ワケツチ

→ 語義
  

分土。別地。
「(川に)分けられる土地」の意で、カモ(賀茂)カアヒ(河合)の同義語。
狭義には下賀茂の区域であるカアヒ(河合)に対して、上賀茂の区域を指す。
 

朽木川 上り 山越え やや三日に ワケツチの北の ミツハメの 社に休む』26文
トヨタマは ミヅ社を出ず 明くる年 大上スヘラギ ワケツチの 葵・桂を 袖に掛け 宮に到れば 姫 迎ふ』26文

  

  

ワケツチヤマ

→ 語義
  

分土山。
=賀茂山。 上賀茂神社の北々西約2kmに位置する神山(コウヤマ)
  

★『日本輿地通志畿内部(五畿内志)』賀茂山。上賀茂東。一名「分土山」また「~山」。
★神山は現在でこそ「こうやま」と読まれますが、古くは「賀茂山」を称しており、神山も「かみやま」と読まれていたようです。 ただし、どの山を指して「賀茂山」としていたかは史料や時代により混同が見られます。
http://www.kyotocity.net/diary/2014/0228-kamigamo-koyama/
 
★ここに別雷神が降臨、天武天皇の御代 (678年) 現在の本殿に御鎮座になった。神山は賀茂信仰の原点であり、立ち入りが禁止されているようである。
■ワケツチ宮の起源はトヨタマ姫がこの山にニニキネを祭ったことに始まるようだ。
  

トヨタマは ワケツチ山に 喪 四十八 年の祭も 敬えなす』26文
カンミ孫 アメマヒが曾孫 アタネして ワケツチ山の 御祖神 三日祭らせて 仇を討つ』29文

  

  

ワケツチカミ

→ 語義

 
分土神。
トヨタマ姫が分土山に纏ったニニキネの神霊。 「賀茂の神」 と同義。

 
カモタケズミと イソヨリと 十三迄も 子なき故 ワケツチ神に 祈る夜の』27文
タマヨリは 喪祭なして  ただ一人 ワケツチ神に  また詣で 斎 捧ぐれば』27文
ウツロイが 疑ひ問わく "一人 ワケツチ神に 仕ふかや" 答え "然らず" また問わく "世に因むかや"』27文
ワカヤマクイが 申さくは "御使人ならで  来ぬ故は ワケツチ神を 常 祭る 召せば祭の 欠くる故なり"』27文

 

 

ワケツチヤマノミヲヤカミ

→ 語義
  

分土山の御祖神。
トヨタマ姫が分土山に纏ったニニキネの神霊。
  

奈良県宇陀郡榛原町大字高井字神定、伊豆 (イズ) 神社
  

カンミ孫 アメマヒが曾孫 アタネして ワケツチ山の 御祖神 三日祭らせて 仇を討つ』29文

  

  

ワケツチミヤ

→ 語義

  
分土宮。別雷宮。
当初は神山 (ワケツチ山) にあった。ワケイカツチ神 (ニニキネ) を祭る。
トヨタマ姫
がこの山にニニキネを纏ったことが起源のようだ。
垂仁天皇
オオカモツミをして現在地に遷したか。 
ウガヤ
から三種八重垣剣を預かるタマヨリ姫は、世を去る前に、ここに八重垣剣を預ける。
  

京都府京都市北区上賀茂本山、賀茂別雷 (カモワケイカヅチ) 神社
  

『我が心 先には オシクモに また八重垣は ワニヒコに 授くをが 預かりて ワケツチ宮に 納め置く』27文
御祖 筑紫に ひたる時 尊の璽は タケヒトに 母タマヨリも 神となる 河合 八重垣は 別雷宮に 預け置く』30文
サアヱ 日継ぎと アメトミは 別雷宮の 持ち アタネ 持ち上る』30文
『十一月十五日 御祖 渡坐し  翌十六日 ワケイカツチの 宮移し オオタタネコを 差使和幣納むる』37文
『三日貴船より 賀茂に行き ワケイカツチの 大神に 幣 納め』37文

  

  

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