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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第25回 [2023.8.7]

第六巻 日の神十二后の文 (4)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 ひのかみそふきさきのあや (その4)
 日の神十二后の文 https://gejirin.com/hotuma06.html
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 ひのはやひこに みことのり なんちくにゑお うつすへし
 やまとめくりて みなゑかく
 きみはみやこお うつさんと おもひかねして つくらしむ
 なりていさわに みやうつし
―――――――――――――――――――――――――――――
 ヒノハヤヒコに 御言宣 「汝 国絵を 写すべし」
 ヤマト巡りて 皆 描く
 君は 「都を 移さん」 と オモヒカネして 造らしむ
 成りてイサワに 宮移し
―――――――――――――――――――――――――――――

■ヒノハヤヒコ (▽日の早彦)
トヨケ(斎名タマキネ) の曾孫 タケミカツチ の別名です。
ヒサヒコ(▽日早彦)・ヒワヒコ(▽日早彦) とも呼ばれ、
いずれも 「ヒタチ(日立・常陸) の国を治める臣」 を意味しますが、
その身分となるのは もう少し先の話です。

 トヨケ──??──ミカサヒコ(=ヲバシリ)──タケミカツチ
 

・後 ヒワヒコに 御言宣 「汝 国絵を 写すべし」 〈ミ5-3〉
・この尊は トヨケの孫の ミカサヒコ その子
ヒサヒコ カシマ尊
 雷拉ぐ功を 
タケミカツチと 名付くこれかな 
〈ホ19a-2〉


■汝 (なんぢ)
ナ+ン(=の)+チ(方) で、ナ は ナレ(汝) の短縮。
ナレ は ナル の名詞形で、「そこなる」 の意。チ(方) は アチコチ(彼方此方) の チ。


■国絵・地絵 (くにゑ)
今風に言えば 「地図」 です。
ヱ(絵) は ヱ(合・会) と同じで、「合わせ・写し・コピー」 が原義です。


ヤマト (和・大和・倭)
「和の道が通った地」 すなわち 「中央政府の統治が及んだ地」 がヤマトです。
ですからこの時点においては、北海道を除いた 「日本全土」 ということになります。

 和(まと)の教えに かかんして のんアワ国は てんヤマト 〈ホ5-4〉


■都 (みやこ)
ミ+ヤク の名詞形で、ミは ミル(回る) の連用形、ヤクは ユク(往く) の変態。
両語とも 「回る・往き来する・回帰する・帰還する」 などが原義です。
よって 「回帰する所・本源・中心・中枢」 などの意で、ミヤ(宮) の換言です。


■オモヒカネ・オモイカネ・オモヰカネ・ヲモヒカネ
タカミムスビ7代タカキネ の子で、フトタマ・ヨロマロ・タクハタチチ姫・
ミホツ姫らの兄弟です。別名を “アチヒコ” といいます。
回り歌
を縁として ワカ姫(斎名ヒルコ) と結婚しています。
記紀には 思金神/思兼神 と記されます。

 クニトコタチ─クニサツチ┐
   (I)     (II)  │
 ┌───────────┘
 ├トヨクンヌ─ウビチニ┬ツノクヰ─オモタル
 │ (III)    (IV) │  (V)   (VI)    ┌クラキネ
 │          │           ├ココリ姫
 │          └アメヨロツ┬アワナキ─┴イサナキ┐
 │          (養子)↑  └サクナキ   (VII) ├ヒルコ
 │             └─────┐       ├アマテル
 ├ハコクニ─東のトコタチ┬アメカガミ─アメヨロツ    ├ツキヨミ
 │      (初代)  │               ├ソサノヲ─ヲオナムチ
 └ウケモチ       └タカミムスビ─トヨケ┬イサナミ┘
               (2〜4代)   (5代)├ヤソキネ─タカキネ┬オモヒカネ
                        │ (6代)   (7代) ├ヨロマロ
                        ├カンサヒ     ├フトタマ
                        └ツハモノヌシ   ├タクハタチチ姫
                                  └ミホツ姫

 阿智神社 (あちじんじゃ)
 信濃国伊那郡。長野県下伊那郡阿智村智里489。 
 現在の祭神:天八意思兼命、天表春命


■イサワ (▽結合)
アマテルがオモイカネをして造らせた新都の名です。
この宮の痕跡は残っていませんが、場所は現在の 二見浦 の近辺と考えています。
(伊雑宮は所在地がホツマの記述に合いません) ▶伊雑宮

