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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第126回 [2024.2.29]
第二四巻 コヱ国 ハラミ山の文 (1)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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こゑくにはらみやまのあや (その1)
コヱ国 ハラミ山の文 https://gejirin.com/hotuma24.html
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こゑくにはらみやまのあや
そもそもに みまこににきね にはりみや
つくはにをさむ としすてに みすすふちゐそ つらつらと
おもせはたみの ふゆるほと たはまさぬゆえ かてたらす
―――――――――――――――――――――――――――――
コヱ国 ハラミ山の文
そもそもに 御孫ニニキネ ニハリ宮
ツクバに治む 年すでに 三鈴二千五十 つらつらと
思せば 「民の 増ゆる程 田は増さぬゆえ 糧 足らず」
―――――――――――――――――――――――――――――
■コヱ国 (こゑくに) ■ハラミ山 (はらみやま)
本文中で説明します。
■そもそも
ソモは ソム(初む)の名詞形で、「始まり・起こり・元」
を意味します。
ですからソモソモは 「はじめはじめ・もともと」
と同義です。
■ニハリ宮 (にはりみや)
ニニキネがツクバ山の麓に建設した最初の宮の名です。
我も殊 立てんと四方を 巡る内 良き野を得たり
ここに居て 治を開かんと まず立つる 名もニハリ宮 〈ホ21-1〉
■ツクバに治む年 (つくばにをさむとし)
「ツクバの地域に治める年数」 という意です。“ツクバ”
の名は ツクバの神
に由来します。
ニニキネはニハリ宮を開いて6万年治めた後、ツクバの宮に移って6万年治め、
さらに二生れの宮を開いて6万年治めた後、再びニハリ宮に戻ります。
民
治まりて 六万年 ツクバの宮に 移ります また六万年
二生れの 厳の尊とて 六万年 経てまた元の ニハリ宮 〈ホ21-6〉
■三鈴 (みすず)
真榊(=鈴木)による暦法で、1鈴=6万年
です。
よって “三鈴二千五十” は 「18万2050年」 になります。
■つらつら
【概意】
コヱ国 ハラミ山の文
そもそもニハリ宮に始まる御孫ニニキネの、
ツクバの地に民を治める年は、すでに3鈴2050年 (18万2050年)。
つくづくお思いになるのは、民が増えるほどには田は増さぬため
食糧が足らないということであった。
―――――――――――――――――――――――――――――
ひらはのおたは みつたえす
たかたはあめの ふらぬとし たねおほろほす
かわかみの みつおかけひに はこはせと これもくつれは
―――――――――――――――――――――――――――――
平場の生田は 水 絶えず
高田は雨の 降らぬ年 種を滅ぼす
川上の 水を筧に 運ばせど これも朽つれば
―――――――――――――――――――――――――――――
■生田 (おた・おおた)
オフ(生ふ)+タ(手)
で、タ(手)は カタ(方)の略。オタは
オオタの短縮。
ですから 「生える所・生やす所・植える所」
などの意で、オタの略が タ(田)です。
イクタ(生田)、ウブカタ(生方) などともいい、辞書は “小田”
と当てます。
■筧・懸樋
(かけひ)
カケ(掻け・駆け)+ヒ(杼・樋・▽翻)
で、カケは カク(掻く・駆く)の名詞形。
両語とも 「往き来するさま・めぐるさま・行き交うさま」
などが原義です。
【概意】
