ナメ・ナメコト・ナヘコト・ナヱコト

→ 語義
  

嘗。嘗事。

1.合せ。行い。行事。
2.なす事。仕事。業。
3.纏り。治め。まつりごと。政治。
4.からだの治め。医療。
  

『賜ふヨロギは 嘗事の 千草万木の 名を立たす この宮 領れば 万のため 病めるを癒やす 道を分け』10文
ツキスミの シガの尊が 兄弟の神 "" よりの宣の 故を問ふ 故にトヨケの "嘗事" ぞ』ミ7文
『まだ空寒く 潤を得ず 弥々尽くる』ミ7文
『一年これ "ヱ・ト" に侍る 三十の守 日々に替りて 六十日守る 六還の嘗事ミ7文
ウツロヰの 年越瀬前 大晦日 初六日・十四日 五月の三十日 総べ一年守る 嘗事ぞこれ』ミ7文

  

  

オオナメゴト・ウナメゴト

→ 語義
  

大嘗事。
和つ君 (中央政府の君) が行う嘗事 (政・祭)大政。  =万の御機の政事
和つ君に代わって、臣がこれを行う場合に特に言う。
  

東の君と  受けて 大嘗事も 真榊の 六万に継ぎて』4文
『よりて七代の 大嘗事 タカキネ ヤスの 今宮に タガ若宮の 代の殿10文

  

  

ニイナメヱ・サナメヱ・ウイナメヱ

→ 語義
  

新嘗会。初嘗会。 
一年の最初の行事。冬至の日(陰暦の11月)に行われた。
埴の社田畑神(人の生活を守る神霊)トの神を祭る。

■太陰暦は立春を一年の始まりとするが、太陽暦では冬至を含む日 (太陰暦の11月) を一年の始まりとしていたものと思われる。現在の太陽暦での冬至は12月22日近辺だが、元日は、ほぼ冬至といって良いだろう。日本は太古から太陽暦と太陰暦を併用していたと思われる。おそらく日本だけでなく世界中そうだったと思う。月の満ち欠けを基礎とした太陰暦では、たとえ閏月を挿入したとしても3年で15日の季節とのずれが生じ、農業などには支障をきたすからだ。したがってホツマでいう『』とは太陽暦と太陰暦とを整合させるためのものだったと推測している。
■英語で11月を "November" というが、"Nov" はラテン語で、英語の "New" と同じ。

  
『久方の 光 生れます 初嘗会  天ユキ地スキに 付け祭り 御子 養さんと 二尊の 実心つくす 天のハラ4文
ソサノヲ仕業 あぢきなく 罵・頻捲き 穢汚放ち 祈らす御衣の 新嘗の 神御衣織れば 殿穢す』7文
錦織は ユキスキ宮の 大嘗の 会の時の衣ぞ 綾織は 埴の社の 新嘗会に 優き祈る衣ぞ』23文
天尊と代々 皇尊 ユキスキの宮 山海と ト尊霊は 埴スキの 嘗会に付けて 人草の 祝 祈るなり
27文
『十一月の末の 弓張に 神乗り粥は 黒豆と 大麦小豆と 七菜の米 粥に炊ぎて ウケミタマ 五柱祭り』38文
『この初嘗は 今の宣 九星 纏りて 陽回りに 黒豆飯の 力添ふ』ミ7文
『"" の神をして 初嘗会ミ9文
『垂
(霜月)に祝うは 陽回り 備う 御祭(新嘗祭) 栄ゆりの胞衣の 神ぞ斎みける』フ117

  

  

オオナメヱ・ウナメヱ・ヲヲンマツリ・ヲヲマツリ

→ 語義
  

大嘗会。大御祭。ユキスキの大御祭。大祭。
天皇が即位後初めて行う新嘗祭で、即位の式典を兼ねる場合が多い。=陽陰の神祭
天ユキの宮アメトコタチ九星地スキの宮ウマシアシガイヒコチの十一神を祭る。
この祭は、和つ日月 (中央政府の君) に就任することを、天地に知らせしめるという意味を持つ。
  

九星を祭るユキの宮 アメトコタチと スキ殿にウマシアシガイヒコチ神 併せ祭れば名もタカマ』ミ6文
錦織は ユキスキ宮の 大嘗の 会の時の衣ぞ 綾織は 埴の社の 新嘗会に 優き祈る衣ぞ』23文
『帰るニハリに ユキスキの 宮に祈りの 大嘗会 三種の受けを 天に応え に納むる』24文
『この秋 瑞穂 力なす 故 熟果留の 御衣となす 紋に果を留め 織る 大嘗祭る 御衣はこれ』24文
ミヅホには ニハリの例 ユキスキの 大御祭の 大嘗会 三種の受けを 天に応え』26文
受けて 使 去る時に 御言宣 "冬至る日に 大祭"27文
天尊と代々 皇尊 ユキスキの宮 山海と ト尊霊は 埴スキの 嘗会に付けて 人草の 祝 祈るなり
27文
十一月に 天ユキ地スキの 宮 造り 元明 陽陰の 神祭 タネコクシタマ 左右にあり 神饌供え祭り 申す臣30文

  

  

【ホツマツタヱ解読ガイド】 【ミカサフミ解読ガイド】 【ふとまに解読ガイド】
【やまとことばのみちのく】 【にしのことばのみちのく】 【あめなるみち】
【ホツマツタエのおもしろ記事】