日向高屋。
「タカヤ」は「皇の政殿・朝廷」の意で、仮の宮居の場合に特に言う。
景行のクマソ征伐の折、ここに仮宮しクマソ討伐の策を練る。
クマソ討伐の後も六年間ここに滞在し南九州を完全平定する。
★宮崎県西都市都於郡(トノゴオリ)黒貫に、黒貫(クロヌキ)寺という古寺がある。この寺の境内が、景行天皇の行宮跡と伝えられる。この黒貫の北隣の地名は高屋である。
★宮崎県宮崎市村角町橘尊浦、高屋(タカヤ)神社の東方の天子山は高屋宮の跡であるという。また鹿児島県肝属郡内之浦、高屋(タカヤ)神社とも言われる。
★高屋神社はホホデミの山陵伝承の他に、景行天皇の高屋行宮跡ともいわれている。都於郡城跡の近くにも高屋神社があり、道を隔てた黒貫寺にも景行天皇高屋行宮址がある。また内之浦町の高屋神社はもともと国見山山頂にあったといい、現在地の東南二十間ばかりのところにある天子山といわれるところは、景行天皇の御所であるという。地元の伝承では、もともとこの地はクマソタケルの居城があったところで、景行天皇がクマソ征伐した際、国見山の高屋陵を遥拝するために創建したともいわれている。
『十一月に到る 仮宮は 日向高屋ぞ』38文
『"筑紫平けん" と 六年まで 高屋の宮に 御座します』38文
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