ツクシ

→ 語義
  

筑紫 (尽くし・尽州・究州)。
九州全体 (=ツキスミ) を指す場合もあれば、筑州 (筑前+筑後) を指す場合もある。
  

■その昔、アメカガミヒタカミから下ってツクシを治め始める。つまりツクシは当初はヒタカミ系。シホカマオシホミミの時代にヒタカミに現れるのはこの辺りに原因があるのか。
ツツヲ族ワタスミ族は、アメカガミの末裔 (ヒタカミ系) なのかも知れない。後にヲウミアツミ族がツキスミに移動してその支配に参加、イサナキの時代にアツミ族の枝姓であるカナサキアツミムナカタ等が、中央からの委任を受けてツキスミ全土を統括するようになったのではないかと推測している。
  

【筑紫】ツクシ −広辞苑より−
九州の古称。また、筑前・筑後を指す。

  

イサナギ┐
    ├┬ヒルコ
イサナミ┘├ヒヨルコ
     ├ヤマト秋津洲・淡路島・伊予阿波二名隠岐三子筑紫吉備の児・佐渡 大島
     ├ククノチ
     ├茅の姫
     ├野槌
     ├アマテル
     ├ツキヨミ
     └ソサノヲ
  

『六代の嗣 オモタルの尊 カシコネと 八方を恵りて 民を治す ヲウミ安曇の 中柱ミ2文
『東はヤマト ヒタカミも 西はツクシの 葦原も 南 阿波ソサ 北はの ヤマトサホコの チタルまで 及べど』ミ2文
『百万年 嗣子なく 道 衰ひて 弁別 無』ミ2文

アメカガミ尊 ツクシ 治す ウヒチニ儲く この御子は アメヨロツ尊 ソアサ 治し アワサク 生めば』2文
『和してアワを 胞衣として ヤマト秋津洲 淡路島 伊予阿波二名 隠岐三子 筑紫 吉備の児 佐渡 大島3文
二尊は ツクシに行きて 生む御子を ツキヨミの尊 に次げと に上げます』3文
ツクシに御幸 を 植えてトコヨの 道 成れば 諸守 受けて 民を治す』5文
筑紫アワキの ミソギには ナカ川に生む 底ツツヲ 次 中ツツヲ 上ツツヲ これカナサキに 政らしむ』5文
日に向つ姫 宣給ふは "汝らが 御気冷えて ツクシに遣れば 噤み居れ"』7文

ツクシ アカツチ これを受け ウサの宮居を 改めて モチコハヤコは 新局 置けば怒りて 養しせず』7文
ツクシの三人 中国の 花山の野に 朋 集む 時に和照る 御言宣 ウケモチの孫 カダマロに "国見て返れ"』8文
『またカナサキは スミヨロシ 尊ヲシテと 御衣の末 賜ふ  "ツクシの 民 統べて 結ひ治むべし 我が代り"』8文
地道の後は 荒乗や ツクシの馬は 健やかに 緩く 熟るるも 
年半ば 馳せ・厳駆けも 長熟れや19-2文
ツクシの タカチホぞ イセの南 ナカタガワ  我が名を 顕わさば 我も出さん』24文
『時にツクシの 治まらで 御子御下りを 乞ふ故に  聞こし召し シノ宮を ツクシ皇君と 御言宣』
25文
ツクシは糧の 足らざるか てれば行き巡て 田を増さん 故 ムメヒトを 皇君とす』25文
天君は 西の宮より カメに乗り 尽しウマシの ウドに着き 筑紫あまねく 恵り回り 井堰・堤に 新田成す』25文
法 定むれば スミヨシの 孫ホタカミや シガの守 ツクシに乞えば ソヲハテ カゴに乞えども』25文
『ひめもすに 月澄む迄も 実を尽し 三年に指絵 ほぼ成りて 造り行い 治めしむ』25文
『先の御幸の 井堰みな 実心添えて 新田成す ツクシ三十二の 巡恵りて カゴシマに坐す』25文
はあれど 子を生まず 故に棄て置き ただ一人 連れてしばらく ここにあり ツクシの民を 思ふ計りぞ"』
25文
告ぐるツクシの ハテスミと オトタマ姫と ワニ 上り 西の宮より 山背に 到りて問えど』26文
ツクシより 使人 乞ふ故 カンタチを モノヌシとして ハテツミと 共に三十二を 治めしむ』27文
には キ・ミ睦まじく 八百日経り ツクシの十八と 四十五万 年経て治む 和日月27文
『先にツクシの カンタチは ソヲフナツの フトミミを ヤスに娶りて フキネ生む』27文
『後 諸共に 神となる オオモノヌシは フキネなり トヨツミヒコと 治めしむ』27文
クシミカタマと 若妻の サシ国別姫 諸共に 住ませては ツクシ治す』
27文
『言いて 神となる ヤスに納めて 祭る後 ツクシヲシカの 御言宣』27文
『後にクシナシ 神となる に乞われて 御使棄つ  故にツクシの 御幸乞ふ』27文
天君は ツクシに御幸 ムロツより オカメに召して ウドの浜』27文
ウツキネは ツクシに到り 田を肥し に継がふる 民を愛で 十八万治め』28文
タナコ姫 イフキト宮に 生む御子の 兄はイヨツヒコ トサツヒコ ウサツヒコ これ 御供に 行きてツクシの ウサに住む』
28
御祖天君 筑紫治す 十年治めて ひたる時 和君の璽を タケヒトに 授けアヒラの 神となる』
29文
『故にナガスネ 船止む オオモノヌシが 討たんとす タガの皇君は 驚きて 筑紫に下り 共に治す』29文
御祖 筑紫に 下るとき は持ちて 御鏡は オシクモ 八重垣は クシミカタマに 授け置き』30文
御祖 筑紫に ひたる時 尊の璽は タケヒトに 母タマヨリも 神となる 河合 八重垣は 別雷宮に 預け置く』30文
ナガスネヒコは 山崎に 川船拒む モノヌシが 討たんとすれば ヰツセ御子  恐れ多賀より 行く筑紫30文
昔 御言を受けて 遠国より 筑紫三十二も 山陰も 巡り治めて』31文
筑紫より 御幸を乞えば 御代りと 直り中臣 下らしむ 直りの 県 成る 三十二の主も 法を受く』
31文
『それより 山背も 筑紫 "直り" も 出雲にも 伊勢花山も 年毎に 纏る "カセフ"ぞ』32文
神主フリネ 神祝に 筑紫に行きて』34文
任那国 ソナカシチして 貢なす その道のりは 筑紫より 北へ二千延 海隔て 新羅の西南ぞ』34文
『"筑紫平けん" と 六年まで 高屋の宮に 御座します』38文
ヰモノ姫 クスコ内親王 妹背の神 祭る祝は 筑紫平け 姫 今年十四』38文

  

  

ツクシウマシノウド・ツクシウマシノハマ

→ 語義
  

尽し熟しの鵜戸。尽し熟しの浜。
ウド
は本来は「端・果て・外れ」などの意の普通名詞で、「浜・浦」と同義。
「果ての果ての果て」 という意で、「九州の南の果ての浜」 を表す。
  

天君は 西の宮より カメに乗り 尽しウマシの ウドに着き 筑紫あまねく 恵り回り 井堰・堤に 新田成す』25文
目無し交編み カモに入れ 歌札付けて も乗せ 帆上げ 艫綱 解き放つ 尽しウマシの 浜に着く』25文

  

  

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