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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第26回 [2023.8.9]
第六巻 日の神十二后の文 (5)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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ひのかみそふきさきのあや (その5)
日の神十二后の文 https://gejirin.com/hotuma06.html
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さのとのに たちはなうゑて かくのみや
きにさくらうゑ うおちみや
みつからまつり きこしめす あまねくたみも ゆたかなり
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南の殿に タチバナ植えて “香の宮”
東に桜植え “大内宮”
自ら政 聞こし召す あまねく民も 豊かなり
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■南の殿 (さのとの)
「イサワ宮の内裏の南側の殿」 をいいます。 ▶内裏
■タチバナ (▽立木・橘)
■香の宮 (かぐのみや)
“南の殿” に付けられた名です。 ▶香
(かく・かぐ)
この宮殿は、君と重臣が集って国家の公務を諮る会議場で、平安京の
紫宸殿
に当たります。
今で言えば 「皇居宮殿」、あるいはまた 「内閣」 です。
イサワ が都の時代、タカマ
とは具体的にはここを指します。
こうきょきゅうでん【皇居宮殿】〈広辞苑〉
皇居内にある、天皇の公式行事などのための宮殿。
■大内宮 (うおちみや・おうちみや・をうちみや・ををうちみや)
「イサワの宮の大内裏の東側の殿」 に付けられた名です。
ウオ/オオ/ヲ/ヲヲ(央・大)+ウチ(内)+ミヤ(宮)
で、「大中心の宮・大奥の宮」 を意味します。
これは フトマニ図 の中心の、アウワの宮
(アメノミヲヤの座所) になぞらえたものと
考えていいでしょう。
“香の宮”
と対照的に、こちらはアマテル&セオリツ夫婦の
私的な居住空間です。
平安京でいえば 清涼殿
にあたります。
国君夫婦の住居を 内宮(うちみや・うちつみや)
と呼びますが、大内宮 と呼ばれるのは
アマテル夫婦の住居だけです。
【概意】
南の殿に橘を植えて “香の宮” とし、
東の殿には桜を植えて “大内宮” となす。
君みずから政をお執りになり、民も広くもれなく豊かであった。
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つきよみのつま いよつひめ うむもちたかは いふきぬし
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ツキヨミの妻 イヨツ姫 生むモチタカは イブキヌシ
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■ツキヨミ
四国(しこく) は イヨツヒコ
(またの名アワツヒコ) が統治していましたが、
うまく治まらないため、アマテルは 弟の ツキヨミ
を四国に派遣します。
ツキヨミは イブキ (=功)
を上げ、凸の宮
で四国を治めます。
イヨの二名の 治まらで ツキヨミ遣れば イブキ上げ 凸の宮に治す 〈ホ6-2〉
■イヨツ姫 (いよつひめ)
イヨツヒコ の娘のようです。明確な記述はないのですが、
ツキヨミはイヨツ姫を娶ることによって、四国の統治者となったと推察されます。
■モチタカ ■イブキヌシ (息吹主)・イブキトヌシ (▽息吹凸主)
ツキヨミとイヨツ姫の子で、斎名モチタカ、イブキヌシ/イブキトヌシ
と通称されます。
「イブキ(=四国)
の主」、また 「イブキトノミヤ (気吹を上げた凸の宮)
の主」 という意です。
ツキヨミの後、彼が “イブキトの宮”
の主となって四国の治めを継いだことによる名です。
┌ヒルコ トヨケ──イザナミ┐├アマテル ├┼ツキヨミ──┐ アメヨロヅ┬アワナギ─イザナギ┘└ソサノヲ ├イブキヌシ │ │ └サクナギ─イヨツヒコ─イヨツ姫──┘
【概意】
ツキヨミと妻イヨツ姫が生む 斎名モチタカはイブキヌシ。
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さきにたらちを はなきねは ねのくにさほこ しらすへし
いまたひること みくまのの とみかたすけて のちのきみ
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さきにタラチヲ 「ハナキネは 根の国・サホコ 領すべし」
いまだヒルコと 御隈野の 臣が助けて 後の君
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■タラチヲ
イサナキ (斎名タカヒト)
を指します。
■ハナキネ
ソサノヲ の斎名です。母イサナミは
ソサノヲの汚穢隈を我が身に受けて死にました。
世の隈なせば 母の穢に 捨て所なき
世の隈を 我が身に受けて 諸民の 欠けを償ふ