平場の田は水の絶えることはないが、
高田は雨の降らぬ年 種を滅ぼす。
川上の水を筧で運ばせているが、これも朽ちてしまうため、
―――――――――――――――――――――――――――――
いせきたて つつみきつきて やまみつお とりてたかたお
ひらかんと いつのかもふね いせにつけ めくりこえとも
ををんかみ ゆるさすここに かりすまゐ
―――――――――――――――――――――――――――――
井堰 建て 堤 築きて 山水を 取りて高田を
開かんと 厳のカモ船 イセに着け 恵り乞えども
大御神 許さずここに 仮住い
―――――――――――――――――――――――――――――
■堤 (つつみ)
ツツム(包む)の名詞形で、この場合は 「水の包み」
ということです。
■厳のカモ船 (いつのかもふね)
イツノカモ(厳の尊)と、イツノカモフネ(厳の鴨船)
の合体です。
“イツノカモ” は “イツノカミ” の変態です。 ▶カモ(上)
“イツノカモフネ” は 「高速の鴨船」
という意です。 ▶厳 ▶カモ船
★厳の尊・逸の尊 (いつのかみ・ゐつのかみ)
ニニキネの尊称の1つで、馬術において “厳”
の称号を賜ったことに由来します。
・また厳乗りを 年重ね 技
得給えば 御言宣 “逸”
のヲシテを 賜ひけり 〈ホ19b-2〉
・二生れの 厳の尊とて 六万年 ・・・ ・・・ 逸大尊の 殊
大いかな 〈ホ21-6〉
■イセ (▽妹背・伊勢)
■恵り・▽巡幸 (めぐり)
メグル(恵る)の名詞形で、「八方を巡って恵むこと・巡幸すること」
をいいます。
【概意】
井堰や堤を建設し、山水を取って高田を開拓しようと、
厳尊のカモ船をイセに着け、八州の巡幸を願うも、
大御神の許可は下りず、ここに仮住い。
―――――――――――――――――――――――――――――
やまたのたかく みやかわの かみよりいせき つつみつき
ついにたかのお たとなせは ゐとせのうちに みつほなる
ほかにそやかの いせきなる
ときにあまてる みことのり やしまめくれと ふれたまふ
―――――――――――――――――――――――――――――
山田のタカク 宮川の 上より井堰 堤 築き
ついに高野を 田となせば 五年の内に 瑞穂なる
他に十八処の 井堰なる
時に和照る 御言宣 「八州 巡幸れ」 と 触れ給ふ
―――――――――――――――――――――――――――――
■山田 (やまた・やまだ)
ヤマ(山)+タ(手)
で、もともとは 「山の手・山の方」
を表す普通名詞ですが、
このヤマタは後に固有地名となり、現在の 「宇治の山田・山田ヶ原」
です。
豊受大神宮がある一帯の地です。
■タカク (高く)
形容詞の連用形は 「近く・遠く・多く・早く」
などのように、名詞化する場合がありますが、
これも タカシ(高し) の連用形 “高く”
の名詞化で、「高い所・高み・高台」 などの意です。
これは現在の 高倉山
(117m) を指すものと考えます。この山の麓が
「山田ヶ原」 です。
■宮川 (みやかわ)
現在は、高倉山の西方を南から北に流れています。
ミヤ(宮)は
「合わせ・結び・和合」 が原義で、イセ(妹背)と同義です。
ですから “宮川” は 「妹背の川・陽陰和合の川」
の意を表すと考えます。
■築く (つく)
キヅク(築く)、ツクル(造る)
などの母動詞で、「合わす・付ける・組む・構える」
などが原義です。
■高野 (たかの)
「高い野・高い所」 という意の普通名詞で、タカク(高く)の換言です。
【概意】
山の手の高台(=高倉山)に、宮川の上流より井堰・堤を築いて水を引き、
ついに高野を田となせば、5年の内に成果が実り、他にも18か所の井堰が完成。
時に和して照らす御言宣。「八州を巡幸せよ」
との御触れを賜る。
―――――――――――――――――――――――――――――
ときふそこすす ゐものひゑ みそやきさらき ついたちと
