来田見邑。
大分県竹田市久住町大字栢木都野。
景行のクマソ討伐の折、北西が窟と直入禰疑野の五地蜘蛛によって進めなくなり、ここに仮宮を造る。
大分県竹田市久住町大字仏原、宮処野
(ミヤコノ) 神社
★『豊後風土記』宮処野、球覃(クタミ) の郷に在る野なり。天皇土蜘蛛を征伐たむとしたまいし時、仮宮をこの野に起てたまひき。
★久住町は古くは球覃郷(くたみごう) と、後には朽綱郷(くたみごう)と呼ばれていたが、鎌倉期以降は久住・白丹は南山城主志賀氏の統治下に、都野は山野城主朽網氏の統治下にあった。
『ここに皇 進み得ず 来田見村の 仮宮に 議りて曰く "諸 討たば 蜘蛛ら恐れて 隠れん" と』38文
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