御隈野の 御山木
焼くを 除かんと 生む火の神の カグツチに 焼かれて 〈ホ5-2〉
■領す (しらす)
■御隈野の臣 (みくまののとみ)
これはホツマ・ミカサには説明がないので、まったくの憶測となります。
ミクマノ(御隈野)
は 「紀州熊野」 を指す固有地名ですが、この場合は
その地で神となり、
隈の神(くまのかみ) と贈り名される イサナミ
を指すと考えます。
それでは “ミクマノの臣”
とは誰かということですが、多くの熊野神社でイサナミと
合せて祀られる、ハヤタマノヲ
と コトサカノヲ
をいうのではないかと推測しています。
【概意】
さきに父イサナキは
「ハナキネは根の国とサホコ国を領すべし」
と御言宣していたが、いまだにヒルコと御隈野の臣が助けており、
まだまだ後の君である。
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なちのわかみこ ぬかたたよ いさなみまつる
くまのかみ しこめかしゐお からすかみ
まつれはくろき とりむれて からすとなつく
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ナチの若御子 ヌカタタよ イサナミ纏る
隈の神 鬼霊が魄を 枯らす神
纏れば黒き 鳥 群れて “カラス” と名付く
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■ナチの若御子 (なちのわかみこ) ■ヌカタタ
ナチ は ナダ(▽傾)・ネヂ(捩ぢ)
などの変態で、「曲り・傾き・ねじけ」 の意です。
ですから クマ(曲・隈)
の同義語です。
ワカ(▽分・若)+ミコ(御子・神子)
は 「神の分け身」 を意味します。
つまり ヌカタタ は、「隈の神=イサナミの神霊
の分け身」 だということです。
ヌカタタの通称 クマノクスヒ は 「隈の神をくすぶ者」
という意で、
クスブ(燻ぶ)
は 「高める・勢いづける・栄す」 などが原義です。
ナチの若御子のクマノクスヒが、隈の神を纏った社が “熊野那智大社”
と考えます。
熊野那智大社
(くまのなちたいしゃ)
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1。(式外社)
現在の祭神:熊野夫須美大神(伊弉冉尊)
<筆者注> 夫須美(ふすみ) は クスヒ と同じです。
フスム=フスブ(燻ぶ)=クスブ(燻ぶ)
です。
■纏る・祭る・祀る (まつる)
ここでは 「神を世に纏わす」 そしてまた
「神に心を纏わす」 という意味です。
■隈の神・曲の神 (くまのかみ)
イサナミ の贈り名です。この名は イサナキとイサナミの 黄泉辺境での言立ち
『麗わしや かく為さざらば
千頭を日々にくびらん』に由来します。
たとえ大事に育てた臣民であっても、曲り外れたならば容赦なく綻ばす
という意味です。
★贈り名・諡・△送り名
(おくりな)
「天に送る神霊(みたま)に贈る名」
をいいます。
■鬼霊 (しこめ)
幽体離脱して黄泉のイサナミに会いに来た
イサナキの神霊を現世に返すため、
イサナミは8体の鬼霊を放ってイサナキを追わせました。
■魄 (しゐ)
ここでは 「肉体・形・うわべ」 を意味します。
■カラス (烏・鴉)
「魄を枯らす」 ゆえに “カラス”
と名付けられた黒き鳥は、
隈の神が放つ8人の鬼霊の化身です。
・古来、熊野の神 の使いとして知られ、またその鳴き声は不吉なものとされる。〈広辞苑〉
・熊野三山においてカラスは ミサキ神
(死霊が鎮められたもの。神使) とされ、八咫烏は
熊野大神 に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルともされる。〈Wikipedia〉
【概意】
ナチの若御子ヌカタタはイサナミを祀る。
隈の神は その使いの鬼霊が人の魄を枯らす神。
祀れば黒き鳥が群れてくるゆえ、“カラス” と名づく。
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いさなきは あつしれたまふ
ここおもて あわちのみやに かくれます
ことはおわれと いきおひは あめにのほりて をおかゑす
あひわかみやに ととまりて やみおたします たかのかみ
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イサナキは 篤しれ給ふ ここを以て
淡路の宮に かくれます
事は終れど 勢ひは 天に上りて 陽を還す
太陽若宮に 留まりて 病みを治します “治曲の神”
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■篤しる (あつしる)
アツ+シル(痴る・▽退る)
の連結で、アツは アス(褪す)
の変態です。
両語とも 「落ちる・劣る・衰える」 などの意です。
あつしる【篤しる】〈広辞苑〉
1.病が重くなる。 2.力が衰える。
■淡路の宮 (あわぢのみや)
かつてイサナミが ヒヨルコ
を流産した宮をいうのではないかと思います。 ▶淡路
イサナキは この宮で神となるまでは、近江の “タガ宮”
に坐していました。
伊弉諾神宮 (いざなぎじんぐう)
淡路国津名郡。兵庫県淡路市多賀740。
現在の祭神:伊弉諾大神
■天に上る (あめにのぼる)
このアメは アム(▽上む) の名詞形で、「上・高み・中心」