むめのはなみの みあえして ひよみのみやの かとてのり
―――――――――――――――――――――――――――――
時 二十九鈴 五百の一枝 三十八 二月 一日と
梅の花見の 御饗して 日夜見の宮の 門出宣
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■二十九鈴五百の一枝三十八 (ふそこすずゐものひゑみそや) ▶数詞
真榊(=鈴木)による暦法で、1鈴=6万年、1枝=60年、1穂=1年
です。
ウビチニ&スヒヂの時代に植え継ぎが500回の限界に達し、累計年数が
一旦リセットされていますので、この暦の起点はその頃と考えられます。
以来ホツマに暦年の記載されている出来事を振り返ると、次の通りです。
・21鈴125枝31穂 | アマテル誕生。 | ・21鈴126枝58穂 | アマテル即位。 | ||
・22鈴505枝1穂 | トヨケ帰天。 | ・24鈴999枝60穂 | 六ハタレ蜂起。 | ||
・25鈴93枝37穂 | カシマ直ち開始。 | ・25鈴100枝11穂 | オシホミミ即位。 | ||
・25鈴100枝28穂 | アマノコヤネ結婚。 | ・25鈴130枝58穂 | アマテル下り居。 | ||
・26鈴16枝41穂 | テルヒコ大和国へ。 | ・26鈴17枝23穂 | ニニキネがニハリ宮を建てる。 |
この年はニニキネがニハリ宮を建てた年から 3鈴484枝15穂
(20万9055年) 後です。
干支は “サアト” (=辛丑)
の年にあたります。
■一日・朔日・朔
(ついたち)
“ツキタチ(月立ち)の音便”
と辞書にはありますが、ツイタチ(対立ち)の意と考えます。
つまり 「太陽と月の両方が一対で立つ日」 つまり 「新月」です。
■梅 (むめ)
ムベ(宜・諾) や ウマ(旨・美)の変態で、「よろしいさま」
を意味します。
ホツマでは 「梅」 は “ウメ” ではなく、常に “ムメ”
と呼ばれます。
■御饗 (みあえ)
■日夜見の宮 (ひよみのみや)
ヒヨミ(日夜見)は 「陽陰/日月の合わせ」 が原義で、
“日夜見の宮” は イサワの宮、イセ宮
の換言です。
■門出宣 (かどでのり)
「ニニキネが八州巡幸へ旅立つに際してのアマテルの御言宣」
です。 ▶門出
【概意】
時は29鈴501枝38穂の2月1日。
梅の花見の御饗をなし、日夜見の宮(=イサワ宮)での門出宣。
―――――――――――――――――――――――――――――
むかしひよみの おもいかね こよみつくりて ここにあり
のちむらくもに ゆつりおく むらくもあめの をんともに
あすかにはへる たちからを をやのあととて ここにあり
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昔 日夜見の オモイカネ 暦 作りて ここにあり
後 ムラクモに 譲り置く ムラクモ 天の 御供に
アスカに侍る タチカラヲ 親の後とて ここにあり
―――――――――――――――――――――――――――――
■日夜見 (ひよみ)
ヒヨミ(日夜見) は 「陽陰/日月の合わせ」 が原義ですが、
この場合は 「陽陰(日月)を見ること/見る者・暦の制作者」
をいいます。 ▶暦
イサワの宮で “日夜見” が陽陰(日月)を見て暦を制作し、全国に配布していました。
“日夜見” は 後世にいう 「陰陽師」
で、今風には 「天文博士・気象博士」 です。
■オモイカネ・オモヒカネ
イサワ宮の建設を指揮し、イサワ宮では ヒヨミ(日夜見)
を務めていましたが、
後に病弱な皇太子オシホミミの 御子守
として、夫婦ともに多賀の宮に侍ります。
■ムラクモ
■天の御供 (あめのをんとも)
アメ(天) は ここでは 「御上・中央政府の君」 を意味し、
大和国のアスカに朝廷を建てた クシタマホノアカリ(斎名テルヒコ)
