常根津日子命。
シギヒコ(安寧天皇) とイトヰ姫の御子。斎名:イロキネ。
カヌナカワミミ┐ ├─────タマテ(安寧天皇) ミスズヨリ姫─┘ ┃ ┌(3)オオヤマトヒコスキトモ ┃ │ (懿徳天皇) タケチ県主アタツクシネ──ヌナソ姫(内宮)──────┴(4)クシトモセ ┃ シギ県主ハエ───────カハツ姫(典侍)───────(2)シギツヒコ ┃ カスガ県主オホマ─────イトヰ姫(長橋)───────(1)トコネツヒコ →大典侍
★『古事記』常根津日子伊呂泥命(とこねつひこいろねのみこと)
★福岡県博多市志賀島の畑で発見された金印の側面に 「常根津日子命(とこねつひこのみこと)」の銘が刻まれている。 常根津日子命は第3代安寧天皇皇子で、「常根津日子命墓、丙寅年三月十六日薨、御年四十七歳」の墓碑名が、佐賀との県境に近い福岡県糸島郡二丈町に所在する一貴山銚子塚古墳近傍碑石から得られている。常根津日子命の生存年は墓碑名等から西暦20〜66年と算定している。
■安寧天皇の立太子が上鈴158年、即位が上鈴170年である。上鈴58年=神武元年=660
B.C. を元に計算すると、トコネツヒコはこの間、つまり560
B.C. 〜 548 B.C.
に生まれていると推定できる。『後漢書東夷伝』が言う、後漢の光武帝が「倭奴国」に金印を与えたのは建武中元二年(57
A.D.)だから、トコネツヒコの在世時代とは400年以上の開きがある。
『オオマがイトヰ 長橋に 生む御子 斎名 イロキネの トコネツヒコぞ 故 内を 大典侍となす』31文
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