ウツヒコ(1)

→ 語義
  

ホノススミ(スセリ)スセリ姫(コモリの六女)の子。
ニニキネおよびコモリの孫。 
この人に関しては斎名しか記述がないが、斎名が記されるということは相当な重要人物である可能性が高い。

 

アマテルオシホミミニニキネ┐
               ├ホノススミ┐
  カグツミマウラアシツ姫┘     ├┬ウツヒコ
                     ││
 オホナムチクシヒココモリスセリ姫─┘└─??──アメミカゲ

 

ウカワ宮 娶るスセリ姫 御子を生む 斎名ウツヒコ27文

  

  

ウツヒコ(2)
(シイネツヒコ)

→ 語義
  

珍彦。宇豆毘古。 椎根津彦。 
神武東征の折、速吸門で合流し、海路を案内したツクシの国守。
椎の竿の末を持たせてタケヒトの船に引き入れたので、椎根津彦。 
飛鳥の地では、神武の夢の告げにより、蓑笠姿の翁に扮して香具山の埴を採ってくる。その功により大和国造となる。初代大和神社斎主ナガヲイチは、この人の七世の孫という。
  

大分県北海部郡佐賀関町大字関、椎根津彦 (シイネツヒコ) 神社
福井県丹生郡越前町佐々生、佐佐牟志 (ササムシ) 神社
神戸市東灘区本山北町、保久良 (ホクラ) 神社
  

綿積豊玉彦─振魂─武位起─椎根津彦─志麻津見─武速持─邇支倍─飯手─御物─市磯長尾市
■ウツヒコ(1)と同一人物なのかもしれない。『記・紀』などでホノススミのことを「隼人等が始祖なり」、「吾田君小椅等の本祖なり」、「隼人阿多君の祖」、「大角(大隅)隼人、出自火闌降命後也」などと記されていることや、海幸彦と言う別名から、九州南部の海洋民族と親密な関係であったことが伺われる。ホノススミの子のウツヒコが九州南部に住みつき、海神等と同化していても不思議はない。
★『旧事』大倭連らの先祖。海神の妹娘・玉依姫彦火火出見尊との間に生まれた武位起命の子になっている。
★籠神社に伝わる「海部氏勘注系図」の秘伝とされている海幸山幸神話では天火明命が弟の山幸彦(彦火々出見尊)である。時に弟、釣り針を海中に失う。塩土老翁来たりていわく。即ち、火明命、竹籠に入り、海に沈む。豊玉姫命、その子の端正なるを聞きはなはだ憐重す。妹玉依姫命を遣わし養うは、即ち、武位起命(たけいたてのみこと)なり。
■綿積豊玉彦命ー振魂命─武位起命─椎根津彦命。という系図があり、綿積豊玉彦命をハテスミあるいはトヨツミヒコとみれば、ウツヒコはその曾孫ということになる。
  

『御船の到る 速吸門 寄る海人小船 アヒワケが 問えば "国守 ウツヒコぞ 海の釣にて 聞く御船 向かふは御船"』29文
『垂棹の末 持たしめて 船に引き入れ 名を賜ふ シイネツヒコの 率く船の 宇佐に到れば』29文
シイネツヒコは 蓑と笠 箕を持つ
ウカシ 翁・姥の 民の姿で 香具山の 峰の埴採り 返言は 弥の占形』29文
『ちまたに仇の 満ち居れば シイネツヒコが 祈り言ふ "我が君 地を 定むなら  道も開けん 必ず" と』29文
直ちに行けば 仇も見て 様を笑ひて 避け通す 故に
香具山 埴 採りて 返ればも 喜びて29文
ミチヲミが撃つ オシサカと ウツヒコが撃つ オンナ坂 兄シギの逃げる クロ坂に 挟みて撃てば』29文
ウツヒコが殊 船と埴 大和国造 弟ウケシ 猛田県司 クロハヤは 磯城の県司』30文

  

  

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