を指します。
この朝廷の臣としてムラクモはアスカの宮に仕えています。
■アスカ
「アスカの宮」
の略で、テルヒコを主とする朝廷(=政府)の都です。
■タチカラヲ
オモヒカネとヒルコの長男で、斎名がシツヒコ、通称がタチカラヲです。
ムラクモの後任の “日夜見”
として、イサワの宮に侍っています。
アワナギ─イサナギ ├──────ワカ姫(ヒルコ) ┌イサナミ ├────タチカラヲ │ ├────イキシニホ トヨケ─┤ ├─────ウワハル │ ├─────シタハル └ヤソキネ─タカキネ─オモヒカネ
【概意】
昔 日夜見のオモイカネがここで暦を作っていた。
その後は <御子守としてタガに赴くため>
ムラクモにこの役を譲り置くが、
ムラクモも御上の御供でアスカの宮に侍ることになったため、
タチカラヲが親の後任としてここにあり。
―――――――――――――――――――――――――――――
みかりのをとも こふゆえに むらくもめして みことのり
なんちむらくも こよみなす かかみくもれは
たまふなは あめふたゑなり
―――――――――――――――――――――――――――――
巡幸りの御供 乞ふゆえに ムラクモ召して 御言宣
「汝ムラクモ 暦 成す 明暗見 曇れば
賜ふ名は アメフタヱなり」
―――――――――――――――――――――――――――――
■巡幸り (みかり)
メグリ(恵り)の変態で、「巡って恵むこと・巡幸」
を意味し、
この場合は 「ニニキネの八州巡幸」 をいいます。
■明暗見曇る (かがみくもる)
カガミ(明暗見)は ヒヨミ(日夜見)の換言で、「陽陰/日月を見ること」
をいいます。
ですから “明暗見曇る” は 「陽陰/日月を見る目が曇る(曲る)」
という意です。 ▶曇る
これはムラクモの名が “むら雲”
の意に通じるためです。 ▶むら雲
■アメフタヱ (▽陽陰二重)・フタヱ (二重・▽付合)
日夜見に再任した “ムラクモ”
にアマテルが賜った名です。
“天二上命” などと当てられています。
アメは 「陽陰・日月」 を意味し、カガ(明暗)・ヒヨ(日夜)
の換言です。
フタヱは フツ(▽付つ・打つ)+アフ(合ふ)
の短縮 “フタフ” の名詞形で、
両語とも 「合い/合わせ」 が原義です。これは “羽二重”
のフタヱと同じです。
ですから 「陽陰/日月の合わせ」 という意で、これは
「日夜見」 の換言です。
伊笠神社 (いがさじんじゃ)
徳島県阿波市市場町犬墓字白水伊笠山上194。
現在の祭神:天之二上命
【概意】
そのタチカラヲもニニキネの巡幸の御供を乞うゆえに、
再びムラクモを呼び召して御言宣。「汝ムラクモは暦を作る。
<“ムラクモ” では>
陽陰を見る目が曇るため、賜う名は “アメフタヱ”
である。」
―――――――――――――――――――――――――――――
ふたゑけふ みあえおなせは かといてに みはたのとめの
をんふみお みまこにたまひ みかかみお こやねにたまひ
みつるきお こもりにたまひ のたまふは
―――――――――――――――――――――――――――――
会・交 御饗をなせば 門出に 御機の留の
御文を 御孫に賜ひ 御鏡を コヤネに賜ひ
御剣を コモリに賜ひ 宣給ふは
―――――――――――――――――――――――――――――
■会 (ふたゑ)
アメフタヱの “フタヱ” と同じで、 「合い/合わせ」
が原義です。
この場合は 「落合い・会合」
を意味し、ニニキネの 「門出を送るための人々の集まり」
をいいます。
アメフタヱにシャレて、この言葉を用いていると思われます。
■交 (けふ)
ここではニニキネとの しばしの別れを惜しんでの
「交わり・親交」 をいいます。
■御饗 (みあえ)
■機の留の御文 (みはたのとめのをんふみ)
三種宝の第1である 「陽陰和る文」
の別名です。 ▶みはた(機)
