和珥武鐰。
山城のワニのタケスキ。
場所不明。奈良坂近辺と思われる。
タケハニヤスの反乱の時、ヒコクニフクは山城のワニのタケスキに斎瓮を据え、その後にハニヤス軍を破る。
★武埴安彦の反乱を鎮圧するために、崇神天皇軍の和爾氏の祖が進軍する途中、和珥坂の下で神々を祭り戦勝を祈ったとされる。その場所が和爾坐赤阪比古神社の起源と見られ、古代豪族和爾氏の本拠地とされている。奈良県天理市櫟本町大字和爾字北垣。
■『書紀』にも「彦国葺が忌瓮を和珥の武鐰坂の上に据える」という記述があるのだが、ホツマには「ヤマシロ」と明記されているので天理市ではありえない。
『ヒコクニフクは 山城の ワニタケスキに 斎瓮据え 兵 率きて 軍立て 木茅踏み平け 手柏の 戦まず勝つ 奈良坂ぞ』34文
【ホツマツタヱ解読ガイド】 【ミカサフミ解読ガイド】 【ふとまに解読ガイド】
【やまとことばのみちのく】 【にしのことばのみちのく】 【あめなるみち】
【ホツマツタエのおもしろ記事】