ミケナヘマツリモフスヲミ・クニマツリミケナヘモフスヲミ・マツリノトミ
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語義
- 神饌供え祭り申す臣。
神武の大嘗会の時、アメタネコとクシミカタマがこの臣となり、ユキ・スキの宮に神饌を供え、天地の神を祭る。この臣は一時的なもので常設の官職ではない。
『十一月に 天ユキ・地スキの 宮
造り 元明 陽陰の 神祭 タネコ・クシタマ 左右にあり 神饌供え祭り 申す臣』30文
- 国政り神饌供え申す臣。政の臣。 =ケクニ臣(食国臣)
綏靖天皇のウマシマチが初。これは常設の独立した官職。
これは「鏡の臣(左臣)」と「剣の臣(右臣)」の職掌を合せた強大な権限を持つ官職であり、アマテルの確立した三権の分立の原則はここに失われる。さらに安寧天皇の頃からは鏡の臣、剣の臣は完全に形骸化し、ケクニ臣一人が国政を掌握した様だ。
★『旧事』物部連等の先祖の宇摩志麻治命は、大神君(おおみわのきみ)
の先祖の天日方奇日方命(あめのみかたくしひかたのみこと)
と共に食国政申大夫(おすくにのまつりごともうすまえつきみ)
となった。
★『旧事』申食國政大夫(ケクニノマツリゴトマウスウナキミ)。
『鏡の臣は ウサマロと アタツクシネは モノヌシと 御子の両羽ぞ 国政り 神饌供え申す ヲモチ君 共に助けよ』31文
『また天君は ヒコユキを 政の臣の 輔となす』31文
『タケイイカツと イツモシコ なるケクニ臣 オオネ臣 なる斎主』31文
『葛城腋上 池心 都
移して 初年に イツシココロを ケクニ臣』31文
『三十一年 内宮の兄 オキツヨソ なるケクニ臣』31文
『七年二月二日 ウツシコメ 内宮となる ウツシコヲ なるケクニ臣』32文
『田に額づけば よみがえる やはり若やぎ 瑞穂充つ 民
糧増えて 賑えば "大食主の 祭臣[政臣]" 名付く』
『瑞籬の 三十九年三月三日 御言宣 ケクニの大臣 タケミクラ 斎主とし』36文
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