“機” は この場合は 「経緯・陽陰」
を意味し、“留” は 「合わせ・まとめ・結び」
などの意です。
ですから 「陽陰和る文」 の換言です。“御文” は
「アマテル自ら記した文」 であることを示します。
機の文(みはたのふみ)、機織留(みはたをりどめ)ともいい、また
香の文(かぐのふみ)、
香機(かぐみはた)、上祖百編(みをやもあみ)
などとも呼ばれます。
■御鏡 (みかがみ)
三種宝の第2である 「ヤタの鏡」
をいいます。 ▶三種宝
この鏡の持つ意義については、17アヤで詳説されています。
この宝は、先皇の内宮(=皇后)から
新皇の 左の臣=祀りの臣
に手渡されるため、
左の臣は “鏡臣” “ヤタ臣” とも呼ばれます。
■コヤネ
アマノコヤネです。アマテルによりニニキネの左の臣に任命されています。
┌フツヌシ ??──┤ └アサカ姫┐ ├─アマノコヤネ ツハヤムスビ──??───ヰチチ─┘ (ココトムスビ) (カスガ殿)
今 キヨヒトの 羽の臣 コヤネはよよの 祀り執れ コモリはよよの モノヌシぞ〈ホ23-8〉
■御剣 (みつるぎ)
三種宝の第3である ヤヱ垣の剣
をいいます。 ▶三種宝
この剣の持つ意義については、23アヤで詳説されています。
この宝は、先皇の大典侍から 新皇の 右の臣=モノヌシ
に手渡されるため、
右の臣は “剣臣” “垣臣” とも呼ばれます。
★大典侍 (おおすけ) ★大典侍后 (おおすけきさき)
「筆頭の典侍」
をいい、「内宮に次ぐ地位の后・第二后」 を意味します。▶典侍 ▶内宮
■コモリ ■ミホヒコ
(斎名)
2代オオモノヌシのクシヒコの子で、斎名はミホヒコ、幼名はヨロギマロです。
アマテルにより ニニキネの 右の臣(=モノヌシ)
に、かつ 3代オオモノヌシ
に任じられています。
イサナギ ┌ソサノヲ─オホナムチ (初代モノヌシ) ├──-┤ ├───クシヒコ (2代モノヌシ) ┌イサナミ └アマテル──タケコ │ │ ├──ミホヒコ (3代モノヌシ) │ │ トヨケ┴ヤソキネ──タカキネ───────ミホツ姫
今 キヨヒトの 羽の臣 コヤネはよよの 祀り執れ コモリはよよの モノヌシぞ〈ホ23-8〉
【概意】
<別れを惜しむ人々と> 会って交わり
祝の宴を張った後、
門出に “機の留の御文” を御孫に賜い、
“御鏡” をコヤネに賜い、“御剣”
をコモリに賜いて宣給うは、
―――――――――――――――――――――――――――――
さきにみくさの たからもの みこおしひとに たまひしは
あにみまこゑて ふとたまと かくやまはねの をみとなる
こやねものぬし きよひとか はねのをみなり
きみとをみ こころひとつに
―――――――――――――――――――――――――――――
「さきに三種の 宝物 御子オシヒトに 賜ひしは
兄御孫 得て フトタマと カグヤマ 羽の 臣となる
コヤネ・モノヌシ キヨヒトが 羽の臣なり
君と臣 心一つに」
―――――――――――――――――――――――――――――
■オシヒト
オシホミミの斎名です。
ヤソキネ─タカキネ─タクハタチチ姫┐ ├クシタマホノアカリ(斎名テルヒコ) サクラウチ─セオリツ姫┐ │ │ ├ニニキネ(斎名キヨヒト) ├オシホミミ┘ イサナギ┐ │ ├─アマテル─┘ イサナミ┘
■兄御孫 (あにみまご)
ニニキネの兄、クシタマホノアカリ(斎名テルヒコ)を指します。
■フトタマ
アマテルによりテルヒコの左の臣(=祀りの臣)に任じられています。
孫テルヒコの 羽の臣 フトタマはよよ 祀り執れ またカグヤマは モノヌシよ〈ホ23-8〉
■カグヤマ
アマテルによりテルヒコの右の臣(=モノヌシ)に任命されています。
孫テルヒコの 羽の臣 フトタマはよよ 祀り執れ またカグヤマは モノヌシよ〈ホ23-8〉
■羽の臣 (はねのをみ・はねのおみ) ■諸羽臣
(もろはとみ)
■モノヌシ
