アシハラ ・トヨアシハラ・アシハラクニ・ナカクニ

→ あしはらくになかくにとよあしはら  

葦原(朝原)。豊葦原(響朝原)。葦原国(朝原国)。中国。
中央の国。中央政府の国。朝廷国。 

狭義にはアワ国ヤス国ヤスカワヤスウラヤスヲウミ などと同じ。
広義には、ヒタカミ (東北)根国 (北陸)サホコチタル (中国) を 除く本州、ということになる。
日本中央政府の直轄本領。

二尊は繁茂する葦 (政治不在のため土地や民心が荒廃していた状況を意味する) を引き抜いて田 を拓き、ここを国家再生の拠点とする。二尊時代の葦原中国の首都がオキツボ

地理的な位置と君が坐す国ということから「ナカクニ(中国)」であり、また二尊がアワ歌で民 の言葉を直したことから「アワクニ(和国)」ともいう。 さらにマトの教え(和の教え)が通って「ヤ マト(和)」となる。
  

『五音七字道の アワ歌を 上 二十四声 イサナギと 下 二十四声 イ サナミと 歌ひ連ねて 教ゆれば』5文
『歌に音声の 道 開け 民の言葉の 調えば 中国の名も アワ国や』5文

ミソギに民の 調ひて 弥和通る 葦引きの 千五百の生田の 瑞穂成 る』5文
和の教えに かか んして のん和国は  てん大和5文
引きて開るき 葦原の 歌も悟れよ 和道の 通らぬ 前の 葦引きの 枕言葉は 歌の種』5文
『この守もまた 忠 成らず タカテル姫を 娶りつつ 葦 原国を 乗らんとて 八年 経る迄 帰らねば』10文
『昔 中国 ウケモチの  尊が食菜を 天に乞えば 日・夜潤種を 地に下す』15文

『むべなり  四方巡り 培ふ道に 糧 増やし 暇あらせで 地 恵り 万の葦原も 瑞穂なる』17文
『培ふば 惨の葦原も 瑞穂成る 民と成せ臣 臣と成れ民』17文
『"自らが 葦原国を 治めんと 装ふ間に民 集まりて ひた留む故 テルヒコを 下すべきや" と 伺えば』20文
中国 拒まんを  防ぐ供守 カグヤマは ヤマズミの二子 フ トタマは ミムスビの三子』20文
和の尊 嗣無く 政 尽きんとす 故イサナギに 宣給ふは "豊葦原の  千五百秋 瑞穂の 田あり』23文
『汝 行き 領すべし" とて 経と矛と 授け賜る』23文
ヲ シテ 矛は逆矛 二尊は これを用ひて 葦原に  オノコロを得て ここに下り』
23文
ヤヒロの殿と 中柱 立てて回れば[恵れば] 央州 通るまことの 調の教 え
23文
千五百の葦も みな抜きて 田となし民も 賑えば ヰヤマト通る ヤマト国』23文
『この故は 錦織は 歯八百 一歯に 四垂り 三千二百垂 これ葦原の トヨの数』23文
『六世の嗣 オモタルの神 カシコネと 八方を恵りて 民を治す ヲウミ安曇の 中柱ミ2文
『東はヤマト ヒタカ ミも 西はツクシの 葦原も  南 阿波・ソサ 北はの  ヤマト サホコの チタルまで』ミ2文
『五・七 分けて 四十八筋  遂に音声の 道 開きて 成るアワ国を  胞衣として ヤマト八州を 生みたまふ』ミ和 字
中国 ミカサ山 に語れば  調ひて 陽陰に伺ふ この由も おかみ喜ぶ 御言宣』ミ逸文
繁の原は の 伏しみの 魂奇を 編みの恵みの 都 建つなり』フ114

  

  

アシハラノウタ

→ 語義

  
葦原の歌。
葦原国の民の言葉を直した、二尊の「地のアワ歌」。
  

引きて開るき 葦原の 歌も悟れよ 和道の 通らぬ 前の 葦引きの 枕言葉は 歌の種』5文
二尊の 天のアワ歌に  地を生み 地のアワ歌に 音声 成る』ミ1文
陽陰の歌 カダカキ打 ちて 率き歌ふ 自づと声も 明らかに』1文
二尊の オキツボに居て 国 生めど 民の言葉の 悉 曇り これ 直さんと 考えて』5文
アワ歌を 上 二十四声 イサナギと 下 二十四声 イ サナミと 歌い連ねて 教ゆれば』5文
歌に音声の 道 開け 民の言葉の 調えば 中国の名も アワ国や』5文
『五・七 分けて 四十八筋  遂に音声の 道 開きて 成るアワ国を  胞衣として ヤマト八州を 生みたまふ』ミ和 字

  

  

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