 イス(▽結す)+アフ(合ふ) の短縮 “イサフ” の名詞形で、イサフは ユスフ(結ふ) の変態です。
 いずれも 「合う・添う・付く・結ぶ」 などが原義で、この場合は 「陰陽の和合」 を意味します。
 イス(▽結す) の名詞形が イサ(▽結) や イセ(妹背・伊勢) です。

 

【概意】
君はヒノハヤヒコに 「汝は国絵を写すべし」 と御言宣。
ヤマトを巡ってすべて描く。
君は 「都を移さん」 と、オモヒカネをして造らせる。
完成してイサワに宮移し。



―――――――――――――――――――――――――――――
 ここにゐませは むかつひめ ふちおかあなの おしほゐに
 うふやのみみに あれませる おしほみのみこ
 おしひとと いみなおふれて かみありの もちゐたまえは
 たみうたふ
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここに居ませば ムカツ姫 縁岡穴の オシホヰに
 産屋の耳に 生れませる オシホミの御子
 “オシヒト” と 斎名を触れて 神ありの 餅飯 賜えば
 民 歌ふ
―――――――――――――――――――――――――――――

ムカツ姫 (むかつひめ:向つ姫)

■縁丘穴 (ふちおかあな) ■縁丘耳 (ふちおかみみ)
「縁にある丘のはずれ」 という意味です。
フチオカ(縁丘) は イサワの都の 「縁にある丘」 の意で、
これは今の 豊受大神宮 の境内にある 「藤岡山」 を指すものと思います。
ホツマ11アヤでは “縁丘耳” と記されています。

 母は日の前 向つ姫 斎名ホノコの 産宮は
 
縁丘耳の オシホヰに 生れます御子の 乳に咽ぶ 
〈ホ11-1〉

 
★穴・孔 (あな)
 アヌ(▽空ぬ) の名詞形で、アヌ は ハヌ(刎ぬ・撥ぬ) の変態、
 ハヌ は ハナル(離る)ハネル(撥ねる) の母動詞です。
 ゆえに アナ は 「離れ・空き・逸れ・はずれ」 などが原義で、ハナ(端) の変態です。


■オシホヰ ■オシホミ
これは “おしまい”  “おさまり” などの変態で、「締め・終り」 を意味します。
この場合は 「イサワの都の終端の場所」 をいい、“縁丘穴” の別表現です。

 オス(押す)+シホフ/シホム の短縮の名詞形で、
 シホフ/シホムは シボル(絞る)シボム(萎む)スボム(窄む) などの変態です。
 両語とも 「合う/合わす・締まる・閉まる・結ぶ・納まる」 などが原義です。

 ある領域の 「終端の場所を示す地名」 として、オシホヰ(忍穂井) の他にも、
 オシホ(小塩)、オシホリ(押堀)、オシキリ(押切)、オシ(忍) …  … など、
 日本中に類似の地名が存在します。

後世、“忍穂井” と漢字が当てられ、井戸の名と信じられたようです。
藤岡山の麓にある井戸が “忍穂井” と名づけられ、上御井神社 が建てられています。

 
■産屋の耳 (うぶやのみみ)
「生れた区画 (=イサワの都) のへり」 という意で、これも “縁丘穴”  “オシホヰ・オシホミ” の
換言です。ミミ は “パンの耳” のそれで、「端・ふち・へり」 を表します。

 ようするに ムカツ姫の産宮は イサワの都のはずれの藤岡山の裾にあったということです。

 ★産屋・産野・産谷 (うぶや)
 ウブ(産) は ウム(生む・産む) の変態、ヤ は ヰヤ の短縮です。
 ヰル(居る) の変態 “ヰユ” の名詞形が ヰヤ(居屋)ヰヱ(家) で、
 ヰヤ の短縮が ヤ(屋・家)です。「居る区画」 が原義で、建物に限りません。


■オシホミの御子 (おしほみのみこ)
オシホミ は 「締め・終り」 の意ですが、この場合は2つの意味が重なります。
(1) 都のはずれ(終端部)に生まれた御子。
(2) 締めの御子。最終の御子。最後に生れた御子。


■オシヒト ■オシホミミ・ヲシホミミ
オシヒトは この御子の斎名です。 ▶斎名
オシホミミ は “オシホミのミミ” の略で、記紀には 天忍穗耳尊 と記されます。

 ★ミミ (御実・御子)
 ミ(御)ミ(実・子) で、ミコ(御子) の換言です。

 
■神ありの餅飯 (かみありのもちゐ)
「神威のこもる餅」 をいいます。御子誕生の祝いとして臣民に配られたものと思います。

 ★餅・餅飯 (もちゐ)
 モチ(望)イヰ(飯) の短縮で、モチ(餅) の換言です。
 臼の中の 「望月 (=満月) のようにまんまるな飯」 が原義です。
 モチヅキ(望月) は 「満ち足りた形・欠けた所のない形」 を意味します。
 そのため 餅は 「茂・望・満・完全」 の モノザネ として用いられます。

