オオカシマの枝姓でカトリ宮の主と思われる。
上総に上陸したヤマトタケ軍をオオカシマと共に出迎える。
ヒタカミミチノク降服後に褒美として御衣を賜る。
ヤマトタケの頃、すでにホツマはヱミシの勢力圏であり、朝廷に敵対していたが、カシマ宮、カトリ宮、イキス宮のあるこの地域だけは皇軍への忠義を守っていたのだろう。
景行天皇がヤマトタケの足跡を偲んで上総に御幸した折、トキヒコは鹿島の神楽シシについて天皇に説明している。
★『from 神紋と社家の姓氏』 香取神宮の大宮司は香取氏を称していた。香取大系図によれば、香取氏は神宮祭神である経津主命の子苗益命を祖とする、すなわち香取神経津主命の神裔である。豊佐登のとき香取連を賜り、文武朝期、雄足が香取社大祭を行っている。その曾孫五百島は大中臣氏から養子を迎えた。以後、香取氏は香取姓を改めて中臣姓を称するようになった。
『ヤマトタケ 上総に入れば 榊枝に 鏡を掛けて 向かひます』39文
『カトリトキヒコ ヒデヒコと イキスオトヒコ 予て待つ オオカシマより 御饗なす』39文
『南は常陸 上総・安房 ミカサカシマに 賜りて カシマヒデヒコ トキヒコも オトヒコ三人
御衣賜ふ』39文
『姦神楽の 獣舞を 問えばトキヒコ "これ昔 妙に渡りて 騒ばむを 辻君執りて 立て全つる"』40文
『君 楽しみの 神楽獣 八万鹿島に ある形 "障り無かれ"
と 玩ぶ 猿治の尊の 名にし負ふ』40文
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