アヒワケ・アメヒワケ

→ 語義
  

天日別命。 
アメフタヱ
(ムラクモ)の孫。アヒワケの五世の孫にオオワカゴがいる。 
神武東征に同行。ウツヒコに何者かを問う。
大和平定後、イセの国造に任ぜられる。
  

三重県桑名市本町、桑名宗社内、中臣 (ナカトミ) 神社
高知県室戸市吉良川町、五所 (ゴショ) 神社

  
アメフタヱ天波与命アヒワケ─彦国見賀岐建興来命─彦田都久禰命─┐
                                  │
       ┌──────────────────────────┘
       │
       └彦建津命─彦久良為命─オオワカゴ─オトワカゴ
  

★伊勢神宮の内宮は中臣氏の後裔という荒木田氏、外宮は天日別命の後裔という度会氏が禰宜家。
神武天皇の大和入りの後、天皇の命を受けた天日鷲命(天日別命)が、伊勢の国を平定し伊勢の国造になる。そのとき、伊勢国にゐた伊勢津彦は、強風をおこし、潮を吹き上げ、波に乗って東(信濃)へ去ったといふ。天日鷲命は、宇治山田付近の村長の大国玉命の娘・弥豆佐々良(みつささら)姫を妻とした。これが度会(わたらひ)氏の祖先である。(風土記逸文) 
★『古語拾遺』天日鷲命の孫(すえ)は、木綿また麻また織布(あらたえ)を造る。よって天富命をして日鷲命の孫を率ゐて肥饒地を求め阿波国に遣はし、穀(かじ)、麻の種を植ゑしめき。その裔、今彼の国にあり。大嘗の年に当りて、木綿、麻布、また種々の物を貢(たてまつ)る。郡の名を麻殖(おえ)とする所以(ゆえ)の縁(もと)なり。
  

『御船の到る 速吸門 寄る海人小船 アヒワケが 問えば "国守 ウツヒコぞ 海の釣にて 聞く御船 向かふは御船"』29文
アメヒワケ 伊勢
国造 アタネ 上 賀茂県司 カツテ孫  ツルギネ 葛城 国造ぞ ヤタカラス孫 葛野主30文

  

  

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