ いさとほし ゆきのよろしも 『いざ遠し 往きの宜しも オホヨスカラモ おほよすからも 大優らも』
ナホキサラ ミカミコトノリ なほきさら みかみことのり 七年二月 三日 御言宣 (アスズ627年) ワカミヲヤ ヒラクモトヒハ わかみをや ひらくもとひは 「我が上祖 開く基は サカンナリ ワカヨニアタリ さかんなり わかよにあたり 盛んなり 我が代にあたり ヲエアルハ マツリトトカヌ をえあるは まつりととかぬ 瘁え粗るは 祭 届かぬ (→果つ国) トカメアリ ケタシキワメテ とかめあり けたしきわめて 咎めあり けだし究めて ヨルナリト アサヒノハラニ よるなりと あさひのはらに 寄るなり」 と 朝日の原に (真名井原) ミユキシテ ヤモヨロマネク みゆきして やもよろまねく 御幸して 八百万招く ユノハナノ モモソヒメシテ ゆのはなの ももそひめして 湯の花の モモソ姫して ノリコチニ サツサツスウタ のりこちに さつさつすうた 宣言に サツサ十九歌
サルタミモ ツスニマツラテ さるたみも つすにまつらて 『去る民も 綴に纏らで ヲヱニミタルサ をゑにみたるさ 汚穢に乱るさ』
キミトフテ カクオシユルハ きみとふて かくおしゆるは 君 問ふて 「かく教ゆるは タレカミソ コタエテワレハ たれかみそ こたえてわれは 誰神ぞ」 答えて 「我は クニツカミ オオモノヌシソ くにつかみ おおものぬしそ 地つ神 オオモノヌシぞ」 キミマツル コトシルシナシ きみまつる ことしるしなし 君 祭る こと徴なし ユアヒシテ スカニイノリテ ゆあひして すかにいのりて 湯浴びして 清に祈りて ツケモフス ワレウヤマエト つけもふす われうやまえと 告げ申す 「我 敬えど ウケサルヤ うけさるや 受けざるや」
コノヨノユメニ このよのゆめに この夜の夢に ワレハコレ オオモノヌシノ われはこれ おおものぬしの 「我はこれ オオモノヌシの カミナルカ キミナウレヒソ かみなるか きみなうれひそ 神なるが 君な憂ひそ タセサルハ ワカココロアリ たせさるは わかこころあり 治せざるは 我が心あり (自下二) ワカハツコ オオタタネコニ わかはつこ おおたたねこに 我が裔 オオタタネコに マツラサハ ヒトシクナレテ まつらさは ひとしくなれて 祭らさば ひとしく平れて トツクニモ マサニマツラフ とつくにも まさにまつらふ 遠つ地も まさに服ふ」
ハツキナカ トハヤカチハラ はつきなか とはやかちはら 八月七日 トハヤがチハラ メクハシメ オオミナクチト めくはしめ おおみなくちと メクハシ姫 オオミナクチと イセヲウミ ミタリミカトニ いせをうみ みたりみかとに イセヲウミ 三人 帝に ツケモフス ユメニカミアリ つけもふす ゆめにかみあり 告げ申す 「夢に神あり タタネコオ オオモノヌシノ たたねこお おおものぬしの タタネコを オオモノヌシの イハヒヌシ シナカオイチオ いはひぬし しなかおいちお 斎主 シナガオイチを オホヤマト クニタマカミノ おほやまと くにたまかみの オホヤマト クニタマ神の イハヒヌシ ナサハムケヘシ いはひぬし なさはむけへし 斎主 なさば平けべし」
キミコレニ ユメアワセシテ きみこれに ゆめあわせして 君これに 夢合せして フレモトム オオタタネコオ ふれもとむ おおたたねこお 触れ求む オオタタネコを チヌスエニ アリトツクレハ ちぬすえに ありとつくれは 茅渟 陶に ありと告ぐれば (茅渟県の陶村) キミヤソト チヌニミユキシ きみやそと ちぬにみゆきし 君 八十と 茅渟に御幸し タタネコニ タカコソトトフ たたねこに たかこそととふ タタネコに 「誰が子ぞ」 と問ふ コタエニハ ムカシモノヌシ こたえには むかしものぬし 答えには 「昔 モノヌシ (コモリ) スエスミカ イクタマトウム すえすみか いくたまとうむ スエスミが イクタマと生む (イクタマヨリ姫) モノヌシノ オオミワカミノ ものぬしの おおみわかみの モノヌシの オオミワ神の ハツコナリ はつこなり 裔なり」
キミサカエント きみさかえんと 君 「栄えん」 と タノシミテ イキシコヲシテ たのしみて いきしこをして 楽しみて イキシコヲして ウラナハス コレマコトヨシ うらなはす これまことよし 占わす これまこと吉し ヨソカミオ トエハフトマニ よそかみお とえはふとまに よそ守を 問えばフトマニ ウラワロシ うらわろし 占悪ろし
メツキハツヒニ めつきはつひに 十月初日に イキシコヲ ヤソヒラカナシ いきしこを やそひらかなし イキシコヲ 八十平瓮 成し コレオモテ オオタタネコオ これおもて おおたたねこお これを以て オオタタネコを イワヒヌシ オオミワノカミ いわひぬし おおみわのかみ 斎主 オオミワの神 (大神神社) ナカオイチ オオクニタマノ なかおいち おおくにたまの ナガオイチ オオクニタマの (大和神社) イワヒヌシ いわひぬし 斎主
アマネクフレテ あまねくふれて あまねく告れて カミアカメ カミナフミナス かみあかめ かみなふみなす 神崇め 神名文 成す カンヘシテ ヤモヨロカミオ かんへして やもよろかみお 神部して 八百万神を マツラシム ヱヤミムケイエ まつらしむ ゑやみむけいえ 祭らしむ 疫病 平け癒え ソロミノリ タミユタカナリ そろみのり たみゆたかなり ソロ実り 民 豊かなり
