■中身は異なるが「天地の歌」という名前はかなり後まで残っていたようである。
【天地の歌】アメツチノウタ −広辞苑より−
平安初期の手習歌詞の一。「たゐにの歌」「いろは歌」に先行。
「あめ(天)つち(地)ほし(星)そら(空)やま(山)かは(川)みね(峰)たに(谷)くも(雲)きり(霧)むろ(室)こけ(苔)ひと(人)いぬ(犬)うへ(上)すゑ(末)ゆわ(硫黄)さる(猿)おふせよ(生ふせよ)えのきのえたを(榎の枝を)なれゐて(馴れ居て)」
のように、かな四十八字を重複しないように綴ったもの。源順集にある「あめつちの歌四十八首」は、歌の首尾にこの仮名一字ずつを詠み込んである。平安初期の音節数を示し、ア行のエとヤ行のエとの区別を残している。
『二尊の 天のアワ歌に 国を生み 地のアワ歌に 音声
和る』ミ1文
『五歳冬 男は袴着る 女は被衣 言葉を直す アワ歌を 常に教えて』1文
『和の歌 カダカキ打ちて 率き歌ふ 自づと声も 明らかに』1文
『明らす扇は 十二葉なり 檜扇の羽は 穢祓ふ 陽陰の四十八ぞ また禊ふ(三十二) 道な忘れそ』1文
『天のアワ歌 "あなにゑや うましおとめに あいぬ"
時 女尊 応えて "わなにやし うましをとこに あひき"
とぞ』3文
『アワ歌に 治むハラミの 宮に居て すでに八州の 国
生みて "如何んぞ君を 生まん" とて』3文
『二尊の オキツボに居て 国
生めど 民の言葉の 悉 曇り これ 直さんと 考えて』5文
『五音七字道の アワ歌を 上
二十四声 イサナギと 下
二十四声 イサナミと 歌ひ連ねて 教ゆれば』5文
『歌に音声の 道
開け 民の言葉の 調えば 中国の名も アワ国や』5文
『ソアサ国 サクナギの子の イヨツヒコ 歌に言葉を 習わせて 二名を求む アワツヒコ』5文
『五筋琴は 五方に響く 音を分けて 地のアワ歌を 教ゆれば 言の根通る 濯ぎ打ち』9文
『七月 臓・腎 八月
腑
九月は見目 シム十四経 声の四十八手 アワの神
』14文
『九十六月経て 生み給ふ アマテル神ぞ ハタレマの 障れど帯に 調ひて 四十八備わる その例』16文
『下りて共に とつぎして 御柱回り アワ歌を 詠みてオノコロ 万物を 生みしは』18文
『それ "ヤヱ" は 昔 二尊 国領らす 物言ふ道の アワ歌の "ア"
は天と父 "ワ" は母ぞ "ヤ" は我が身なり』23文
『この "ア・ワ・ヤ" 咽より響く 埴の声 国を領らする 種なれば』23文
『大御神 神言宣は "陽陰の数 経て喪を脱ぎて 政聞く 年回る日は 喪に一日 その身柱に 祭るべし"』26文
『タケヒの曰く "歌の殊" また問ふ
"彼は アワならず 何の歌ぞや" また曰く』39文
『神宣四十八 分け染めて 吉備の家臣 持ち並ぶ 奉物
雲に 懸梯と 霞に千鳥』40文
『五・七 分けて 四十八筋 ついに音声の 道
開きて 成るアワ国を 胞衣として ヤマト八州を 生みたまふ』ミ和字
『アワ歌 は "八の形に 六乗り"の 常の諭しを くり返してよ』ミ和字
『陽陰道の 基の心を 連々と 思ん見てれば アメ宣の 言葉の端は '開華満'』ミ和字
『"央照れせ得つる" 直言の 歌に導き 生む国の 全く徹れば "直斎繁"』ミ和字
『和の歌 我も歌えば 諸人の 和を生まんとて 札
染めて 諭し教えん 和の道も 磨がねば曇る』ミ和字
『浮に向くは 陽陰の起りの 声直ぎ(アワ歌)を 親つめ
下せば 文に赴く』フ038
陽陰の神祭。
大嘗会に同じ。
『十一月に 天ユキ・地スキの 宮 造り 元明 陽陰の 神祭 タネコ・クシタマ 左右にあり 神饌供え祭り 申す臣』30文
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