などを原義とし、
ここでは 「御上・中央政府・タカマ」 を意味します。 ▶御上 ▶タカマ
ですから 「国家の最高位に上る」 という意です。
またそれを 「空の高みにあって地を照らす太陽」
になぞらえます。 ▶神子は太陽の位乗る
■陽を還す (をおかゑす)
ヲ(陽) は 「陽のエネルギー・日のエネルギー・日霊(ひる)」
をいいます。
還す(かゑす) は ここでは
「循環させる・めぐらす・配る・恵む」 などの意です。
■太陽分宮・太陽若宮 (あひわかみや)
太陽(あひ)
は 「陽の極み」 を意味し、「日」 とイコールです。
ワカミヤは、「日の分身の宮さま」
の意と、「若き宮さま」 の意が重なります。
これは アマテル(斎名ワカヒト) を指します。
ヒノワカミヤ(日の分宮・日の若宮)、アマヒノミコ(太陽の神子)、
ヒノワワケミ(陽環分身)、ウホヒルキ(大日霊貴)
などとも呼ばれます。
■治曲の神 (たがのかみ)
イサナキ の贈り名です。
★タガ (▽治曲・多賀)
「病み(=曲り)を治す」 という意で、これは 黄泉辺境
での 言立ち
❝ 麗わしや 我その千五百
生みて誤ち無き事を守る ❞ に由来し、
「調の教えによって曲りを治すこと」
を意味します。
また タガ(治曲) は “多賀”
という近江の地名の語源です。
多賀大社 (たがたいしゃ)
近江国犬上郡。滋賀県犬上郡多賀町多賀604。
現在の祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命
【概意】
イサナキは御衰弱になり、これを以て淡路の宮にかくれます。
事は終われど その勢いは、高みに上って日霊をめぐらす “太陽分宮”
に留まって、
世の病み(=曲り)を治します。ゆえに “タガ (治曲) の神”。
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やまとやすみや ひきうつし あめやすかわの ひるこひめ
みこおしひとお ひたします ねとさほこくに かねをさむ
したてるひめと あちひこと いせおむすひて もろともに
ここにをさめて うむみこは いむなしつひこ たちからをかな
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ヤマトヤス宮 引き移し アメヤスカワの ヒルコ姫
皇子オシヒトを 養します 根とサホコ国 兼ね治む
シタテル姫と アチヒコと 妹背を結びて 諸共に
ここに治めて 生む御子は 斎名シヅヒコ タチカラヲかな
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■ヤマトヤス宮 (やまとやすみや)
太山下日高みの和国の宮
(おおやまとひたかみのやすくにのみや)
の略です。
別名が多く、ヤスクニ宮、ハラミの宮、サカオリ宮
などとも呼ばれます。
■引き移す (ひきうつす)
これは 「引っ越す」 と同義です。
■アメヤスカワ (▽和和側・▽和和郷)
ヤスカワ(▽和郷)
と同じです。近江国を指す多くの名の一つです。
この アメ は、アワ国 の “アワ”(▽和)
の換言です。
■オシヒト
アマテルの皇太子 オシホミミ の斎名です。
この皇太子はヤスカワの タガ(治曲・多賀)
に住みますが、若年であり、また虚弱な
生れ付きのため、夫婦となった アチヒコ(=オモイカネ)
と ワカ姫(=ヒルコ) が
御子守(みこもり)
としてタガに行き、皇太子を守り育てます。
■シタテル姫 (したてるひめ:仕立てる姫)
これは皇太子を 「仕立てる姫」 という意味で、ワカ姫(斎名ヒルコ)
の別名です。
仕立てる
は 「育てる」 の変態です。記紀には 下照姫
と記されます。
■アチヒコ
■妹背を結ぶ (いせおむすぶ)
妹背(いせ) は、「陰陽・女男」 を意味します。
ですから 「女男を結ぶ」 つまり
「結婚する・夫婦になる」 ということです。
★妹背・▽結・伊勢 (いせ・ゐせ)
「陰陽」 また 「その和合」 を意味します。イセ は イモセ(妹背)
の略であると同時に、
イス(▽結す) の名詞形であり、「合わせ・結び」
を原義とします。
ですから アメ/アワ(陽陰・和)、イサ、イサワ
などの換言です。
■シヅヒコ ■タチカラヲ
オモヒカネとヒルコの長男で、斎名がシヅヒコ、通称がタチカラヲです。
記紀には 天手力男命/天手力雄神
と記されます。
アワナギ─イサナギ ├──────ワカ姫(ヒルコ) ┌イサナミ ├────タチカラヲ │ ├────イキシニホ トヨケ─┤ ├─────ウワハル │ ├─────シタハル └ヤソキネ─タカキネ─オモヒカネ
静神社 (しずじんじゃ)
常陸国久慈郡。茨城県那珂市静2。
江戸末期の祭神:手力雄命、高皇産霊命、思兼命
<筆者注> タチカラヲの斎名 “シヅ”
を社名とし、正確に、本人と、父 (オモヒカネ) と、
祖父 (タカミムスビのタカキネ)
を祭神とする保存状態の良い神社でしたが、
現在は 建葉槌命 (たけはづちのみこと)
を主祭神とします。やめてけれ〜
【概意】
ヒルコ姫は太山麓のヤスクニ宮からヤスカワに引っ越して、
皇太子のオシヒトを育てます。同時に根とサホコ国を治めます。
シタテル姫とアチヒコと妹背を結び、夫婦一緒にここに治めて生む御子は、
斎名シヅヒコ、タチカラヲかな。
本日は以上です。それではまた!