久佐奈岐神社 (東久佐奈岐神社)
静岡県静岡市清水区山切字宮平。
祭神:日本武尊 配 弟橘姫命、吉備武彦命、大伴武日連命、膳夫七掬胸脛命
庵原川流域は古代には廬原の国と呼ばれ、その政治的中心となったのが、庵原古墳群の立地する丘陵に囲まれたこの平野であります。当社は人皇第十二代景行天皇の時代(西暦110年、約1884年前)に詔勅により皇子日本武尊が東征の途中この地に本宮を設けたとされる旧蹟の地にあります。創立年代は古くして不詳ですが、東征の副将軍として活躍した、吉備武彦命が後に其の功績により廬原の国を賜り、尊の縁り深いこの地に社殿を造営し日本武尊を祀ったのが創祀とされ、其の後お供として東征に随行した姫、弟橘媛命を初め諸神を合したものと考えられております。
『延喜式神名帳』に「駿河国廬原郡 久佐奈岐神社」と記載され、小社に列している。同じく式内社の有度郡・草薙神社(現 清水区草薙)も同じ社名で同じく日本武尊を祀ることから、区別のために当社は江戸時代まで「東久佐奈岐神社」と称していた。明治6年に郷社に列し、元の久佐奈岐神社の社名に復した。
草薙神社
静岡県静岡市清水区草薙。
祭神:日本武尊
日本神話における日本武尊の東征のとき、この地の国造が謀って日本武尊のいる野原に火を放ち、日本武尊は天叢雲剣で周囲の草を薙ぎ向火を放って難を逃れたという地であると伝える。
景行天皇53年、天皇は日本武尊の勲功の地を尋ね、同年9月20日、当地に日本武尊を祀る社を建立し、神体として草薙剣を奉納したと伝える。草薙剣は朱雀元年、天武天皇の勅命により熱田神宮に奉祀された。延喜式神名帳には「駿河国有度郡
草薙神社」と記載され、小社に列している。当初は現在地の西の東海道に面した天皇原に鎮座していたが、葦毛の馬に乗って社前を通ろうとすると必ず落馬したといい、平安時代に現在地に遷座した。
同区庵原の久佐奈岐神社(こちらも式内社)も当社と同様の由緒を伝え、江戸時代までは当社に対して「東久佐奈岐神社」と称していた。
参照:
静岡県静岡市清水区草薙、草薙(クサナギ)神社
愛知県名古屋市熱田区神宮、熱田(アツタ)神宮
大阪市鶴見区放出東3丁目、阿遅速雄(アジハヤオ)神社
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