ここではオオモノヌシの略で、コモリを指します。
・和照らす 日月を譲り ます時に ・・・ ・・・ 君
臣と 心一つに 司れ 〈ホ19a-1〉
・我 若けれど コモリとは よよ睦じく 君のため 中子一つに 忠なさん 〈ホ23ー7〉
【概意】
「さきに御子オシヒトに賜った三種の宝物は、兄御孫が受けて
フトタマとカグヤマが羽の臣となる。
コヤネとモノヌシはキヨヒトの羽の臣である。君と臣が心を一つに。」
―――――――――――――――――――――――――――――
かのとりの かたちはやたみ くひはきみ
かかみはたはね つるきかは もののへはあし
かかみをみ すえほろふれは たみはなれ ひつきふまれす
つるきをみ すえほろふれは ものへわれ よおうはわるる
―――――――――――――――――――――――――――――
彼の鳥の 形はヤタミ 頭は君
鏡は左羽 剣 右羽 モノノベは足
鏡臣 すえ滅ぶれば 民 離れ 日月 踏まれず
剣臣 すえ滅ぶれば モノベ割れ 結を奪わるる
―――――――――――――――――――――――――――――
■彼の鳥 (かのとり)
「コヤネとモノヌシ(=コモリ)が左右の羽である鳥」
という意です。 ▶彼の
■形 (かたち)
ここでは 「外形・全体像」 などをいいます。
■ヤタミ (八民/八尺身/▽上治身)
(1)八方の民。 (2)身長が八尺の身。 (3)ヤシロ(御上)がタス(治す)身。
この3つの意味がありますが、いずれも 「国民」
を意味します。
■鏡 (かがみ) ■剣 (つるぎ)
この場合は 鏡臣(かがみをみ)、剣臣(つるぎをみ)
の略です。
■左羽 (たはね) ■右羽 (かは)
タ(左)は 「日が立(タ)つ」 の意、カ(右)は 「日が枯(カ)る」
の意で、
それぞれ 「東・左」、「西・右」 を表します。
■モノノベ・モノベ・モノ
(▽模の侍・物部)
■鏡臣 (かがみをみ・かがみとみ)
「左の臣」 の別名で、“ヤタ臣”
“祀りの臣” とも呼ばれます。
■すえ滅ぶ (すえほろぶ)
スユ(▽垂ゆ・饐ゆ)+ホロブ(滅ぶ)
の同義語連結で、スユは スヱ(末)の母動詞です。
両語とも 「落ちる・劣る・衰える・没す」
などが原義です。
★滅ぶ・亡ぶ (ほろぶ)
ホル+オフ(瘁ふ)
の短縮で、アラブ(粗ぶ・荒ぶ)の変態です。
ホルは ホロク、ボロボロ、モロ(脆)
などの母動詞です。
■民離る (たみはなる)
「民の心が離れて御上(政府)に従わなくなる」
という意です。
ヤタの鏡は 「民の心を入れる容器」
ですから、その鏡を手渡される鏡臣は
民の心の鑑定士です。ですから鏡臣が衰えて民心を把握できないならば、
いずれ民は政府から離れるということです。
カガミは民の 心入る 入れ物なれば ヤタ明暗見 〈ホ23ー6〉
■日月踏む (ひつきふむ)
このフム(踏む)は ウム(績む)の変態で、「合わす・寄せる・交える」
などが原義です。
ですから 「日月の神霊を地に纏る・招き寄せる」
という意味です。
これは アメノマツリ(陽陰の纏り)
とも呼ばれ、これも鏡臣の主要な任務です。
■剣臣 (つるぎをみ・つるぎとみ)
「右の臣」 の別名で、“垣臣” “モノヌシ”
とも呼ばれます。
■結を奪わる (よおうばわる)
ヨ(▽結)は 「まとまり・結び・和・連帯」
などが原義で、 ▶ヨ(▽結) ▶奪ふ
“結を奪わる” は 「国家としての結束が失われる」
という意味です。
【概意】
「彼の鳥の、形は国民、頭は君、鏡臣は左羽、剣臣は右羽、モノノベは足。
鏡臣が衰え滅べば
民の心は離れ、また日月の神霊も世に纏られず。
剣臣が衰え滅べば
モノノベが分裂して国家の結束が失われる。」
―――――――――――――――――――――――――――――
やたをみは そろはふはるの たみわさお かんかみるめそ
かきをみは よこまおからし もののへの ちからもるてそ
このゆえに みくさおわけて さつくいは