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コノミキハ ワカミキナラス このみきは わかみきならす 『この酒は 我が酒ならず ヤマトナル オホモノヌシノ やまとなる おほものぬしの ヤマトなる オホモノヌシの 1.調和を成就する 2.ミモロ山下に坐す カミノミキ イクヒサツクル かみのみき いくひさつくる 神の酒 活霊授くる 神の活霊が授ける スキハイクヒサ すきはいくひさ 直は幾久』
ミアエオエ トミラウタフテ みあえおえ とみらうたふて 御饗終え 臣ら歌ふて
ウマサケヤ ミハミワノトノ うまさけや みはみわのとの 『うま酒や 身はミワの殿 アサトニモ イテテユカナン あさとにも いててゆかなん あさとにも 出でて行かなん ミワノトノトオ みわのとのとお 三輪の殿門を』 (三輪鳥居)
トキニキミ コレカエウタニ ときにきみ これかえうたに 時に君 これ返歌に
ウマサケニ ミハミワノトノ うまさけに みはみわのとの 『うま酒に 身はミワの殿 アサトニモ オシヒラカネヨ あさとにも おしひらかねよ あさとにも 押し開かねよ ミワノトノトオ みわのとのとお 三輪の殿戸を』
トノトオシ ヒラキカエマス とのとおし ひらきかえます 殿戸押し 開き帰ます
コホヤヨヒ モチノヨユメニ こほやよひ もちのよゆめに 九年三月 十五日の夜 夢に (アスズ629年) カミノツケ カシキホコタテ かみのつけ かしきほこたて 神の告げ 「畏祝 奉て カミマツレ ウタスミサカモ かみまつれ うたすみさかも 神祭れ ウダ・隅境も オオサカモ カワセサカミオ おおさかも かわせさかみお 央境も かわせ邪霊を (還せ) ノコリナク コレツミヒトノ のこりなく これつみひとの 残りなく これ罪人の シイトトム ヱヤミナスユエ しいととむ ゑやみなすゆえ シイ留む 疫病なすゆえ」 ウスエフカ ヲトミカシマト うすえふか をとみかしまと 四月二十二日 大臣カシマと タタネコト タマカエシノリ たたねこと たまかえしのり タタネコと "霊還し" 宣り マツラシム カレニアカルキ まつらしむ かれにあかるき 纏らしむ 故に明るき
ソホネヤト フツキスエヨカ そほねやと ふつきすえよか 十年ネヤト 七月二十四日 (アスズ630年) ミコトノリ タミタスヲシエ みことのり たみたすをしえ 御言宣 「民治す教え カミマツリ ヤヤヲヱサレト かみまつり ややをゑされと 神纏り やや汚穢去れど トオツクニ アラヒトノリオ とおつくに あらひとのりお 遠つ国 粗人 法を マタムケス カレヨモニヲシ またむけす かれよもにをし まだ迎けず 故 四方に御使 ツカハシテ ノリヲシエシム つかはして のりをしえしむ 遣はして 法 教えしむ」
ナツキコカ オオヒコオシテ なつきこか おおひこおして 九月九日 オオヒコをして (内宮の父) コシノヲシ タケヌナカワオ こしのをし たけぬなかわお 越の御使 タケヌナガワを (オオヒコの子) ホツマヲシ キヒツヒコシテ ほつまをし きひつひこして ホツマ御使 キビツヒコして (弟ワカタケヒコの子) ツサノヲシ タニハチヌシオ つさのをし たにはちぬしお 西南の御使 タニハチヌシを (山陽) (ヒコヰマスの子) タニハヲシ ヲシエウケスハ たにはをし をしえうけすは 丹波御使 "教え受けずば (山陰) ホコロハセ ヲシテタマハリ ほころはせ をしてたまはり 綻ばせ" ヲシテ賜り →ホ3・ホ17 イクサタチ いくさたち 軍立ち
オノオノタテハ おのおのたては 各々発てば モチノヒニ オオヒコイタル もちのひに おおひこいたる 望の日に オオヒコ到る (同九月十五日) ナラサカニ オトメカウタニ ならさかに おとめかうたに 奈良境に 少女が歌に (奈良市歌姫町)
ミヨミマキ イリヒコアワヤ みよみまき いりひこあわや 『みよミマキ イリヒコあわや オノカソヱ ヌスミシセント おのかそゑ ぬすみしせんと 己が副 ぬすみしせんと シリツトオ イユキタカヒヌ しりつとお いゆきたかひぬ 後つ門を い行き違ひぬ 裏門から侵入するを、行き違いに出立する マエツトヨ イユキタカヒテ まえつとよ いゆきたかひて 前つ門よ い行き違ひて (表門) ウカカワク シラシトミマキ うかかわく しらしとみまき 窺わく 知らじとミマキ イリヒコアワヤ いりひこあわや イリヒコあわや』
オオヒコハ アヤシクカエリ おおひこは あやしくかえり オオヒコは 怪しく返り コレニトフ オトメカイワク これにとふ おとめかいわく これに問ふ 少女が曰く ワレハウタ ウタフノミトテ われはうた うたふのみとて 「我は歌 歌ふのみ」 とて キエウセヌ ムナサワキシテ きえうせぬ むなさわきして 消え失せぬ 胸騒ぎして タチカエリケリ たちかえりけり 立ち帰りけり
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■印のついたものは筆者の個人的な意見です。
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