吉野水分神社
奈良県吉野郡吉野町吉野山字子守。
祭神:天之水分神
御主神は天之水分大神で俗に子守明神とも申されます。古くより子守宮といひ伝へ神名帳などにも、吉野水分神社大月次 新甞祭水神今伝
子守明神とありて、世人はこの神社を出生育養即ち幼児守護の神として崇拝しました。
★昔は、「芳野水分峯神」として吉野山山頂青根ヶ峯(857.9m)に鎮まり、頂上から1km西北の山腹の字ヒロノに旧拝所があったといわれている。後に現在地に遷座した。この神が、奥の金峯神社、中にこの水分神社、下手には勝手神社と三社に分かれて鎮座した。
■ミスズヨリ姫は、菊の花見に磯城県主クロハヤの家に行くが、急に産気付いて、三日間苦しむ。この時ある夫婦がやって来て、無事にタマテミを取り上げた。夫婦の姓を問うと、男はコモリ、女はカツテだと言う。カヌナカワミミはこの夫婦に
"若宮の大人" "守の臣"
という名を賜り、コモリ・カツテの二神を吉野に祭ったという。
■社名・祭神の「みくまり(水分)」は「みこもり(御子守)」が訛ったものだろう。所在地は「子守」である。
能の『嵐山』に、これに因んだ話がある。 http//www.tessen.org/dictionary/explain/arashiyama
帝の臣下が勅命を受けて吉野から嵐山に移された桜の花を見にやってくる。そこで花守の老人夫婦に出会う。花の下を清め、礼拝する老人に勅使が尋ねると、この花が神木であり、吉野から移植したため吉野山の神が姿を現すのだと答える。さらに老人は、神木の花に姿を現す子守明神と勝手明神という夫婦の神が自分たちであることを告げ、老夫婦は南方へと消えてしまう。やがて子守と勝手の男女の神が現れ、桜の花を喜び、舞を舞う。さらに蔵王権現が現れ、蔵王・子守・勝手の三体は一体分身であると語り、栄え行く世のめでたさを讃える。
『昔 菊の 花見とて ミスズヨリ姫 カワマタ姫 磯城クロハヤが 館に行き 御子生まんとし 三日病める』31文
『時 夫婦来て これを乞ふ 君に申して タマテ御子 抱え取り上げ 易く生む』31文
『磯城が家 朝日 輝けば "タマテ"
が御名を 進め言う 姓を問えば 男はコモリ 女はカツテ彦』31文
『賜ふ名は "若宮の大人" "守の臣" コモリ・カツテの 二神を 吉野に纏り』31文
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