安国 (和国)。
中心の地。 =ヤスカワ・ヤス・ウラヤス・ヲウミ
地理的にはハラミを含めた広義の葦原中国/アワ国と、ほぼ同じではないかと思われる。
アマテルがヒタカミからハラミ山麓に戻り、即位する時に「ヤスクニ」という名が付けられたらしい。
「アマテル自らの治めにより、民の気が安まり、安国宮と称えた」とホツマツタヱの序文にはある。
【安国】ヤスクニ −広辞苑より−
安らかに治まる国。泰平の国。
★『大祓詞』「我が皇御孫命は。豊葦原水穂国を安国と平けく知食せと事依奉りき」
『豊葦原の 千五百秋 瑞穂の田あり 汝
行き 領すべしとて トと矛と 授け賜わる』23文
『千五百の葦も みな抜きて 田となし民も 賑えば ヰヤマト通る ヤマト国』23文
『日上し所は "日高み" よりぞ 治まりし そのヤス国の 千五百村 みな頭あり 今これを 合せて三千の 守
治む』23文
『天に収めて オオヤマト ヒタカミ
ヤスの 政事 聞こせば民も 穏やかに 二十五万年』28文
安国宮(和国宮)。山下安宮(山下和宮)。
「太山下日高みの和国の宮(おおやまとひたかみのやすくにのみや)」の略。
別名:還和国の宮(こゑやすくにのみや)、ト下和宮(としたあめみや)
アマテルがヒタカミからハラミ山麓に戻って築いた、新装のハラミの宮
(サカオリ宮)。
アマテルはこの宮にて即位する。その後イサワ宮に遷るまでここが都であった。
後にニニキネがハラアサマ宮に改修する。
★『大祓詞』「… … 大倭日高見国を安国と定め奉りて …
…」
『大御宝の 気も安く ヤスクニ宮と 称えます 八万年経て 還内の イサワの宮に 御座します』序
『二十一鈴 百二十六枝 年サナト
三月一日 日の山下 新宮造り 陽陰御子は ヒタカミよりぞ 移ります』6文
『御子は太陽の 位
乗る 日の山の名も 太山ぞ 故
太山下 日高みの 和国の宮』6文
『ヤマトヤス宮 引き移し アメヤスカワの ヒルコ姫 御子オシヒトを 養します 根とサホコ国 兼ね治む』6文
『至るワカヒト ヒタカミの 陽陰の宮にて 道
学ぶ 三十年に知ろし 宮 造り 太陽山下に 政
執る』28文
『天に収めて オオヤマト ヒタカミ
ヤスの 政事 聞こせば民も 穏やかに 二十五万年』28文
『これ君は 還ヤスクニの 宮に坐す』ミ5文
『ホツマ君 カツラキ山の 八千座の 禊も満ちて 桂木の出車
成して 迎えんと ハラミ山下に 伝え寄る』ミ逸文
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