 

【概意】
ここに居ませば、ムカツ姫は 都の縁の、丘のはずれの “オシホヰ” にて御出産。
産土の終端で最終の御子が御誕生になります。
“オシヒト” と斎名を告げて、神ありの餅を振舞えば、民は歌う。



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 さきにもちこか うむみこは ほひのみことの たなひとそ
 はやこかみつこ ひはたけこ おきつしまひめ
 ふはたきこ ゑつのしまひめ みはたなこ いちきしまひめ
―――――――――――――――――――――――――――――
 『さきにモチコが 生む御子は ホヒの尊の タナヒトぞ
 ハヤコが三つ子 一はタケコ オキツシマ姫
 二はタキコ ヱツノシマ姫 三はタナコ イチキシマ姫』
―――――――――――――――――――――――――――――

■モチコ
北の局の典侍マス姫 の斎名です。
根の国の前マスヒト、クラキネ の娘です。 ▶マスヒト
(この時点ではシラヒトが根の国のマスヒトになっています)


■ホヒの尊 (ほひのみこと) ■タナヒト
モチコを母とする アマテルの第1子の男子で、ホヒ は通称、タナヒト は斎名です。
ミコト(尊) は 皇族に対する敬称で、記紀には 天之菩卑能命/天穂日命 と記されます。


■ハヤコ
北の局の内侍コマス姫 の斎名です。
モチコの妹です。


■タケコ ■オキツシマ姫
ハヤコが生んだ3つ子の姫の1人目で、タケコ は斎名です。
記紀では 田心姫/多紀理比賣命 などと記されます。
オホナムチ の妻となって、クシヒコ(=ヲコの尊) を生みます。
オキツシマ は 今の 「琵琶湖の沖島」 をいい、タケコが葬られた場所です。

 奥津嶋神社 (おきつしまじんじゃ)
 近江国蒲生郡。滋賀県近江八幡市沖島町188。
 現在の祭神:奧津島比売命
 『大嶋神鎮座記』大国主の神は 奥島に鎮座しているとされる多紀理姫神を妻にする。
  <筆者注> “大国主の神” は オホナムチを指します。


■タキコ ■ヱツノシマ姫
ハヤコが生んだ3つ子の姫の2人目で、タキコ は斎名です。
記紀では 多岐都比売命/湍津姫 と記されます。
相模国を治める カグヤマツミ の妻となり、カゴヤマ と アメミチ姫 を生みます。
ヱツノシマ は 今に言う 「江の島」 ですが、現在とは異なり 「相模国」 の別名です。

 江島神社 (えのしまじんじゃ)
 神奈川県藤沢市江の島2-3-8。(式外社)
 現在の祭神:田寸津比賣命、市寸島比賣命、多紀理比賣命


■タナコ ■イチキシマ姫
ハヤコが生んだ3つ子の姫の3人目で、タナコ は斎名です。
記紀では 市寸島比売命/市杵嶋姫命 と記されます。
イブキヌシ の妻となり、イヨツヒコ、トサツヒコ、ウサツヒコ を生みます。
晩年はウサツヒコと共に筑紫のウサ(宇佐)に行き、そこで神となります。

 母もウサにて 神となる イツクシマ宮 “イトウ神” 善きを知る名ぞ 〈ホ28-6〉

イチキシマ(市杵島) は イツクシマ(厳島) とも呼ばれ、安芸宮島の厳島神社に
タナコの神霊は纏られます。ウサで亡くなったのに安芸に纏られるというのは
変ですが、当時のウサの県の領地は海を越えて、安芸の地にまで及んでいました。
例えばニニキネは、安芸の禿げ山の植林を、ウサの守であるアカツチに命じて
います。〈ホ25-1〉つまりこの時点で安芸はまだ国として成立していないのです。

 厳島神社 (いつくしまじんじゃ)
 安芸国佐伯郡。広島県廿日市市宮島町1-1。 
 現在の祭神:市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命
 <筆者注> イツクシマ は イツクシム(慈しむ・愛しむ) の名詞形で、
      イツクシマ神 は イトウ神 の換言です。

 

