タケヒトの斎名を奉る。
ウガヤの筑紫巡幸の間は幼いタケヒトの守役。
ウガヤが罷るとき、ウガヤからタケヒトの補佐役として『国を治らする百の文』を賜り、そのままタケヒトと共にミヤサキ宮に居つく。
タケヒトの東征に宇佐まで随伴、そこでウサコ姫を娶り、筑紫の勅使となる。
東征の少し前に父オシクモが罷ったので枚岡で喪を治め、四神を祭る。
オシクモの所領地の河内は、草加のアウエモロに治めさせる。
タケヒトが大和を制圧するとツクシから上ってくる。
神武の鏡臣 (左大臣)。
神武の大嘗会では、クシミカタマと共にミケナヘマツリモフスヲミ(御食供国政申臣)
となる。
直り中臣守の家名を神武より賜る。中臣氏の祖。
カヌナカワミミのとき勅使人としてがツクシを治めるが、タネコが行った直りの祓
(カセフの纏り)
によりトヨの国にナオリのアガタができている。
187歳(上鈴158年、綏靖25年)で罷る。三笠山に葬られ、春日の殿に祭られる。
┌フツヌシ ??┤ └アサカ姫┐ ├─アマノコヤネ─┐ ツハヤムスビ─??─ヰチヂ─┘ ├オシクモ┬アメタネコ─ウサマロ ・・・ ・・・ ・・・オオカシマ │ │ ├ヒタチ ├(アウヱモロ) トヨケ─??─ヲバシリ─タケミカツチ─ヒメ──┘ │ └(タケチノコリ)
*アウヱモロとタケチノコリについては推定。
大阪市東住吉区住道矢田、中臣須牟地
(ナカトミスムチ) 神社
大分県大分郡庄内町蘇野、直入中臣
(ナオリナカトミ) 神社
京都府京丹後市久美浜町新町、神谷
(カミタニ) 神社
『時にタネコが "タケヒト"と 斎名ちりばめ 奉る』27文
『タネコは御子の 大御守 御子タケヒトは 歳五つ またイワクラは 宮内の 局預り』27文
『御子タケヒトと 守タネコ タガより出でて 西の宮 大ワニ乗りて ウドの浜 ミヤサキ宮に 到ります』27文
『イツセは子無し タケヒトは 万の御祖なり タネコらも ヱト六十内に 妻入れて 代嗣を成せよ』27文
『タケヒトは 歳十五なれば 我が代わり タネコが助け 治むべし』27文
『白矢のヲシテ タケヒトに 国を領らする 百の文 タネコに譲る』27文
『アマノタネコは この文を ミカサに籠めて 君の供 ナガスネヒコは その蔵を 密かに開けて 写し盗る』28文
『蔵人見つけて これを告ぐ タネコ驚き 君に告ぐ 差使遣れば 御子答え "蔵人が業は 我
知らず"』28文
『君 宮崎に タネコらと 政
執る故 静かなり』29文
『宇佐に到れば ウサツヒコ "人あがり屋"
に 御饗なす 膳出に寄る ウサコ姫 タネコが妻と 父に問ひ 筑紫の大使と』29文
『統べ治まれば 筑紫より 上るタネコと モノヌシに "都
移さん 地 見よ"と』29文
『"橿原
好し" と 申す時 君も思いは 同じくと アメトミをして 宮造り』29文
『筑紫のタネコ 喪を治め 四神祭りて アウヱモロ 河内を兼ねて 治めしむ』30文
『アマノタネコは 上の代の 振言記し 奉る 七草みそも ドンド火も 神現り粥も 行われ』30文
『君 高御座 褥九重 アマノタネコは 褥三重 クシミカタマは 褥二重 日の臣歌ふ 都鳥 三重下りて聞く』30文
『日の臣は 璽の御筥
奉る アタネは鏡 アメトミは 八重垣持ちて アメタネコ クシミカタマに 授くなり』30文
『十一月に 天ユキ・地スキの 宮
造り 元明 陽陰の 神祭 タネコ・クシタマ 左右にあり 神饌供え祭り 申す臣』30文
『アメタネコ クシミカタマと ヤスカワの 仮屋に祈り 時
疫病 直ると稲の 痛み更る 直りの祓 行えば』30文
『タネコも上祖 ワカヒコが 直き明暗見の 殊
継げば "直り中臣 尊"
賜ふ 共に継ぐべし』30文
『アメタネコ クシネ・ウサマロ 若宮に 送り議れば タギシ御子 一人政を 執らんとす』31文
『筑紫より 御幸を乞えば 御代りと 直り中臣 下らしむ 豊の直りの 県
成る 三十二の主も 法を受く』31文
『先に五月雨 六十日降り 稲苗みもちに 傷む故 付くる御使人 居直りの祓
"カセフの纏り" なす』31文
『主ら努めて 押草の 守りに苗も よみがえり みあつく成れば 賑はひて 故に
"果実の 祭" なす』31文
『アメタネコ更る 百八十七歳 骸
納む 御笠山 春日の殿に 合ひ祭る "ミカサ"の姓 ウサマロに 賜ひて讃ゆ ミカサ臣』31文
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