雲に懸橋、霞に千鳥。
ヤマトタケの母・イナヒヲイラツ姫が罷った時、その御送りはアツタ法に拠ったが、奉物として『雲に懸橋』と『霞に千鳥』を埋めた。これはヤマトタケの辞世の句である『熱治宣』の内容に因む。
また『雲に懸橋』はヤマトタケの木曾山中での難儀に関係があるようだ。
しかしこれらをどのような物で表現したのか想像しづらい。絵画あるいはレリーフみたいなものだったか。
『ヤマトタケ 信濃・木曽方は 山 高く 谷
微かにて 葛折 懸橋 伝ひ 馬 行かず 雲
分け歩み』39文
『辞む時 東西の使人と 父母に 仕え満てねど サコクシロ 神の八手より 道
受けて 生れ 楽しむ 還さにも 誘い ちどる 懸梯を 登り
霞の 楽しみを 雲居に待つと 人に答えん』40文
『ハラミより 心細くも 懸梯を 凌ぎ上れば ミヤツ姫 寝巻のままに 出で迎ふ』40文
『神宣四十八 分け染めて 吉備の家臣 持ち並ぶ 奉物
雲に 懸梯と 霞に千鳥』40文
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