伊雑 (結添・結和・妹背)
イサワは「(陽陰の) 結び合うさま」を表し、イセ(妹背)の同義語。
妹背の神アマテルが都としたことから地名にもなる。
『君は都を 国の南に 移すは八民 潤くため オモイカネして 造らしむ 成りてイサワに 宮移し』ミ5文
『ニニキネと タチカラと行く ヒタカミの 君を拝みて 由を告げ 後に御孫と タチカラと イサワに帰り 返言す』20文
『五十鈴の 千枝の二十年 天
代わる 暦まだとて モノヌシが イセに詣でて これを問ふ』28文
『アマテル神は 還国の イサワ大内の 宮に居て 八つ御耳に 聞こし召し 民の教えは 妹背の道』28文
『時にイサワの 陽陰つ神 十二の后も 神となる セオリツ姫と 大御神 宮
移さんと ミモ郷に 天昇る地
得て』28文
『サホヒコの イサワに聞けば 若宮の チチ姫娶る その時に タカギが酒の 謂
乞えば 』ミ2文
伊雑宮 (結和宮)。
イセ宮(妹背宮)・ヒヨミの宮(日夜見の宮)とも呼ばれる。
本来イセというのはこの地を言う。(伊勢神宮の所在地はウチ)。
アマテルはハラミ山下のヤスクニ宮からここに都を移す。オモイカネが建設。
南殿が橘宮で、表向きの政を行い
(タカマ)、東には大内宮があり、アマテルと局達の住居であった。
天の真榊はアマテルが宇治に移るまでは、この宮の中で植え継ぎが続けられたらしい。
三重県磯部町、伊雑宮 (イザワノミヤ)
三重県伊勢市磯町、磯 (イソ) 神社
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(1)志摩郡磯部町にイサワ宮が在ったとすると、この地からは伊勢神宮は北西にあり、イソベの宮に居たヤマト姫への報告に『良き宮所 南にあり』36文
とあるのはおかしい。
(2)『君はツクシの タカチホぞ 我はイセの南 ナカタガワ』24文
この発言の時点ではイセはイサワを指すので、ナカタガワを宇治の猿田彦神社の辺りと見れば、イサワはその北方ということになる。
(3)ホツマのその他の記述から、イサワ宮と二見浦は地理的に近かったと推察される。志摩郡磯部町ではやや遠いと思うのである。
(4)「いさわ」はヤマト姫の居た「いそへ」と語源的に見て同義である。
『大御宝の 気も安く ヤスクニ宮と 称えます 八万年経て 還内の イサワの宮に 御座します』序
『イサワの宮に 侍る時 キシヰの稲田 蝕虫に 傷むを嘆き』1文
『南の殿に 橘植えて 橘の宮
東に桜植え 大内宮』6文
『父ウホトシが 妹背宮に 嘆けば御内 両
召して マフツの鏡 写さるる』13文
『梅の花見の 御饗して 日夜見の宮の 門出宣 昔
日夜見の オモイカネ 暦
作りて ここにあり』24文
『アマテル神は 還国の イサワ大内の 宮に居て 八つ御耳に 聞こし召し 民の教えは 妹背の道』28文
『この度は ヨシコを内の 親王とし 御霊笥かつぎ 斎野より 磯辺に移し 鎮めます』36文
『"良き宮所 南にあり" と ワカゴを遣れば ヰスズ郷 二百八万歳の サルタヒコ ワカゴに曰く』36文
『サホヒコの イサワに聞けば 若宮の チチ姫娶る その時に タカギが酒の 謂
乞えば 』ミ2文
結和の大御神。
「陰陽和合した大いなる神」の意。
イサワは「(陽陰の) 結び合うさま」を表し、イセ(妹背)の同義語。
他にも「いさわのあまつかみ(結和の陽陰つ神)」「いせのをんかみ(妹背の御神)」「ゐもをせかみ(妹背神)」「いせのかみ(妹背の神)」「あまてるかみ(陽陰連る神)」「あまつかみ(陽陰つ神)」「あまさかるひ(陽陰下がる霊)」「あまねきかみ(遍き神)」などと呼ばれる。
『キシヰの稲田 蝕虫に 傷むを嘆き ある形 告ぐる結和の 大御神 アマのマナヰに 御幸後』1文
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