ナガオイチ・シナガオイチ

→ 語義
  

市磯長尾市。 
オイチ(大市)を治める守。
ミマキイリヒコ(10代崇神天皇) の時、チハラメクハシ姫オオミナクチイセヲウミの三人が同じ夢を見て、これを天皇に上奏する。天皇も同じ夢を見ていたので夢合わせだとして、その夢の告げ通りにオオクニタマ (大和神社) 斎主にされ、同時にオオタタネコオオミワ神 (大神神社) の斎主とされる。
この二人、オオタタネコはミマキの時代には衰退していたオオモノヌシ家の子孫。シナガオイチはシイネツヒコの子孫で、シイネツヒコがタケヒトのヤマト討ちの大功によりヤマトの国造に処されて以来、やはり冷遇されていたのだと思われる。このあたりはいろんなことを想像させてくれる。

アメヒボコが来日した時にオオトモヌシと共に播磨に派遣される。
クエハヤの対戦相手のノミのスクネを、出雲 (島根県松江市大庭町、神魂神社) まで呼びに行く。
  

奈良県天理市新泉町星山、大和 (オオヤマト) 神社
  

■「箸中(ハシナカ)大市(オイチ)
シイネツヒコ (倭国造) の七世孫という。
綿積豊玉彦─振魂─武位起─椎根津彦─志麻津見─武速持─邇支倍─飯手─御物─市磯長尾市
★『書紀』市磯長尾市(いちしのながおち)
★『書紀』倭国市磯(いちし)邑。穴磯邑の大市の長岡岬 (現・狭井神社)
  

『"夢に神あり タタネコを オオモノヌシの 斎主 シナガヲイチを 大ヤマト クニタマ神の 斎主 なさば平けべし"』33文
イキシコヲ 八十平瓮成し これを以て オオタタネコを 斎主 オオミワの神 ナガヲイチ オオクニタマの 斎主』33文
瑞籬の 三十九年ヒボコは 播磨より 到る宍粟 その時に オオトモヌシと ナガオイチ 播磨に遣りて 問はしむる』35文
ナガオイチして これを召す ノミのスクネも 喜べば "明日 競べん" と 御言宣』35文

  

  

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