ホツマツタヱ・ホツマツタエ・ホツマフミ

→ 語義
  

秀真伝。秀真文。
ホツマを伝えるもの。 
景行天皇の命により三輪季聡 (オオタタネコ) が編纂。
大田田根子に『秀真伝』を、大鹿島に『三笠文』の編纂を命じた時、景行天皇自らも『橘御機』を編んだと言い、これはヤマトタケの遺言による事業だったという。
オオタタネコの先祖である大物主クシミカタマが1〜28文を編み、29〜40文をオオタタネコが編む。

  

返りの 詣で物 ホツマツタヱの 四十文を 編み奉り 君が治の 末の例と ならんかと 畏れみながら つぼめ置く』
『世に著せる その文は ホツマツタヱに 勝る無し 今 世に残る 家々の 文もそれぞれ 変りある』
『我が上の押す ミカサ文 ホツマツタエと 割瓜 合わす如くの 心なり』
『代々の掟と なる文は ホツマツタエと 思ふ故 深き心を 添え入れて 上げ奉る 末にヲシテぞ』
かかんなす 春のひとしく 巡り来て 磯の真砂は 岩となる 弥々のんてんの ホツマ文かな』
『共に喪に入り 四十八後 阿波の県に (ツミハの骸を) 納む後 自ら記し この文を に置くは 何時のためか』28文

『この時に ミワタタネコ 御代の文 編みて上代の ほつま道と 四十文成して』40文
クニナツに 示せば互ひ ミカサ文 見映え示して あい語り 新たに染めて 二家より 上げ奉る』40文
この文は 昔モノヌシ 御言宣  受けて作りて 阿波宮に 入れ置く後の 代々の文 まちまちなれば』40文
『見ん人も 予めにて な謗りそ 百千試み 遥かなる 奥の神道へ まさに入るべし』40文
『時 上鈴 八百四十三年の 秋天日 これ奉る ミワの臣 スヱトシ畏れ 謹みて染む』40文
『君は "御機"を 染めませば も "ミカサの "を染む』ミ序
オオタタネコも "ホツマ文" 染め捧ぐれば 三種法 具ふ宝と 御言宣』ミ序
『然れど道も 諸家に 造作 違えば ホツマ文 著す時に  アツタ神ミ序
『告げてには "橘御機" 押させ給えば 鏡臣 麓社の  奉ぐ』ミ序
も上ぐれば 御言宣 "三種の道の 具わりて 幸得る今" と 宣給えば 各々上祖 祭るべし』ミ序

  

  

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