なかくひとつに なるよしお あやにしるして
―――――――――――――――――――――――――――――
「ヤタ臣は そろ生ふ春の 民業を 鑑みる目ぞ
垣臣は 汚曲を枯らし モノノベの 力守る手ぞ」
この故に 三種を分けて 授く意は
永く一つに 和る由を アヤに記して
―――――――――――――――――――――――――――――
■ヤタ臣 (やたをみ)
「ヤタの鏡の臣」 の略で、「鏡臣・左の臣・左羽」
の換言です。
■そろ生ふ春 (そろはふはる)
ソロハフ(そろ生ふ) は 「実りを生む・繁栄を生む」
という意です。 ▶ソロ
ハル(春)は ハヱ(生え)の変態で、「始まり・起り・源・基」
などが原義です。
ですから “そろ生ふ春” は 「繁栄を生む基盤」
という意となります。
■民業 (たみわざ)
「民のなす業・民の仕事」 の意です。 ▶わざ
これが曲りなく素直であれば
国家は繁栄するということになります。
素直なる 業も教えて 培えば 家も栄えて 繁殖ゆる 〈ホ17-10〉
■鑑みる目 (かんがみるめ)
ヤタの鏡は 「民の心を入れる容器」
ですから、その鏡を手渡される鏡臣は民の心の
鑑定士であることを説明しています。“鑑みる” はカガミ(鏡・明暗見)の母動詞です。 ▶鑑みる
なお “目” は マテ(▽左右)の マ(▽左)
に語呂合せしているようです。
■垣臣 (かきをみ)
「ヤヱ垣の剣の臣」
の略で、「剣臣・右の臣・右羽・モノヌシ」 の換言です。
■手 (て)
これも マテ(▽左右)の テ(▽右)
に語呂合せしているようです。
■三種を分けて授く (みくさおわけてさづく)
三種宝は、新皇と その左の臣・右の臣に
それぞれに分けて授与されます。
陽陰和る文(=御機の留の御文)は
先皇から新皇へ、ヤタ鏡は先皇の内宮から新左臣へ、
ヤヱガキの剣は先皇の大典侍から新右臣へ、それぞれ手渡されます。
■永く一つに和る由 (ながくひとつになるよし)
「3つ(皇と鏡臣と剣臣)の心が永く一つに結ぶ由来」
という意です。 ▶由(よし) ▶心一つに
■アヤに記す (あやにしるす)
ホツマツタヱの各一章を “アヤ”
と呼びますが、ここに言う “アヤ” もそれだ思います。
つまりアマテルが自ら記す “機の留の御文”
の中の 「1つの章に記す」 という意味と考えます。
【概意】
「ヤタ臣は 繁栄を生む基である 民の業を鑑みる目ぞ。
垣臣は よこしまを枯らし、モノノベの力を守る手ぞ。」
このゆえに三種を分けて授く意は、<君と鏡臣と剣臣の心が>
永く一つに結ぶためであることの由来を1つの章に記して、
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をてつから ふみおみまこに さつけます
せおりつひめは みかかみお もちてかすかに さつけます
はやあきつめは みつるきお もちてこもりに さつけます
みたひうやまひ みなうくるかな
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御手づから 文を御孫に 授けます
セオリツ姫は 御鏡を 持ちてカスガに 授けます
ハヤアキツ姫は 御剣を 持ちてコモリに 授けます
三度敬ひ 皆 受くるかな
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■御手づから (をてづから)
テヅカラ(手づから)の尊敬表現です。
ツカラは ツガル(連る・鎖る)の名詞形で、ツガルは
ツカフ(使ふ・仕ふ・支ふ)の変態です。
■文 (ふみ)
「機の留の御文」
をいいます。
■カスガ
【概意】
御手づから御機の留の文を御孫に授けます。
セオリツ姫は御鏡を持ちてカスガに授けます。
ハヤアキツ姫は御剣を持ちてコモリに授けます。
3度拝礼し、それぞれ受けるかな。
本日は以上です。それではまた!