【概意】
 『さきにモチコが生む御子は ホヒの尊のタナヒトぞ
 ハヤコが三つ子、一はタケコのオキツシマ姫
 二はタキコのヱツノシマ姫 三はタナコのイチキシマ姫』



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 しかるのち あきこかうめる たたきねは あまつひこねそ
 しかるのち みちこかうめる はらきねは いきつひこねそ
 とよひめは ねのうちめにて ぬかたたの くまのくすひそ
 みこすへて ゐをとみめなり
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 『しかる後 アキコが生める タタキネは アマツヒコネぞ
 しかる後 ミチコが生める ハラキネは イキツヒコネぞ
 トヨ姫は 北の内侍にて ヌカタダの クマノクスヒぞ
 御子すべて 五男三女なり』
―――――――――――――――――――――――――――――
 
■アキコ・ハヤアキツ姫 (あやあきつひめ)
西の局の典侍ハヤアキツ姫 の斎名です。
九州を総括する カナサキ の娘で、アマガツ(天児) の考案者として知られます。


■生める (うめる)
“生む” の連体形で、ウム(生む)+エル の形につくります。
この形は現代でも “眠れる森の美女” “悩める子羊” などと、多用されています。
またこの形の連体形が独立の動詞となることが非常に多いです。
例えば 「告ぐ」 は “告ぐる” と “告げる” の2つの連体形を持ちますが、
“告げる” は独立の動詞として使われるようになります。

 
■タタキネ ■アマツヒコネ
アキコが生んだアマテルの2男で、タタキネ は斎名です。
アマツヒコネ は通称で、記紀には 天津日子根命/天津彦根命 と記されます。

 
■ミチコ
東の局の典侍オオミヤ姫 の斎名です。
ヤソキネ (=カンミムスビ) の娘です。

 
■ハラキネ ■イキツヒコネ
ミチコが生んだアマテルの3男で、ハラキネ は斎名です。
イキツヒコネ は通称で、記紀には 活津日子根命/活津彦根命 と記されます。


■トヨ姫 (とよひめ)
北の局の内侍で、斎名は アヤコ です。
筑紫の底・中・上ワタツミを取りまとめる ムナカタ の娘です。
ここでは北局の内侍となってますが、はじめは西局の 乙下侍 でした。
局(つぼね)にも人事異動があるようです。


■ヌカタタ ■クマノクスヒ
トヨ姫が生んだアマテルの4男で、ヌカタタ は斎名です。
クマノクスヒ は通称で、これは 「クマノ神 (イサナミの贈り名) を斎く者」 を意味します。
記紀には 熊野久須毘命/ 熊野樟日命 などと記されます。

 

【概意】
『しかる後 アキコが生めるタタキネは アマツヒコネぞ
 しかる後 ミチコが生めるハラキネは イキツヒコネぞ
 トヨ姫は北の内侍にて、ヌカタダのクマノクスヒぞ
 御子すべて5男3女なり』

 

根の国  イサナキ┐     
         ├───アマテル
ヒタカミ イサナミ┘    ┃
              ┃
              ┃
ホツマ  サクラウチ───セオリツ姫ホノコ [内宮] ─────オシホミミ(8)
              ┃
              ┃
根の国  クラキネ──┬─マス姫モチコ   [北局の典侍] ──アメノホヒ(1)
           │  ┃
           └─コマス姫ハヤコ  [北局の内侍] ──タケコ(2)・タキコ(3)・タナコ(4)
              ┃
ヤマシロ カダ──────アチコ      [北局の下侍]
              ┃
              ┃
ヒタカミ ヤソキネ──┬─オオミヤ姫ミチコ [東局の典侍] ──イキツヒコネ(6)
           │  ┃
           └─タナハタ姫コタヱ [東局の内侍]
              ┃
筑波   ツクバハヤマ──ソガ姫      [東局の下侍]
              ┃
              ┃
美濃   カナヤマヒコ──ウリフ姫ナカコ  [南局の典侍]
              ┃
ホツマ  サクラウチ───ワカサクラ姫ハナコ[南局の内侍]
              ┃
筑紫   カスヤ─────イロノヱ姫アサコ [南局の下侍]
              ┃
              ┃
筑紫   カナサキ────ハヤアキツ姫アキコ[西局の典侍] ──アマツヒコネ(5)
              ┃
筑紫   ムナカタ──┬─オリハタ姫オサコ [西局の内侍]
           │  ┃
           └─トヨ姫アヤコ   [西局の下侍] ──クマノクスヒ(7)

 

本日は以上です。それではまた!

 

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