イズモタイシャ

 
出雲大社 (杵築神社) 出雲國一宮
島根県簸川郡大社町杵築東。 
祭神:大國主大神
  

出雲大社の社伝においては、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営とされている。
  

■私論では出雲大社は、崇神天皇大物主神の祟りを恐れて、天日隅宮を出雲に復興再建したものである。34文に、フリネが討たれた後、出雲臣は恐れて神の祭をしなくなった。ヒカトベの子の歌に、胸騒ぎを覚えた崇神天皇は「出雲を祭れ」と命じている。これが出雲大社の創始と見る。これ以降、出雲の政庁も旧杵築宮(神魂神社)から出雲大社に移転されたものと思われる。
■『高ければこそ 我が造る神の祠も 懸梯のまま』(37文) とあることから、イソノカミの原形は神を祭る宮ではなく、「高所に設けた剣の倉庫」だったと思われる。 懸梯を管理保管する者以外は神宝庫に近づくことが出来ないようにしたのだと思われる。
これに関連して思い起すのは、タケヒテルが奉った「タマカハの尊宝文」は出雲に収納された。詳細な場所は記されていないが杵築宮と思われる。また『出雲は上の道の本 八百万文を隠し置く』(34文) とも記されている。古代の出雲大社が非常に高かったというのは、やはり神宝庫としての側面があったからなのではないだろうか。

★『大社問答』
杵築大社は旧名天日隅宮また天日栖宮と申して高木神の勅、また汝応住天日隅宮者今當供進即以千尋[タク]縄結為百八十紐其造営之制者柱則高大板則廣厚云々、又記に出雲國多藝志之小濱造天之御舎云々出雲風土記に楯縫郡傳に神魂命勅五十足天日栖宮之縦横御量干尋[タク]縄持而百結々下而此御量持而所造天下所造大神之宮造奉詔云々、又杵築郷傅に所造天下大神之宮将奉与諸皇神等参集宮処杵築故云寸付などありて其構造の廣大なるを以て杵築大社 とも出雲大社とも又単に大社とも称へて延喜式に名神大社とあり是即幽冥主宰と坐す大國主大神の幽府の本府なり。

  

  

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