的村 (食葉村)。
景行はクマソ討伐の帰りに寄る。 現:福岡県浮羽(うきは)
町。
この地名は、皿のことをウクハ(食葉)、ヰハ(飯葉)
と呼ぶことに由来する。
昔、陽陰御子(神武)がこの地に御幸して食事した時、膳出が皿を忘れたことがあった。これはめでたい珍事であるとして、「ウクハを忘れた場所」を「ウクハ」「イクハ」に縮めて地名としたという。
景行天皇がこの地を訪れた時、村長はわざとこの珍事を再演し、由来を説明している。
●『書紀』的邑(いくはのむら)。八月、到的邑而進食みをし。是日、膳夫等遺盞。故時人號其忘盞處曰浮羽。今謂的者、訛也。昔筑紫俗號盞曰浮羽。
『八月に到る イクハ村 御食進む日に 膳出侍 御皿忘れる 長
曰く』38文
『"昔 陽陰御子 巡幸りの日 ここに御食なし 膳方が 食瓮忘れり』
『国言葉 御皿を食瓮 飯瓮もこれ かかる愛でたき 例しなり"』38文
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